シュリの寂しさも、オーレの自己嫌悪も、信乃達の新たな生の始まりも、花依の解放も、全てが混じり合いそれでもなお均衡を保ったこの部屋では、再び沈黙が支配権を握った。
 握ったその途端であった。
 襖が静かに開いた。その音は静かだが、沈黙の中に針のようによく通り、目覚めている者全員が後ろを振り向いた。
室内を、いまいち状況が掴めないと眉を曲げながら見ている背の高い男性がそこに立っていた。精悍な顔つきで、たった今戦場から帰還してきたかのような雰囲気を背負っている。
「舜兄」
 シュリが呼ぶ。舜と呼ばれたその男性は部屋におずおずと入る。
「どうしたんだシュリ。花依は風邪でもひいたか? それに――この人達は」
 信乃やオーレの顔を、彼は目をせわしなく動かして見下ろしていた。
「この里の、責任者の方ですか」
 と言いつつ、オーレが立ち上がる。――沈黙が破られた時に、オーレを縛っていたものはたちまち身を潜めた。
「私達は、和秦・安房の一国、里見家からの使いでございます。少々貴方にお伺いしたいことがあるのですが」
 男性と並ぶと、オーレは意外と背の高いことがわかる。オーレはいくらか慇懃が過ぎた感じを周りに与えたが舜は不審に思わず、快く応じた。花火も立ち上がり、信乃と双助も立ち上がろうとした時、花依の微かな声が聞こえた。
「花依」
 座ったままのシュリが彼女の近くに寄る。花依は目を覚まし、起き上がる。
「わ、私――あら……新しいお客さま? それに瞬兄さん? どうして――
 どれくらい私ったら、眠っていたのかしら? それとも」
「花依さん。いや」
 花依姫、とオーレは身なりを正し、再び正座し花依に言う。――彼の中では「申し上げた」のだろう。
「不束ながら、私達のお話を、聞いて頂きたく存じます」
 花依は寝起きということもあり、まだ何が起こっているか把握できず目を白黒させていたが、舜に促され話を聞くことになった。シュリは――ただ自分の知らない何かに流されるように部屋を出た。






「そうですか」
 舜は頷いた。
 花依が鷹に攫われた里見家の姫君であること、霊媒体質であると予言されたので花依という名であること、調査によりこの里にいることがわかり、オーレと花火がやってきたこと――それら全てに頷いたのだった。
「花依が見つかった頃は私もまだ少年の時分でしたが――私達の長であり養い親でもある人物からよく聞かされたのと、当時のおぼろげな記憶から察するに――そう、着ていた衣は一級品のようだったし、はない、という言葉によく笑っていましたからその名になったのです。確か――」
 舜は少し後ろにある、鍵付きの棚の錠を外し、ある衣を取り出した。一見すると衣ではなく、生地に見えるくらい小さい。それをオーレに渡した。
「それが、花依が着ていた衣です」
「ふむ。ああ、里見の家紋がここに」
 衣の下端に、印を押すようにして家紋が刺繍されている。それだけでも上品な柄のようだった。
「どこか、身分の高い家の娘だとは見当がついていたようですが――帰すに帰せませんでした。
 詳しくは申せませんが、私達には敵が――特に上流階級に多いものですから。
 ちょうど同じ年頃のシュリを始めとした子供達も沢山いたものですし、そのままこの里で共に育っていった、というわけです。
 まさか一国の姫であったとは――そうとは知らず長い間こちらに引き留めておいて、誠に申し訳が立ちません」
 そして舜は花依の顔を見る。
 花依はまだ目を白黒させて黙っていた。無理もない。孤児で、盗賊団の一員に近い形でこの里で育ってきたというのに、その素性は小国と言えど一国の姫だったというのだから。
「話は聞いただろう? お前の本当のお父上殿や弟君も、里見国で待っておられるそうだ」
 母はいないが、父と、弟までいる。花依は降ってわいたような自らの身分と家族に、戸惑いを隠せない。
「気持ちは――わかります。私を心配していらっしゃるお父様がいるのも、わかります。
 でも」
 花依にとってはこの里が自分のあるべき場所だ。この里で人格が出来上がり、笑ったり泣いたり、楽しんだり悲しんだり怒ったり、精神上にも身体上にも必要なすべての要素、そして思い出をこの里で育んできた。否定すること自体が馬鹿馬鹿しい。生まれた場所がどこであろうと、この里が花依の故郷だろう。
 その一方で、自分を心配し、何年も探し、待ちわびて過ごしてきた父がいる。花依の為に女房や侍、女童も何人もいたのだろう。
 捨てたくはなく、また――簡単に見捨てたくもない。花依が黙ってしまってからしばらく経った時である。
「帰りなさいよ」
 シュリだった。
「花依がいるべきだった場所にいるのが、あんたの幸せだけじゃなくて、きっと里見全体の幸せになるんだから」
「シュリ……」
 シュリは花依の隣に座っていたが、彼女は花依と目を合わせなかった。どこか遠い目をして別の方向を向いていて、表情がよくわからない。そうでありながら、突き放したような感じはしない。いつも感じていた暖かさが確かにあると花依は感じた。
「大丈夫よ。みんな、あんたのこと忘れるわけないじゃない。
 ――あたし達が頑張って華北を平和に……精々物騒でないくらいにしてみせる。
 あんたがいつでも遊びに来れるようにね」
「本当?」
 そこで初めてシュリは笑顔を花依に見せた。
「当ったり前じゃない」
 シュリは笑っていた。誰が見ても、笑顔だけだった。――しかし、よく見ればその笑顔はどこかを穿てば崩れてしまうような――ぎこちないものであった。


 それをよく見ていたのは花依でも誰でもない、双助だった。



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