「いいよ花火、もう済んだことだし、村雨丸はきちんと返ってきたじゃないか」
 信乃はさも当たり前にそう言う。
「それに村雨丸が偽物じゃなかったら、おれ、与一に逢えなかったしね」
 そして笑った。その辺りの事情はオーレがようやく関係してくるところだったので、オーレは頷いた。
「……額蔵にも、何も言わずに別れてしまったわ」
 ガクゾウ? とシュリとオーレは首を傾げたが、双助がはいと返事するのを聞き、彼のことかと納得する。信乃は下人時代に双助につけられた名前だと小声で言った。下人、とシュリは凛々しい顔立ちの双助を見た。――下人ではなく、武士か貴族の家の者に見えた。どこかに気高さがひらめくのだ。
「こうして、もう一度花依様と逢えただけで――おれはよかったと思ってます」
 本来、叶うはずのない再会が果たされた。花火と信乃と双助の、悲哀と後悔と煩悶が生々しく甦ったのは確かだ。しかし一方、その奇跡で、双助は胸が、言い知れぬ感情、神秘に肉薄した興奮で一杯だった。
「もう一度――信乃さまと、お兄様と、額蔵に、逢えて、よかった。私はもう――行かなくちゃ。
 もう、ここには、来られない。だから――
 さよならを、ちゃんと言いたかったの」
 三人は息をのんだ。
 別れを、はっきりと伝える。
 それは、簡単そうで難しい。人との別れなど、死別など、いつやって来るか、誰にもわからない。逢いたい人に逢えるかなどもわからない。全てが叶えられるわけではない。気付けばいつも手遅れだ。――この世にはっきりと残された別れの言葉が、果たしていくつあると言えるだろうか。
 別れはいつも突然にやって来る。言葉など無い。いつも、残された者はその後に混乱し、泣き、悲しみ、後悔する。取り返せず、戻せないものに恋慕しては、また、涙を垂らす。気持ちを落ち着かせるために、途方もない思考と時間を費やす。
 だから――今こうして花依が別れを告げんとしていることは、ほとんど――花依がもう一度ここにやってきているくらいに、奇跡なのだ。
「信乃さま」
 花依の手が、よろよろと力なくあがる。信乃は宝を扱うように優しく、その華奢な手を包む。
「――祈っています。あなたの幸せと――「この子」の、幸せを」

 それは、その幸せは、同じもの?
 問いが、シュリの頭に反響する。
 しかし、問われなくても、もう当然だった。二人が好きあっているのは、既に自然の状態だった。シュリが止める権利は無い。

「……もう、いかなくちゃ」
 弱弱しく、花依は言う。目尻に、宝玉のように輝く雫があった。
「みんな、元気でいて。無理をしたらだめよ。――出来たら、笑っていて。
 ……さようなら」
 さよなら、と信乃も花火も双助も言った。三人は目に涙を浮かべていた。花火はそれを拭い、信乃はただ流し、双助も、何もしないでいた。
 花依は最後にもう一度、微笑する。
「花依!」
 信乃がたまらず、彼女の手を握っていた力を強くした。びっくりしたように花依は微笑を解くが、すぐにまた笑った。花が咲いたように笑った。

 それが、最後の笑みだった。

 ばたん、と上体が倒れ、見れば再び目は閉じられていた。
 本当に、花依は逝ってしまったのだ。そして信乃達は、残された。残された以上は、生きていくか死ぬしか無い。
 三人の答えはもう、決まっている。
 生きてゆくしか無い。生きていれば、思い出も生きている。夢の中でも逢えなくはない。
 生の流れは強く、三人を乗せて運ぶ。そして新しい世界がやがて始まるのだ。それは、ずっと昔から、世界が始まった時から決められている、約束だ。
 信乃と双助は、やっと涙を拭った。

 シュリはただ黙っているしか無かった。シュリという存在が全く関係しない世界だからだ。それはただ、寂しいものだった。しかし――現れた花依は、残された存在の三人を癒し、けじめをつけた。何かが変わり新しくなった――寂しいながらもそれくらいわかっていた。……自分が関係しないからといって、それに感動しない程、シュリは鈍くは出来ていない。

 一方、オーレもまた黙っていた。そのまま、シュリ同様再会劇の観客となっていた。
 黙ってはいたが、彼に秘かに語りかける背後の存在に気を取られていた。……ともすると発狂し、場の静寂を乱しかねない程だった。
 もう一人のオーレが恐ろしい提案を何度も投げかけてくる。耳を塞いだところで意味がない。むしろ更に大きく聞こえてくるだけだろう。

 恐ろしい提案。死を仮定すること。
 仮想の世界で、殺すこと。
 死んでいたら、楽だろうかと。
 彼女がいなければ――死んでいれば――

 殺そうとした自分が、現実のものになっていたら。

 激しく気分が悪くなる。体中の臓物が逆流してくるのではないかという悪寒が沸き起こる。自己嫌悪が彼の首を絞める。苦しくなる。叫びたくとも叫べない――
 オーレは、この場に自分が存在すべきではないと、そう思った。

 彼が仮想で殺した――
 十年前に殺そうとしたのは、彼の最愛の人なのだから。


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