楽しむようにばしばしと狼達を痛めつけていく与一に参ったのか、しばらくすると狼はしっぽを巻いて遠くの茂みに隠れてしまった。与一は負け犬を追うことはしなかったし、スピカも再び襲ってくるかもしれないという懸念はあるものの与一と同じで、太望も見たところそのようだった。時機を同じくして、突入していった村人達が屋敷から出てきた。彼らの表情は重く、中で良いことがあったとは言い難い。
「おお、お疲れさんです。どうでした、中は?」
 腰を下していた太望は立ち上がって訊いた。
「それが――どっこ探しても、イーノーが見つからないんだわ」
と頭髪の薄い壮年が言う。
「屋敷の子達に聞いても、朝食からずっと籠って見当たらんと。なあ」
 背が高い若々しい男性は言い、そして首を傾げた。村人達はまるで狐に化かされたように互いに目を合わせていた。
「ほっといたら、またどこで何をするか……」
 暢気に見えた村人達にスピカはそう言いかけるが与一が肩を掴む。
「まあよかったよ、何とか無事に村の人達助け出せたんだし」
 与一はスピカを宥め、村人達を労り村に帰るように言った。スピカは自分の眉が眉間に寄っていくのに気づいた。
「船虫さん――」
 太望がぽつりと呟く。スピカは少し顔を上げて彼の顔色を覗いた。浅黒い肌全体に、緊張は走っているが、同時に緊張とは明らかに硬さの違う情のようなものも見え隠れしている。そんな風にスピカは己の青い目で見る。
何かを知っているのだろうか。船虫という、太望を追い込んだ毒婦が、和秦から遠いこの地にいる――スピカは、決して見たことは無いが、スピカや太望だけでなくあらゆる人々を苦しめた、スピカが本能的に感じる恐怖に縁取られた、ある女を頭に思い描く。目を潰され、十二人の子供を殺されたという妖しき女を。
 スピカの眉がぴくりと動く。


「イーノーと船虫と玉梓は絶対繋がっているはずですよ」


 突然発せられた、やや神経質な声に与一と太望は彼の方に向き直る。
「青の姫は、どうして僕らの前に出てこないんですか。
 もしかしたらもうイーノーの、船虫の――いや玉梓の手にかかっているかもしれない!」
 体が熱い。生き埋めになった玉梓の娘と青の姫を結びつけて、ぞっとする程なのに、熱さの理由がわからない。そしてどうしてここまで熱く事態に向き合っているのかも、スピカにはよくわからない。細かい所に気を払っているだけだと言われればそれまでだろうが、それだけではない――スピカは直感的にそう気付く。


 それが運命というものかと。


「確かにチルチルちゃんが見当たらないのはのう」
 太望は頭を抱えるが、与一は不敵に笑っていた。スピカは疑問に思う。
「それは、心配だな――けどよスピカ、俺達には一人、味方がいるんだぜ」
 陽姫だ、と与一は少し屈み、スピカと目を合わせ言う。意外だった。陽姫の名が出るとは思わなかった。
「単純ですね」
 迂闊な動揺を悟られたくないため、思わず悪態をついてしまう。
 陽姫を忘れていたことを別段恥とは思わないが――陽姫の存在をはっきり口に出せる程、スピカは運命を見据えていただろうか。
 スピカの青い目は銀髪の強い男を見ていた。
「段々馴れ馴れしい口きいてくるようになったじゃねえか」
 与一は苦笑し、伸びをする。
「思い返してみろ。お前がガキの頃どうだったか俺は知らねえけど、
 お前が太望と出逢うまで生きてこられたのは多分姫さんのお陰だぜ」
 与一は笑っていなかった。スピカが見た中でも、一番真剣な顔をしていた。今は昼間なのに、夜の闇に一人対しているような顔をしていた。与一の言葉がきっかけとなり、スピカの中で生々しい記憶がまた開かれていく。


 火の海。殺されていく肉親。生かされてゆく自分。
 思い出すだけで辛く、どこまでも沈んでいき身動きが取れなくなるスピカがいた。
 ただ、その凄惨な思い出の先の先に誰かがいて、その誰かに逢うために陽姫がいた――ただ、生物として生かされるだけでないために。人間として、生きていくために。


 スピカに「誰か」の答えは、まだ出せない。
 いや、出そうとしない自分がいる――
 ただ赤い光が彼の脳裏に明滅し、走る。


「玉梓と戦ってんのは俺達だけじゃねえ。……彼女もだ」
 与一がそう閉じた時、目の前に青い光が走る。


「青?」


 三人は庭の方向に一斉に向いた。彼らの珠が各々光を飛ばしながら三人を急かす。
 青の姫。
 彼女のもとへ、三人は走り出した。

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