花火が襖を開いた。たった今振り向いた信乃の顔がシュリの目に映る。
「花火……オーレさん?」
 小声だが、一瞬言葉を忘れていた風に花火達を見ていた信乃である。彼らの登場に十分面食らっていることは、簡単に思い至った。
 何も言わず、すっと花火は部屋に入った。そして篠の隣に立ってぴたりと止まる。顔は眠っている花依の方に向いていた。花火は何も言わなかった。瞬きもしなかった。ずっと立ち尽くしていたが、やがて倒れるように、自分の体を吊っていた全ての糸が切れたように、すとんと座った。そして
「どういうことだこれは」
とだけ、言った。誰に対してでもなく、彼の言葉は宙を彷徨う。それを、信乃が掴む。
「おれも、初めて会った時は信じられなくて……。今も、そんなものだけど……」
 そして口を噤む。部屋の中に残りの三人が入る。シュリは襖を閉めた。閉ざされたその空間は、花火達が訪ねてくる前と同じように沈黙が侵していく。誰もが、覚めない夢に陥ったような錯覚を、五人に起こさせる。

「花依……そのものじゃないか」

 花火は、死んだ妹そのものと言う程似ている、里見家の姫――の可能性がある少女をただ見つめている。何を考えているか、花火自身解らなかった。動揺と、かつての悲しみと後悔と罪悪感と、何故こうなったかという、運命への疑い、或いは憎しみが頭で揺れる。
 ――出発前に、花火は「運命が逆に廻り、自分と妹を再び廻り合せようとしている」と思った。勿論戯言で、後で思い返しても笑えないものになるはずだった。しかし現に、妹ではないが、妹が甦ったとしか思えない少女がいる。過去を共有している三人の前に現れた。
 それでも――彼女は妹ではない。別の人生を送ってきた、別の人物なのだ。
 その真理とも言える事実が、やはり妹はいない、死んだ者だと花火に静かに、しかし何の慈悲もなくはっきりと、告げる。
 花火、信乃、双助、三人の運命も時も想いも、動いている。
 決して戻らない。
「――あ」
 信乃が、場を侵す沈黙を破る。花依の目元がぴくりと動いたことを誰より早く彼は気付いた。花依は目を開いた。ようやく覚醒する。しかし――その目は、シュリの知る花依ではない。

 過去を共有する三人が知っている、かつての花依の目だった。

「花依、なのか」
 花火は問う。恐る恐る、問う。冷静に澄ましたいつもの花火ではない。大きく目を丸くしている。動悸が激しいことは、花火自身気付いている。

「……お兄様」

 ゆらり、と風に揺れる野花の如く、花依は上体を起こす。花火の驚きは確定した。依り代である花依姫の体に、妹が宿っている。――信乃達にとっては、まだ宿っているのだ。
 花依は花火の目を見つめ、小さく、頷く。
「ええ、私は……死んだ妹の、花依です。この子の体を借りて、今、ここに来ているのです」
 そして優しく微笑する。それは死者の笑みだった。力なく、色褪せているが、残された者を優しく見守る時に浮かべるのが相応しい――そんな笑みだった。
 余韻を微かに残しながら、弱弱しく口を開き花依は茫然と無言を貫く空間でただ一人言葉を紡ぎ始めた。
「お兄様――あんな最期で、ごめんなさい」
 花火以外の者は誰も知らない最後の光景が花火の脳裏に甦る。
 少し前に、何度も思い出しては自分を呪っていた。花火の原罪を教える、いまはの際の妹の記憶は、花火が花火であることをやめてしまいたい程、悲しみと悔いとで濡れている。乾くものでは、決してない。
「謝るのは……俺の方だ。
 俺は――村雨丸を即座に、信乃に返そうとしなかった」
 あの秋以来、もう一度、花火は言葉にする。不可視の鎖へと徐々に変化して、花火を縛るもの。――意識すれば、いつもそこで、戒めている。
 妹から託された最後の願いを花火は闇に捨て忘却した。自分の為に刀を振るっていた。
 或いは――自分を襲う不条理の運命に対して。
 妹に対し殺意を抱いていたこと。最後の願いを叶えなかったこと。この二つの杭があるから、花火は花依から謝罪の言葉を受けるいわれはないのだ。むしろ、果てしなく憎まれるべきだ。
 しかし彼女の目はすべてを、許していた。花火は自分のことを決して許してはいないが、しかし、過去のことになってしまった。時は流れてしまったし、花火は生きなければならないことを――死んではいけないことを、解っていた。和秦には自分を心配して待ってくれている白の姫がいる。
 いつまでも、過去に縛られてはいけない。
 鎖を優しい糸にするのは辛いが、それが、自分のやるべきことだ。


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