火の海より愛をこめて



 シュリがいないという異変に舜が気付いたのはその翌日の早朝のことだった。東の空が淡い桃色に染まり始めていた。
 玄冬団の一時的な拠点であるその家にシュリの影は全く見当たらない。気配すらない。劉や他の団員とも周辺を探すが、見つからない。シュリは近頃、仕事以外に外に出ていなかったことを思えば、家にいないことからして十分、舜達にとって異変以外の何物でもなかった。

 最後の望みをかけて、尭の屋敷へ赴く。尭はシュリにとっても舜にとっても、ひいては玄冬団全体の父親と呼べる器の人物であり、玄冬団の構成員は屋敷への出入りは自由となっている。ただし他の貴族に見つかることがないように、専用の扉から入る。裏口や勝手口のような場所だ。
「シュリか? いや、来ていない」
 書斎の椅子にしては小振りな椅子に腰かけていた、中肉中背の、少し老いてはいるがどこか逞しく、かつ優しげな顔の男性がそう答える。
 彼こそが尭――華北の希望を否応なしに集め、背負う者だ。
「その、尭様」
「何だい」
「最近の、シュリは」
 舜は言い辛そうに俯きながらも、シュリの姿を伝える。がむしゃらになって働くこと。身を削るように、そしてそれを苦とも思わず働くこと。華北の為を思い過ぎて、自分も相手も省みることがないこと。何か強いものに縛られ、しかしそれこそが自分の生きる姿であるとしている――錯覚を起こしているようなシュリの姿は、見ていて悲しくなると、舜だけでなく劉もまた他の団員も同調した。
 その姿を目蓋の裏に描き、自分の仕事にばかり手を焼いて、自分もまたシュリを放置していたと、尭の目は悲しげに歪む。
「私に力がないばかりに――シュリにそんな無理をさせていたか」
「尭様の所為では」
「いや」
 私の責任だと腰をあげ窓を開く。彼の眼に映るのは、目下最大の敵である、紂の屋敷である。
「あの子は――もしかしたら一人で、紂の屋敷に忍び込んだのかもしれん」
「ええ?」
 儂の勝手な思い込みだと尭は舜達の方を向く。
「でもよ舜……。シュリの最近の無鉄砲を考えると、無くもない話だぜ」
 劉は舜の肩を持った。二人は少し体をずらし、共に紂の屋敷を見る。二人もシュリと同様で、屋敷というよりは城、という印象を強く持った。
「裏で玉響が動いているか――」
 尭は俯く。
「あいつがいるとなると――迂闊には手を出せん」
 俯く尭の足元から滲む影の中に、ぼんやりその玉響の姿が浮き出る。尭はその、自分達を嘲笑うように、まるで鞠のようにどこに跳ね跳ぶかわからない存在を思った。その赤い目に釘を打たれたように、彼は未だ、動けなかった。


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