シュリは重い目蓋が段々上がっていくことをゆっくりと感じていた。
 寒く、冷たい石床に、シュリは横たわっている。全身を鈍く伝わる、しかし中心は鋭い痛みがシュリを完全なる完全なる覚醒に導いた。最後の記憶の後――数回ほど肉体的暴行を受けたのだろうと上体を起こし、シュリは思う。自分の両手を戒める重い手錠が掛かっていることに気付いたのはその時だった。しかし、少し動かすとがちゃんと外れてしまった。鍵を掛け忘れたのか――? そんな馬鹿な、と思いつつも立ち上がる。
 玉響の罠にあっけなくかかった自分をひややかに思い返す。双助達のことなどに、端から関心を抱かなければこんなざまは見なかったのに。花依は奪う、果たせない約束はかける、その所為でこんなことになったと、シュリは改めてうんざりする。頭が重たく感じた。
 尭にも玄冬団にも華北の全ての人にも申し訳ない。これから自分はどうなるのだろう。死ぬのか、いいように使われるのか、犯されるのか、殺されるのか。そう思いを巡らせている時に、ずどんという重く、鈍い音が聞こえた。
 何かと思い、隅の方にあった鉄格子の窓を背伸びして覗く。長屋の方が火事に遭ったらしい。所々黒焦げだ。貴族達の住む地域に目を向けると、赤い火の蛇がうねっているかのように火災が発生していて、黒い煙の龍が天に昇っていた。さっきの鈍い音はどうやら大砲の音で、平民――つまりシュリが守るべき民衆の所へ撃たれたらしい。
「暴動……?」
 まさか、革命? と呟く。待ちわびたものではあったが、自分が意外にも動揺を隠しきれないことに嘘をつけなかった。
 何にせよここから早く脱出して、民衆を、玄冬団を助けなければと鉄格子の方を振り返る。まずその鉄格子を何とかしなければと思って振り返ったのに、驚くことに――開いている。
 その傍に、誰かがいる。
 
 ――玉響だ。

「あんた……! どうしてここに」
 シュリは捨てておいた手錠に目をやる。
「この手錠もあんたが――」
 シュリはいつも、玉響と対峙するときに感じる、自分の全てを揺さぶられるような恐怖をあまり感じていないことに気付く。精々、彼に近づくのを躊躇してしまう程度であった。
 もう一つ、異変があった。玉響の柳のような姿と赤い目は変わらないのに、いつも浮かべている皮肉めいた、妖しい嗤いがなくなっていた。
 無表情で、シュリを見ている。
 その異変に突き動かされて、思わずシュリは問うていた。
「玉響――あんたは。
 勝手な行動をとったり、味方だと思えば敵だったり、敵だと思えば、味方だったり、
 あたしを唆したり、騙したり、傷つけたり――なのに、
 あたしを、助けたりもする」
 時々、シュリは二つの赤から目を逸らし、言葉を詰まらせながら自分の足元を見ては、再び赤い目に焦点を合わせた。
 嗤っていないだけで、玉響は全く別の人物に見える。
「玉響」
 だから、シュリは問う。
「あんたは――何がしたいの」
 息を飲んだ。

「あんたは――誰なの?」

 冷たい牢獄に、シュリの凛とした声が残響となる。それは間を置かず生まれた沈黙を、より冷たく、際立たせた。そのまま沈黙が、しばらく場を占めた。室内の冷気が命を持ったようにシュリにまとわりついてきたが、それに気をとられることなく、シュリはただ玉響を見つめている。
 やがて、彼は口を開く。
「玉響であって、玉響ではない」
 シュリは一瞬、ひるんだ。声が玉響のもので、ない。
 知らない女の声だったのである、
 何かを憎み、しかし憎みきれず、悲しくてやりきれなく、歯がゆさを感じている。
 そんな悲痛な声だった。
「すべては――妾に還る」
 玉響の姿をした女は、その赤い目を閉じる。
「何を……言ってるの」

「妾はお前達を、憎む。
 お前達を守る太陽の姫を憎み、
 妾の子の命を徒に奪った里見を憎み、
 そして、この世界全てを憎む」

 シュリは目を瞬かせた。
 玉響の背後にぼんやりと、人の形をしたものが浮かび上がって、やがて一人の女性の形になったのだ。
 長い黒髪と、紫の衣と、目を覆う白い帯。
 きっと彼女が、喋っているのだろう。
 玉響は続ける。

「――だが、
 お前達は太陽の姫の子供達であると同時に、
 ――妾の子じゃ」

 ひどく、言い辛そうに玉響――いや、彼女は言う。
 シュリはただ眉を曲げる。シュリだけを指しているのではないらしい。双助や、信乃達のことだろうか。そう考えたが、ただ耳を澄ますことだけに集中する。
「――時に苦しめ、時に傷つけ、
 そして時に助け、時に、愛する。
 妾でも、自分のやっていることが、解らない。
 激しく憎み、二度と立ち上がれない程痛みつけておるというのに、
 こうして、助けてしまう」
 玉響は、目を開く。何も変わらない、赤い目だった。
 シュリはただ呼吸するのみで無言だった。
「赤の姫が――プレセペと同じように苦しみ、そして妾を一度殺した後に、黒の姫――また、お前と逢うであろう。
 玉響でも誰でもない、妾と――」
 この言葉にも、シュリは首を傾げるばかりであった。自分が黒の姫と呼ばれて、ただ驚く。
「行け。
 十二人が揃ったところで、あるのはどうせ破滅だけじゃ」
 玉響が背を向けると、女の姿と共に霧散した。
 どう動いたらいいものか――シュリはただ、立ち竦んでいた。


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