シュリは階段を駆け降りて三階に到着する。二階へ続く階段はどこだと走り回っていたが、熱気にあたりふらりと倒れそうになった。そのまま床に倒れ込むかと思えば――シュリは誰かの体温を耳に感じた。その膝の上に、自分の頭がある。
「大丈夫ですか?」
 聞き覚えのある声だ。
「――やはり、あなたが黒の姫でしたのね」
 シュリはその声を記憶から手繰り寄せ、思い頭をやおら上げていく。その人物と目を合わせたのと、声の主を思い出したのはほぼ同時で、シュリは驚いて体を離した。
 その人物が声の主――西園寺李白だったからだった。
「あ……あんた、李白! あんたまで」
 シュリの憶測は当たっていた。李白はにっこり微笑して頷く。
「覚えておいででしたのね。わたくしは、白――天秤座の姫でございます」
「よお、誰かと思えばあの時のお嬢さんじゃねえか」
 李白の後ろにいたのはシュリと格闘した銀髪の、右頬にあざのある男だった。
「屋島与一だ。よろしくな」
 シュリは口を真一文字に結び、二人と目を合わせない。
「何だ、二人は知ってたか」
 花火の声がした。ちらりとシュリは彼を見ると、右手で煙管をくるくる弄んでいるところだった。この火の海の中で、随分と余裕のある男だ。
「花火は上に上がらなかったもんなぁ。変なこともあったもんだぜ。何とかと煙は高いところが好きだってのに」
「自分のことだろ。芳流閣も高いところだったらしいじゃないか」
「ありゃ信乃が登ったんだよ」
「じゃ信乃は馬鹿だな。大いに賛成だ」
 男達二人は勝手な話を始めて笑っていた。会話から出た信乃をシュリは思い出し、続いて花依を思い出す。
 いけない、自分が今すべきことは早くここを抜け出してみんなを助けることだと、シュリは強く強く内へ呼びかけた。
「あなたの黒いあざをどこかで見て、それが星座の記号――紋章のような気もしていましたのに――わたくしったら、優柔不断で」
 誰にも言えませんでしたの、と李白は照れた笑いを浮かべたようだった。しかしシュリはそんなことに構っている暇はなく、先刻と同じように駆けていった。声をかける隙も与えず、シュリは走っていった。
「あ、あらまあ、どうしましょう……」
「何、太望達も来てる。それにあの青の姫の嬢ちゃんはかなり強引だぞ」
 子供にしか出せん吸引力だと言って花火はシュリの駆けた方向を見つめながら煙管を咥えた。












 二階に着く。忍び込んで最初に足を踏み入れたのは、多分ここじゃないだろうかと、シュリはふらふらの足取りで歩き続けていく。しかしそんなことはどうでも良かった。とにかく一階へ、とにかく街へとだけ思い続けていた。――その為、窓から出ようと考えつかなかったのだった。まともな思考力は悪質な煙と熱に奪われていた。
 炎から出る煙を吸い過ぎ、シュリは項垂れ歩みは遅くなる。熱くて臭くて、気持ち悪い。思わず吐瀉してしまいそうだ。
「大丈夫かの?」
 顔を上げ、閉じていた目を開くと、色黒で巨大な男が人懐こい笑顔を浮かべてシュリの前に立っていた。その隣に金髪の優しい顔をした少年と、青い目をきらきら輝かせている少女がいた。全くこの火炎地獄の中に似合わない顔ぶれだった。
「ニコくん! この人がきっとシュリお姉さまよ!」
 うん、とニコというらしい少年は頷く。
「髪がこう、こめかみのところでくるんとしてるって、双助兄さん言ってたし」
「双助――?」
 朦朧とする意識の中で、彼を想起する。彼も、目の前の大男のような人懐こい笑顔を始終浮かべていたなと、どこか切なく一方で憎々しく思っていると、少女はシュリを起こしてくれた。
「わたしは青の姫のチルチルっていいます。おひつじ座です。
 こちらが太望おじさま、うお座で、こちらがニコくん。おうし座よ」
 てきぱきと、チルチルは説明していくが、シュリは夢から醒めたようにぼうっとしているばかりだった。
「シュリお姉さまは黒とやぎ座の姫なんですって! さあ行きましょ!」
 行く? どこへ? シュリはぼうっとした頭の中で自分に問う。
 外だ、一階だ、ここではないところ。
 みんなを助けるんだ。
 シュリの意識はぱきぱきと小気味いい音を立て、順を踏んで甦っていく。
「――どきなさいっ、このっ、がきんちょっ!」
 傍にいたチルチルを突き飛ばし、立ち上がった。
「チルチルちゃん!」
 ニコが困り果てた顔で青の姫のもとへ急ぐ。何とか炎や瓦礫に当たらなかったが、それでももう二階も十分炎上しているのだった。
「ああ、シュリさん!」
 待ちなさいという太望の声はシュリの向かう先に飛んだが、彼女を捕まえられずに熱に溶かされてしまった。むうっと眉間に皺を寄せた。可愛らしい顔に似つかわしくないことこの上ない、と太望はこんな状況下で呆れてしまう。
「お姉さま、ひどいっ! ひどいわっ!」
 チルチルの声も燃え盛るが、空しい。
「ぜえーったいぜったい和秦に連れていきましょうねっ! ニコくん、おじさま!」
「う、うん……」
 チルチルは突き飛ばされても依然元気、ぴんぴんしている。体を激しく揺すられて苦笑いのニコはただ仁の心で黒の姫の安否を思い、太望はオーレにつぐ長兄として彼女の無事を祈った。



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