ワガハイの知り合い猫達によるネットワークから齎される情報で、またまた夜が騒がしくなっている。俺達が予想していた以上にあちこちでストレイシープ達が目撃されていた。そいつらは微妙にセンサーの範囲外にいる所為か、動いても警報が発せられない。故に見つからなかったのだ。と言ってもそこまで広範囲ではないのは不幸中の幸いと言ったところか。
 悪さをしている奴もいれば、ただ眠っているような奴もいる。厄介ごとをしでかしていないからと言って、相手は魔法を使う羊。不発弾がごろごろ転がっているようなものだ。そして何より、美禰子の旦那さんの欠片でもある。捕まえないわけにはいかない。
 だから結局夜にパトロールと洒落込むわけである。いかにも魔法使いらしいと言うか、魔女らしいと言うか。
「別についてこなくても良かったのに」
「お前が連絡したんだろう」
 紫煙をぷはあと吐きながら返すのは一人だけ。喫煙を嗜める大人はこの中で松山坊こと坊っちゃん先生しかいない。燻されたような色合いの赤いブルゾンとジーンズの姿、一見しただけでは教師とは思えず、まだ大学生でも通りそうだ。
 人気のない路地裏を美禰子とワガハイが先を歩き、その後ろを俺と先生が歩く。はあ、と煙にならない息をつく。
「そりゃするよ。俺はまだ高校生ですから」
「なら俺は教師かつ保護者としてついていくのは当然だな」
 正論だ。別についてきて欲しくないわけでもなかったからいいのだけど、一応教師なら毎日疲れているだろう、休んでてもいいのに。こっちはそんな殊勝な気持ちで思ってるのに、この先生ときたら意味ありげな半眼をこちらに向けて、挙句にやりと笑う。
「何、その目は」
「三四郎的には、美禰子との時間を邪魔されて不機嫌、なんだろうけど」
 にしし、と子供っぽく、けれど嫌味に笑われる。下衆の勘繰りに当てられると随分興ざめな気持ちに陥るんだな、とつくづく思った。ちょっと、と袖を引っ張って耳元でこそっと言う。
「あの、そう言うんじゃないですから」
「ふうん。そうか」
 言葉の裏でどうだか、と笛を吹いていそうだ。タメ口でいいって、と頭をぽふんと軽く叩かれる。気安く触らないで欲しい。
「あっ、この辺みたい」
 美禰子が声を上げる。夜闇の中で仄かに杖の先のランプが点灯していた。俺も何となく気配を感じる。先生もそのようで、軽口を叩く顔ではなくなっていた。先生と行くストレイシープ回収は今日が初めてじゃないけど、羊達と魔法バトル、なんてことには、まだなっていないのだ。
 でも今日のはわからない。
「猫達はどう言ってたの」
「情報をまとめると、どうも樹木系の魔法を操る奴らしいの」
 気配を追っていくと、なるほど、その言葉を裏付けるように樹木の陰の濃い公園のような所へ辿り着く。ほとんど森のようにも思える。昼間はリラックスしたい人がここでのんびりしたり、犬の散歩をしたり子供と遊んだりするような所なんだろう。
 でも今は夜。人ならぬものが蠢く時間。
 前を進む美禰子が、息を飲む。
「いたっ」
 視線の先には、俺達を見てじっと動かない羊がいた。
「それにしても可愛らしいな」
 どことなくシリアスな雰囲気だと言うのに思わずずっこけそうになる。何言ってるんだこの先生は。
「戦おうにも、やりにくくて敵わんぜ」
「先生にもそういう気持ちあるんだ」
 可愛いなんてさらっと言ってのけるのはある意味男らしいのかも知れない。何だその言い様は、と眉を反らし口を尖らせる先生。
「お前、ゴキブリがあんなに可愛かったら退治しにくいだろ? それと同じだ」
「ゴキって……」
「もー! 坊っちゃんたら、健三さんはゴキブリじゃないよっ」
 しかし確かに、色は白かったり黒かったり灰色だったり様々だけど、ちょこまか動く様は嫌われ者の総大将であるあの恐怖の虫に通じるものがないとも言えない、かも。なんて思っていると、あっちが動くか動くまいかドキドキしている状況も相まってどうしても被ってくるような気がする。
「なんかゴキに見えてきた……やだな……」
「もー三四郎まで! だから違うってー! 羊さんでしょー!」
「お前ら、ふざけとる場合じゃないぞ」
 はっ、と俺達の顔に緊張が走る。一般人が入って来れない、気付かないように結界を張るワガハイの尻尾がぶわっと膨らむ。来るぞ、の合図!
