さよならをもう一度



 夜が明けた。花依は、まだ目を覚まさなかった。
 朝食の時、子供達から花依のことを訊かれれば上手くはぐらかしてはいたけれど、シュリの顔にはずっと影が落ちていた。信乃は食事も摂らず、花依の傍にいた。双助は彼女と彼を和ませる余裕もなく、ただただ沈黙の中にいた。
 シュリは縁側に座り口を真一文字に結んでじっとしていた。信乃を花依と二人きりにさせていて、双助もそうするべく、シュリの近くに座った。

 里全体が静かで、昼だというのに夜のような気持が双助に湧いた。そしてその沈黙と偽りの夜の中で花依のことを考える。
 双助が下人として使われていた屋敷の一人娘であったのが、死んだ花依だ。主人夫婦からは散々こき使われていたが、花依は違った。奴隷である双助を花依は自分と同じ視点に据え、信乃達に向けるのと同じように話し、笑った。
 そう接してくれることが双助の人格形成の一役を担ったのはもはや言うまでもない。双助はそう固く信じている。
 信乃への一途な恋も、双助は懸命に応援した。義兄弟と恩人が祝言を挙げることが、何よりの夢であった。ことによると当人よりも待ち望んでいたかもしれない。双助は他人の幸せを願うことが出来るのだ。それは、きっと花依がいてくれたから。
 でも、殺された。
 おそらくは玉梓の化身であった、不審な妖気を纏った浪人の侍にである。自分がもう少し早く惨劇の舞台を通っていればと、何度も悔やんだ。
 後に残された者には、悔いしか襲ってこない。内に巣食うもう一人の自分が何度も自分を攻撃してくる。悲しみや切なさとはまた別の何かが迫ってくるのだ。それらを超えた、向こう側にある重力が押し潰そうとする。
 思えば、花依が死んでから自分の運命の輪が廻り出した気がすると、双助は思った。確かに、信乃と互いのあざや珠を確認した時から廻っていた――と言われればそうかもしれないが、花依の死後の展開を振り返っても、最初の回転は花依の死に依るところが多い。
 花火も同様だろう。双助が彼を斬らなければ花火は珠を手に入れることすらなかったのだ。信乃と与一は、二人がたがいに出逢った時がきっと始まりだろう。
 双助はちらりと隣のシュリを見る。まだ沈痛な面持ちでいた。さっきよりも視線を少し下げている。――双助の見間違いでなければ、彼女の体にはあざがある。探し求めていた、黒の姫の証である紋章が。
 彼女が姫だろうか。彼女はどこで、廻り始めるのだろうか。

 ――そこに悲しみがなければ、どんなにいいだろう。

 そう思っていた時である。
 犬がけたたましく吠え出した。驚いて鳴き声がした方へ顔を向ける。シュリも突然、眠りから覚醒したように顔を上げた。
 二人は縁側を去り、犬よりも前の方へ走る。双助は視点をあちこち移動させ、ようやく異変を見つける。犬が警告した異変とは、どうやら人の訪れであるようだ。こちらへ近付いてくる二体の人影を捉えた。目を凝らす。
 二人は男だった。一人は長い前髪を一本垂らし鋭い目つきをしている。手甲をはめ、刀を二本指したところを見ると侍のようだ。もう一人は口髭を生やしのんきな顔で里の風景を眺めている。羽織姿であり、刀などは差していない。
 双助の良く知る――しかし意外な人物の現れだった。
「花火さん! オーレさん!」
 双助が二人の名を叫ぶ。二人はこちらに気付いて向かってきた。
「あんたの、知り合い?」
「ええ!」
 シュリは若干眉を顰めた。部外者は出て行けと言いたいのだろうか。
「あっれー、双助君じゃないの」
 オーレが嬉しそうに言う。
「久し振りだな」
 花火はオーレほど感情を込めずに言った。温度差が面白いと双助は思わず笑ってしまうが、花火が――花依の兄がここに来たということに気付いて愕然とする。ぎこちない笑いが顔に貼り付いたまま、過去の断片が現実にちらつき、双助はぴたりと止まってしまう。
(……?)
 シュリは花依が目を覚まさないことと、そしてたった今、少しだけ浮かんだ双助の笑みに気後れし、自然と口を閉じたままでいた。その変化に、だからシュリは首を傾げた。
「どうしたのよ。双助君」
「あ――その」
「お前、何でここに?」
 花火がシュリを少し気にしつつ双助に訊いた。犬はまだ吠えている。オーレはそれを見てちょっかいをかけているのか、手を振ったり指を動かしたりしていた。
「えっとですね、姫探しが難航してて」
 双助はシュリをちらりと見ながら言う。シュリは何のことだか当然、わからないようだ。双助がシュリを黒の姫だと思っていることは尚更わかっていないだろう。
「二人はどうしてここに来たんですか?」
 予期しない来客だった。本来ならこの質問は双助から先に投げかけるべきであったが、花火が若干早かったのだ。
「お前らを手伝いに来たこともあるんだがな……信乃は?」
「あ、あの、家の中です」
 双助は振り返り指さす。しかし、花依にそっくりな女性と二人きりだとはさすがに言えなかった。説明しなければ、と双助は花火を見、あの、と言いかけた時だった。
「僕らは、里見家のお姫様も探しに来たんだ」
 オーレの発言が双助を遮った。予期せぬ来客に、予期せぬ話題が双助を、またシュリを誘う。出鼻をくじかれた双助は戸惑った。
 一方シュリは、異国の民であったが、里見家を知っていた。
 秋の中頃か終わり頃、玄冬団が襲った館に残っていた者は、皆里見国からやってきた人々だった。――そこに、オーレと花火が含まれていることをシュリは知らない。シュリが記憶している人物は、シュリと格闘した銀髪で、右目元にあざのある男、その館の主人である西園寺李白と、青い髪の、女のような男と、そして赤い目をして、全身刺青の走っている、シュリと同世代くらいの少女だけである。
「その、名前がな……」
 花火は次の言葉を出し惜しんでいるようだ。むしろ、言いたくないと微かに拒否しているようにも見てとれる。しかし、彼はその逡巡を抜け、はっきりと告げた。

「花依姫……だそうだ」

 双助とシュリは、目を瞬かせる。そして、えっと声を揃えた。それはやけに大声だった。シュリはくるりと家の方を向く。双助は花火を見つめていたが、目は瞬いてばかりいた。双助に問いかける奇妙な符号が、この里の少女を無理にでも、想起させた。
「花依と同じ名前なんだ」
「同じ……あ」
 シュリは夜の出来事――花依の言葉からようやく、花火の名を取り出し、関係を結びつけた。死んだ花依の兄にあたるのが花火であり、背後にいる人物のことなのだ、と。
ならば花火は――花依を見た時どう思うのだろう。何を話すのだろう。
「花火さん……あの」
 双助も同じことを思っていた。特に、花火が花依の遺体を焼いたことを知っているから、尚更痛ましげに思った。あの時の、炎と煙で揺らめく死と生の境界に立って、妹を見送った花火の姿が浮かび上がってくる。
 しかし、黙ってばかりもいられなかった。双助はシュリに言う。
「二人を、連れていっても、いいですか」
 シュリはただ、頷くしかなかった。


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