もしもの時の連絡先として住所も教えてもらっていた。意外と学校から近いところにある。何となく先生というものは学校から離れた所に住んでいるという思い込みがあった。
「空飛んだら、道わかんねえよ」
「大丈夫だよー」
 美禰子の言葉に乗せられて、しばしの夜間飛行。暗いから、人に見つかる心配もない。空を飛べる魔法を習得すれば、時間も交通費も浮いて便利だろうなあと思いながら、俺は坊ちゃんの家をきょろきょろ探して回る。大体の住所の所まで来たが、やけに閑散としたところで、アパートらしきものもない。しかし住所を見ると、部屋番号が無い。一軒家か、どこかに下宿でもしているのだろうか。
「ねえ、あれ……じゃない?」
 美禰子が指さしたものをみて、少し目を丸くした。明かりは灯っているが一言で言うならば、そう。
「ボロッ!」
 美禰子が歯に衣着せず言う。そう。ボロ屋だ。またはあばらや。今時、昭和が舞台のテレビドラマにもあんな家は出てこない。申し訳程度に植えられている生垣も何だか貧相だった。例えるなら、貧乏家族が住んでいて、一杯のかけそばを家族みんなで分け合いながら、たくましく日々を過ごしている。人間が誰しも持つノスタルジーの原風景に直接訴えてくる何かが詰まっていそうな家、だ。かなり偏見が入っている気がするけど。
 近付けば近付く程、その老朽加減がありありと見えてくる。昼間に見たらもっと貧相だろう。うわあ、と唾を飲んだ。
「吹いたら飛んでいきそう、だな」
「そして桶屋が儲かる、んだよね」
「お、おい、縁起でもねえこと言うなよ」
「あう、ごめん。でも三四郎が吹いたら飛んでくなんて最初に言うからあ」
 ごめん、と俺も目を伏せた。でも本当に、強風や台風なんかで、さながらオズの魔法使いのドロシーの家のように飛んでいってもおかしくない。
 外見のことばかり気になったけれど、問題は住人の方だ。ここに本当に坊っちゃんが住んでいるのだろうか。単に道案内の俺が間違えただけで、全く見当違いの所に来てはいないか? けれど、携帯のGPS機能で照合してみても、ここは教えてもらった通りの住所なのだ。
「そんな馬鹿な」
「私、もっと近付いてみる」
 空から降りて美禰子は家屋の壁に耳を寄せた。そうするだけでも中身が筒抜けになりそうだ。当然建て付けも悪そうで、隙間風の大合奏も起きていそう。住むなら簡素なプレハブの方がずっといいかもしれない。
 俺も降りてみる。耳を寄せた場所近くに窓があった。カーテンが引かれているけど、明かりは漏れている。風にも負けそうな風貌にそぐわず、その光は暖かい。
 窓に映るのは人影だった。
 ふたつの人影が、不思議な影絵のように、だけど自然に動いている。
(坊っちゃん……?)
 なのだろうか。
 彼を意識すると、明らかに彼の声が中から聞こえる。本当にこんなところに住んでいたっていうのか? それに驚いて肝心の内容まではわからない。美禰子も坊っちゃんの声が聞こえたらしく、うんと頷いた。かと思えばはっと目を丸くする。そして、小声で。
「女の人の声、するよ」
「マジ、かよ」
 本当に、女性と同棲していたのか。思った以上に唖然としてしまう。別に美禰子の言ったような寂しいとか取られたとかでなく、純粋に驚く。
(ここにいる、女の人って)
 美禰子は知らない。その人がかつて誰かの婚約者であり、坊っちゃんは彼女を相手から奪った――かも知れない、と言うことを。
(うん。かも知れない、だ)
 あくまでまだ噂話だ。真実と決まったわけじゃない。
 けれど真実であるかも知れない。
(だとしたら? 俺は、何を)
 すぐ傍には美禰子がいる。思わず目を逸らして耳をそばだてる。俺が本当はどんなことを思って坊っちゃんのその噂に食い下がり続けているのか。
 それに、必死で気付かないように。
 そんな風に考えていた所為か、いつのまにか俺は美禰子より乗り出すようにして彼らの会話を盗み聴こうとしていた。気付きたくないそれから、遠ざかろうとしていたから。
 そんなことしても無駄なのに。

 そう。無駄。何もかも。
 もし俺が、そんな行動を選んだとしても。
 美禰子は、決して。

「三四郎、そんな近づいたら」
 それまでに何度か壁にぶつかっていた。その度音がこつこつし、服も当然ながら汚れていく。埃を払う音もする。
「誰だ!」
 だから気付かれてしまった。
 坊っちゃんの怒声が俺の耳に突貫して、次の瞬間に窓が開いた。
 俺は上ずった声をあげて飛び下がった。美禰子が右腕の方にしがみついてくる。
「三四郎じゃないか」
 暖かな色の光が、どうしても後光のように見えるのに、ありがたくは感じない。坊っちゃんはきょとんとした顔つきを崩さず、目を白黒させている。灰色の浴衣を着ていて、とても寛いでいる感じだ。
「坊っちゃん? どなたでしたの」
 そして彼の後から、見知らぬ女性が出てきた。彼と同じように後光を背負って。
 でも、想像していた容姿ではない。まず見た目からわかる年齢が、予想とは全然違う。
 第一、声だって。
(おばあ、さん?)
 優しく微笑んでいる彼女にはその光がとても似合っていた。菩薩のようだったし、聖母のようでもあった。

       8
せんせいのまほう 7につづく

ワガマホトップ
小説トップ

inserted by FC2 system