 びゅんっ、と風を切るのは木の枝の鞭だろう。あっちには開幕宣言も何もない。奇襲よろしく、突然撃って出る。とっさに後ろに飛んで躱したけど、身に当たるか当たらないかの際どいところに撃ちこまれるのは何の変哲もない葉っぱだった。見た目はそう、何にもないただの葉っぱ。でも多分、硬さは全然違うのだ。
「地面に刺さるかよ、普通」
「三四郎、大丈夫?」
 葉のカッターと言ったところだろう。美禰子に頷き返すものの、どう出るべきか。美禰子は果敢に攻めている。今日もどこぞのアニメのキャラクターよろしく、星型の衝撃波を撃ちこんでいる。
 俺の魔法。ワガハイに先生になってもらって、少しずつ実戦で使えるように強化と鍛錬を重ねているところではあるけれど、正直全然だ。水鉄砲バズーカのおもちゃの方がまだマシかも知れない。ぎゅ、と手を握る。
 あの夜のような強力な魔法を。あの羊一匹、一網打尽に出来るような。
 ビギナーズラックだったとは思いたくない。俺の魔力が全然ダメだとも、思いたくない。
 薄く目を閉じる。体に熱い線を一本ずつ、通していく感覚を呼ぶ。それに応じて、体内の魔力が冴え渡るような気がする。ふつふつと血液も煮えてくる感じ。
 でもまだ、するだけ。感じるだけだ。
「三四郎っ!」
 もっと精神統一すれば、と思っていたけれど甘かった。こんなの、逆に敵のいい的じゃないか。
 強い風にしなる枝そのものような鞭が、俺を強打する――そう思った。
 瞬間、熱気を感じる。飛んでくる枝の先がぼうっと燃えて、すぐに消えた。当然燃えた先は灰となっている。不思議と焦げ臭さは感じなかった。
「間一髪だな」
 煙草を器用に咥えている男の魔法の属性は炎。飄々としている普段の態度からは、あまり似つかわしいとは言えない。
「やってない宿題のことでも考えてたのか?」
「んなわけないっ!」
「まあ下がってろ」
 煙草ごとじゅっと燃やして灰にする。夜風がはらはらと散らしていった。羊は炎の魔法を見て、どうしてか気後れするように後ずさっている。ふふん、と先生は笑う。
「やっぱり火は苦手と見える」
 木や葉っぱを跡形もなく根絶やしにする為にはどうしたらいいか。切っても駄目、水につけても溶けるわけでもなし。それなら簡単な話。燃やせばいいのだ。
「素敵なパーティといくかね!」
 先生の左手に野球の球程の火炎が浮かぶ。パーティ。ケーキに灯される蝋燭か、とどこか暢気なことを思ったのもつかの間だった。それは右手にも量産され、ひょいひょいひょいっと爆弾を投げるようにストレイシープに飛ばされていく。慌て逃げ惑うのは当然で、ご自慢の魔法も炎の前に無力だ。
「坊っちゃんっ、あんまり痛めつけないで、一応私の旦那さんなんだからねーっ!」
「おっとそいつは」
 難しい注文だな、と言葉の割に浮かぶのは挑戦的な笑いだった。
「でもそれをこなすのが、教師ってもんかね」
「そうなの?」
 飛び火で火事にならないよう、ちまちま消火に回っていた俺は思わず呆れるけど、ニヒルに笑い返された。攻撃は私がするよっと一旦引っ込んでいた美禰子が躍り出た。
「くらえーっ、愛のむちっ!」
