俺はその後、何度か暮葉を香織さんの元へ届けた。遊び人のあいつが意外なことに、香織さんの元以外には行かなくなったらしいことが俺の感心するところだった。あいつが俺を足に使わずに他の女の所に行っている可能性もあったけど、きっと、彼女とは本気で付き合っているのだろう。家に入る時わずかに見えるあいつの、今までとは違う笑顔がそれを裏付ける。
 その割に、いつも「一時間ほどで済むから」と言って俺を外に待たせている。ただ家に行って、まったり茶を飲んだり喋ったりしているだけなんだろうか。そんなの今時小学生でもやらないだろ、俺はそう考えながら煙草を吸ったり仕事のことを考えたり少し眠ったり、それから香織さんのことを想ったりしていた。
 香織さんはいつも、出発間際まで見送ってくれている。これくらいの見送り、当たり前のことなのかもしれない。でもなんだか心に残る姿だった。天にはぼんやり明るい月があって、その光で香織さんや古い家や周りの森が、本当にうっすらと照らされる。俺は香織さんの顔をまだそんなにはっきりと間近に見たわけじゃない。それでも、彼女が菩薩のように柔和な顔で笑っていることは予想できた。そしてその笑顔が暮葉に向かっていることも、簡単に理解できた。
 二人は恋人同士だったから。


 そうしている内に、カレンダーをめくる頃になる。早いものでもう九月だ。9という数字を見ると、なんだか急に今年も終わりに近づいているなと思ってしまう。夏が終わる。秋が来る。そして冬が来る。
 九月になったと同時に、俺が所属するチームが担当していた仕事がひと段落つき、デスクの周りは来たる秋の穏やかさと足並みを揃えるような雰囲気に包まれる。同僚の一人がみんなでメシを食おうと言うので、五人くらいでぞろぞろとエレベーターに乗り込んだ。その時、同僚の一人が、俺が暮葉を乗せているのを見たという話になったので、俺はそのことについて説明をした。別に隠す理由もない。
「ふーん、さすが社長の坊っちゃんだなあ」
「気まずい……ですよね?」
 後輩の女子が恐る恐ると言った具合に訊く。
「別に?」
「おお、言ったよこいつは。かっけえ」
「かっこよくもなんともねーだろうよ」
 隣の並木という同僚はにやにや笑って俺を小突く。
「なんだよ」
「誰かその内から一人くらい、紹介してもらったりしたんだろ」
「されてない」
 俺はやけにきっぱり言う。ここには女が二人もいるっていうのに昼間からそんな話はしたくないし、何より……
「あいつのものには、手ぇ出さねえよ」
 その言葉は、自分で言ったものなのに、どこか妙に、誰かから言葉の暴力を受けたように心に響いた。変だな。
並木の奴は笑っていたのに、急に真面目な顔になってゴメンと言う。エレベーター内の空気が澱む。俺の所為か?
 息苦しい状態がしばらく続くかに思えた。
「何、食べようかな。みなさん、何食べます?」
 ずっと黙っていたもう一人の女子――都築さんが呟いた。その言葉に並木も、並木以外の同僚も自分の食べたい物をつらつら並べていって、その様子はまるでしりとりみたいだったので、みんな自然と笑っていた。気まずい空気が一瞬のうちに、嘘のようになくなった。
 エレベーターの扉が開く。俺は出る時に都築さんにありがとうと呟いた。都築さんは心なしか頬を染めて微笑んでいるように見えた。

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