青い光は血を照らす


 ニコの狼狽はネフェレが来ても終わることがない。チルチルはたった今自分自身を奮起させ、道を切り開こうとしていたのにいまだ抱きついたままだ。だからニコの、少年らしい動揺は続いていた。
「チルチル!」
 ネフェレが呼ぶ。蕾の開花を喜んだような声色だった。
「ネフェレ!」
 ぱっとチルチルはニコから離れネフェレにも抱きついた。ばか、と言いながらネフェレも彼女を抱きしめる。ニコはふうと息をつき胸の鼓動の高さに今更驚いていた。そして、自分の珠がまた別の場所を指していることにようやく気がついたのだった。


「本当に――心配したんだから」
「うん。うん。ごめん、なさい」
 そして姉妹のような二人はきちんと向かい合う。二人は少し目が腫れていた。
「私が」
 ぽつりとネフェレの声が落とされる。辺りは妙に静かで、まっさらな紙の上にインクが落ちたようにチルチルには聞こえた。
「私が、何が何でもあんたから目を離さなきゃよかった」
 そのことに意味がなくても、チルチルが恐怖に襲われることはなかったのかもしれないと――ネフェレは思う。イーノーを慕ってばかりのチルチルに少し愛想を尽かしてしまった自身を、ネフェレはやはり嫌悪する。
「私が守らなくちゃいけなかったのに」
 うつむき、ぽたりと熱い雫を落とした。過ぎたこととはいえ、その過失が二人を脅かしたのは確かだった。
「ネフェレ! もういいよ、大丈夫だったし。それに、わたしだって、悪かったもの」
 チルチルもうつむいて、自分の主を思い浮かべた。自分の傍で優しく花を愛でていたのも現実なら、自分を殴り闇に閉じ込めたのも現実である。だが、ネフェレの忠告に耳を塞ぎ、無防備に近付いたそんな自分を悪いと思いつつも、どうしてもイーノーを悪者に変え切れない自分の姿もあった。


「ネフェレさん、あの、大丈夫ですか」
 ニコは光の行方をぼうっと見てから慌ててネフェレを思いやった。目をぎゅっと閉じたネフェレは涙を拭って立ち上がる。
「大丈夫、よ」
「わたしもだよっ。でもどうしてニコくんが? 何かあったの? どうして、左手が光ってるの?」
 わからない、とニコは最後の問いだけ答える。イーノーがどうしているかは知らないが、ニコ達の敵である玉梓と何か関係しているのは確かであり、長い説明をしていると、青の姫であるチルチルに再び何かが起こるかもしれない――ニコは冷や汗を流す。
「でもどこかを示しているんだ」
 チルチルとネフェレがその先を見る。使用人達の住む建物よりも遠い、庭の方にあるやけに頑丈な造りの建物を示していた。
「宝物庫だよ。入ったことないけど」
 苦笑するチルチルから視点を上げると、何やら真剣な顔をしたネフェレが見えた。
「ニコ君!」
 そしてネフェレはニコの左手をこじあける。その中にあるもの、それは光り輝く無色の水晶――おうし座の紋章が浮かぶ、三十年も昔に太陽の姫が放った「珠」であった。
 ネフェレは目を丸くしてそれを見つめている。ニコは彼女に思い切って問う。
「何か知っているんですね」
 チルチルも珠を覗き込む。きらりと、彼女の大きな瞳にその光が映る。
 ふっと、光のプリズムが突然現れ消えるような、そんな儚い、懐かしい感情がチルチルの中に生まれる。春の日差しによく似た、眩暈にもよく似た形のない、しかし光はあるもの。


 青い光。


「チルチルには――嘘をついたけど」
 そこでチルチルは青い珠の件を思い出した。
「これとそっくりの、青い珠は、私がイーノーに奪われないように探し出して、
 ……宝物庫に、ずっと隠してあったの」
 ごめんとネフェレは呟く。
「……私がずっと持っていればよかったんだろうけど。
 ……あんたの大切なものなのに、イーノーはそれを狙って、
 そしてあんた自身の命も狙ってると思って――
 あの日訊かれた時は、てっきりイーノーから奪ってこいって唆されたんだって思っちゃって」
 ネフェレは苦々しく言葉を切った。チルチルはいいよ、とネフェレを想って心配で顔を歪めた。きっと、危険が自分に向かうのを恐れたのだろうし、ネフェレもネフェレ自身を守りたかったんだと――そうチルチルは理解していた。
「でも……それ、その珠、私の大切なもの、なの?」
 首を傾げるが、ネフェレはただ頷くだけだった。
「じゃあニコくん、行ってみよう!」
 言うなりチルチルは飛び出して行った。ニコがその後を慌てて追う。
「チルチル……」
 ネフェレはしばし呆然として、鍵を取りに行かなければいけないと気付く。しかし不思議と気持ちが流行る。少女と少年が走ったその先へ。


 そしてネフェレも一歩踏み出す。その脳裏で、初めて青い光に照らされた遠い記憶が甦る。
 チルチルの小さな右手が開いたあの日を、風に吹かれながら思い出す。



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