再び夜が訪れた。シュリは眠れず、重たい体を起こすと、花依がいつのまにか部屋を抜け出していた。また霊でも憑いたのだろうか。シュリは寝付けないこともあり、外に出た。
「シュリさん?」
 少し進むと、双助と出くわす。シュリは気だるげに首を傾げた。
「どうしたの? あんたも眠れないの?」
「いや――信乃さんがいないんです」
 花依がいない。信乃もいない。逢引だろうかと、双助を従えて外に出た。外は月がやけに明るく、周りが冴え冴えとして、よく見えた。
 井戸の近く、案の定二人でいるところを見つけた。思わず、物陰に隠れて様子をうかがうことになった。
「信乃さま、その――花火さまから、お話を聞きましたの」
「話、とは?」
 少しかしこまって、信乃はそう返した。だが、信乃は何もかも解っているような目をしていた。花依が月明かりの中、静かに語るそれは――やはり、死んだ花依のことだった。
「花依さんは、信乃さまの許嫁だった。けれど、亡くなられた――殺された、ということを、知りましたの」
 花依は言い終わると同時に目を伏せた。次の言葉までに、十分間があった。淡い光を注ぐ月の幻声も、聞こえてくるかのように静かだった。
 花依は信乃の目をしっかり見て、言う。
「信乃さまには、辛いことかもしれません」
 いえ、きっと辛いんです――花依は嗚咽のように言葉を細かく区切って、しかし確かに伝える。
「その、私は」
 貴方のことが、好きです、と、打ち明けた。自分の心を全て認めた風にも聞こえた。シュリは自分の心が静かに、しかし、重く苦しく、動いた気がした。
 信乃はしかし、目を合わせようとはしなかった。
「――花依さん。いや、花依姫。あなたは」
 様々な方向に目を向けるが、そう呟いた時、ようやく信乃は彼女だけを見つめていった。本当は目を逸らしたいのかもしれないが、信乃は逸らさなかった。
「――あなたは里見家の姫です。
 おれのような、家も親族も、使える者もいない半端な者に恋慕の情を抱くのは……いけな」
「そんなの」
 関係ないです、と花依は一歩前進し信乃の手を掴んだ。
「私は、確かに姫という身分を受け入れました。
 でも――「私」は、私という心は、そんな称号に左右されたりはしません」
 信乃の左手と自分の両手の重なりを見つめ、息を詰めるように告げた。

「私は私です」

 それから上目遣いで信乃を見つめた。信乃は戸惑っているようでもあり、緊張しているようでもあり、驚いているようでもあり、何より――いつまでも手を重ねていたいと、願っているようでもあった。

「信乃さまの許嫁であった花依さんでもなく、里見の姫でもないんです。
 ここで育った、一人の女である、花依です」

 シュリの胸が、高鳴った。
 双助もそうだった。まして、信乃はどれほど動悸が激しいだろうか。
 その花依の言葉も立ち振る舞いも、全て嘘がない純粋なもので、きっと誰もが心を震わせ、何かを弾けさせる。
「この心を捨てたり、諦めたりなんか、出来ませんし、するつもりはないんです」
 信乃がそこで、初めて表情を変える。
 微笑んだ。


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