暮葉が車から出る前に、今日はお前も中に入れよと言った。まだまだ残暑めいた暑い日々が続くかと思いきや、今日は一転して秋の寒さが顔を出したような日だったので、あいつはそう言ったんだと思う。香織さんのいる場所は山に近い森のようなところだったから余計に寒い。車の中でも少し寒い気がする。
「は? いいよいいよ、二人で仲良くやってなさい」
 俺はその時どんな顔をしたんだろう。自分の顔は見ることが出来ないから解らないけど、俺としては別に何でもない風な顔、そして声で答えたと思う。暮葉は俺の顔を車の鏡で見ていただろうか。声は聞いている。そこに動揺は表れていなかっただろうか。
「いいっていいって。入んなよ。香織も喜ぶと思う」
「そうか?」
 じゃあ、行く、と俺は嬉しさを押し殺すように隠してそう言った。
香織も喜ぶと思う、なんて方便としか思えない。だけど本当かもしれない。いや、本当であってほしい、そう願う。そして車から出た。みっともないほど、わくわくする。
 この前偶然香織さんに会ったことを、俺は暮葉に言わなかった。香織さんも言わなかったみたいだ。暮葉からお前ら駅で会ったんだってな、という言葉を聞いたことがない。もしかしたら香織さんは教えていたかもしれないけど、そうだったら暮葉みたいな奴は何の気なしにずかずか俺に言ってくる。だから、俺と香織さんが会ったこと、香織さんを送ったことが――二人だけの秘密みたいで、純粋に嬉しかった。
 本当は、喜んではいけないことだった。暮葉がいる。そのことを俺は十分に解っていたから、何の気ない顔をして、どうでもいい風を装った。それが普通、そうするのが当たり前のように。






 暮葉は従兄弟で、同い年だけど、俺や周りの人々にとって弟のような存在だった。
やんちゃでいつも笑っていて、何でもやりたがって、何でも欲しがって、色々と融通がきかない奴でもあったけど、優しかった。本気で人が嫌がるようなことをしなかったし、いじめられている奴がいたら、いじめている奴にぶつかっていく正義感もあった。俺にはない潔さと行動力は、自然と暮葉に従うように、俺の生き方を作っていった。
 なんだかんだ言って、ずっとずっと続いているこの腐れ縁は居心地が良かった。変化のない関係というのは、苦しくなくていい。悩まなくていいし、変に気をつかう必要もない。そんな関係を壊して、後になって、ああ、あの関係がよかったんだと思うのは辛くて寂しいだけだろう。
 変化がなく、居心地のよい関係と、香織さんへの想い。
どちらを選んでも後悔するし、選ばないという選択肢もある。
 だったら俺は選ばない。気まずい思いをするのはごめんだ。どっちの事柄もあやふやで、何となく微妙なままでいい。そうしているうちに薄れていく。
二人が二人でいる、ただそれだけのことが神聖だ、ということを俺が一番わかっているんだ。
 卑怯だな。選ばないで、想いを俺は隠し殺そうとしているのだから。だけど、こうするのがいいんだ。
 俺は暮葉の笑顔を見ると、どうしても屈してしまうんだ。

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