告白の言葉がどこかへ消えてしまった。むつみがそう涼香と茜に教えると、茜は至って普通に、急だったからねと言い、涼香も少し考えて、明日は大丈夫よと笑った。
 火曜日の補習一時間目は理科ではなく社会科目で、むつみは茜を伴わず世界史の補習に参加していた。シャーペンの芯をかちかち出しながら、彼女はノートの片隅に書いた。告白の言葉だった。読み返してみて、小学生の作文みたいだな、とひっそり顔を赤らめた。私は、とむつみは心でつぶやく。


『私は、火崎先生のことが好きです。四月に初めて会ったときに、好きになっていました。
 理由はわかりません。でも、私のことを考えてみてください。
 私は、先生のことが好きです』


 本当は、理由は自然と思いつくだけたくさんある。高い身長、クールな目つき、気だるげに見えるが結構生真面目なところ、少し冷たく聞こえるが優しい声。むつみの目に見える、彼の要素全てがむつみを魅了した。それだけでむつみの小さい体に大きな愛があふれるのだった。
 好きです、好きです、と胸のうちで繰り返す。今日こそ言えるだろう。今日は大丈夫だ。こっそりむつみは笑った。
 補習が終わり、涼香と茜に会う。昨日と同じ要領で忠道を誘い出して、同じ場面がまるで昨日からそっくりそのまま持ってきたように始まった。
「私」
 今度こそは大丈夫だと思った。しかしだ。
「……あれ?」
 昨日と同じで、また、続かない。続けられない。
 また、ぱっと頭が真っ白になる。言葉がむつみを笑って彼女から逃げていく。
 おずおずむつみは忠道の顔色をうかがう。
 忠道はいつもと驚くくらい変わらない顔色だった。しかしむつみの顔を見る目の色は心配してくれている。
「大丈夫か?」
「あの、すいません! ごめんなさい!」
 そしてまたむつみは忠道を残して講義室を去っていってしまった。




 水曜日になった。また一時間目から理科科目である。地学はむつみの他に参加している生徒が少ないので、むつみは自分の存在が、忠道から見て浮き彫りになる事実を恐れた。そして本当は顔をあげて授業を受けたかったのに、うつむいている今の状況を悔しがった。
 そして、涼香と茜に会い、三人は再び職員室に入ってゆき、また同じ場面がまるで楽譜のように繰り返され、同じ様にまたむつみから言葉は逃げていった。三回も失敗してしまった。ごめん、とむつみは泣きそうな程か細い声で涼香、茜に謝る。
「恥ずかしいのよ」
 さすがに涼香は苦笑いをして言った。
「面と向かっていうわけじゃない。出るものも出なくなるって。明日は電話でやってみよう、電話で!」
 むつみは申し訳なくて二人と目が合わせられなかった。こくんと頷いてその日は終わった。





 木曜日、時間だけがいつのまにか過ぎて、また月曜日と同じ様にむつみの隣に茜がいるのだった。その時間になってやっとむつみに今日という日が今日であるという自覚が起こったのである。三日も告白しそこなったということをまざまざと感じた。
 学校近くのショッピングセンターに入り、涼香と茜とむつみは昼食を済ませた。それから忠道のいる職員室へ電話をかけようと、茜の携帯電話を貸してもらう。むつみは二人と違ってまだ携帯電話を持っていなかった。
 かけることはそうそうないと思っていた学校への電話番号をそっと押していく。一つずつボタンを押していくたび、むつみがたたずむ闇の中に光の階段が浮かび上がってくる気がした。電子音の後に事務室の人が応対し、むつみは、火崎先生はいらっしゃいますかと言う。同じ空間ではない、別の空間でまたむつみと忠道は二人きりになれるのだった。好きな人の声という、恋をしているものにとっては神聖な何かだけが頼りの、一見脆そうで、しかし相手が確実に相手であるという空間。
「もしもし。火崎ですが」
「……せんせい」
 二人を繋ぐ一本の波が、お互いの声で揺れる。
「なんだ。藤野か。今日もどうした?」
 忠道はむつみのそぶりに、恋の漢字一文字をちっとも浮かばせてないらしい。それが悲しくもあったが、そこでへこたれるのは今のむつみにはいけないことだった。今度こそ、想いを伝えなければいけない。
「先生。あの、私、私」
 むつみの目の前に忠道はいないのに、電話の方がよりむつみの鼓動が伝わるのではないかと思うと、手のひらに汗が滲んできた。
「私」
 そして、またむつみは言葉を失う。
「わ、た、し……」
「藤野?」
 そろそろと力なく腕を垂らし、電源を押し電話を切ってしまった。
「むつみ?」
 涼香がむつみの肩に手を置く。むつみは少し震えていた。茜は二人に対し何かを思っているような顔つきをしていたのだが、むつみはうなだれていて一向に気付かなかった。涼香が大声で名を呼ばなければ返事が出来なかったくらい、むつみは憔悴していた。ただただ頭の中がぼんやり白くなっていることしか記憶になかった。





 忠道は受話器をしばらく見つめ、そして置いた。自分の机に戻ってしばし仕事をしていたが、立ち上がり、給湯室の方へ行く。
「新谷先生」
 と行く途中にむつみ達の担任に声をかける。
「生徒の情報見せてくれませんか」
「ああ、はいはい」
 簡単に教師は忠道にファイルを渡した。少し無用心だと思いつつ、ぺらぺらめくり、むつみのページに辿り着いた。そして忠道は生年月日を見た。
 十月三十日。むつみはさそり座だった。
 忠道は、むつみの顔を思い出しながら、むつみがさそり座ということをずっと考えていた。

      7
花火 後編に続く
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