 ひゅんひゅん飛び出すのはどこかコミカルにも見える小粒の星屑。でもきっと当たると痛い。何せ愛の鞭なのだから。逃げ惑ってへとへとらしい羊の毛にぽこじゃか当たって、あと一発叩けば身動きも取れないだろう、と安堵したのが油断となる。
「わっ、何?」
 しゅるしゅると羊を守ろうとしてか、地面から何かの大きな根っこが生えてくる。根っこと言うよりはやっぱり堅い木の枝のようで、それらはぐるぐると羊を囲む。ちょうど虫の蛹のように自身を固めてしまったらしい。ぴくりとも動かない。美禰子の攻撃もびくともしない。星があちこち跳ね返る。この状態で網に通せるものなのだろうか。
「案外頭が悪いんだな」
 試してみないかと持ち掛けようとした時、また先生の言葉にかちんとくる。でもどうやら俺に言ったのではない。先生の目は羊の木製シェルターに向いていた。
 何をしようとしてか、一度目を閉じて。
 ぱちん、と、指を鳴らす。
「わっ!」
 ぼうっ! と羊を囲った木の砦が、火の玉同然になった。
「わわわっ、坊っちゃん何てことするのっ」
「大丈夫、外を燃やしただけだ」
 ほれと顎で指す。外枠はあっという間に灰になってしまって、中身の羊はと言うと、きょとんとして少し顔を煤けさせているだけで外傷は無い。
 どう堅牢に作ろうと木は木でしかない。燃やしてしまえばそれまで。何となく、三匹のこぶたを思い出した。燃やす展開じゃなかったかもしれないけど。
「よーし、それじゃさくっと回収回収」
 ご機嫌な様子で杖を振る美禰子。へばってしまってる羊をこれ以上痛めつけるのは、やっぱり外見が外見だけに可哀想と言うものだ。一件落着、と俺は息をついた。
(って、結局俺、何にも出来てなかったな)
 消火に回っていただけじゃないか。それなのに何を締めているのやら。やれやれと首を掻こうとした時に、感じた。
 ぴりりと走る、第六感。殺気、とも呼べるもの。
「美禰子!」
 危ない! の言葉は声にならなかった。言葉の代わりに、体が弾丸のように飛び出した。ひゃあっ! と出た美禰子の悲鳴は半分声にはなっていなかった。何が起きたかわかっていなかったと思う。
 言語化する暇など無かった。ただそれは目前に迫っていた。ぎりりと尖った葉の刃。多分頬かこめかみか、耳朶を裂いていくだろう。最悪、頭。でも大丈夫。多分血が出る程度。そう、いやに生々しい、明るくなんかない、黒々とした、赤い血が、少しだけ。――そういうことが全て感覚的に走っていった。
 ぎゅうっと目を、瞑る。
 受けた衝撃はけれども、打撃だった。予想していたようなびりびりと全身を走る裂かれた痛みとは程遠い。そして、俺もまた美禰子のように飛ばされていた。美禰子がそうだったように俺もやっぱり何が起こったか理解できないし、声も出なかった。
 ワガハイ? でもいくら魔法使い猫だからって俺を突き飛ばす程大きくなれるだろうか? それよりもっとありえそうな人がいる。一人だけいる。一人しかいない。
 先生。
「坊っちゃん!」
 さっきまでいたはずの所を振り返る。羊の放った刃は肩を傷つけて消滅したのか、先生――坊っちゃんは右肩を苦しそうに押さえていた。つうーっ、と痛みを堪えて息を抜いている。

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