「李白」


 そして彼女の名を敬称もなく呼ぶが、目の前で呼んでみても彼女は反応しなかった。死という結果が、李白を悲しみの底に押し付けていた。まっさらな世界の檻に、李白は囲まれている。
 そこから、李白は抜け出せないようだった。だから、花火は彼女を抱きしめることで、少しでもこちらの世界へ引き戻してやるしかなかった。李白は一瞬うろたえたが、まだ慟哭は花火の胸の中で続いた。


「李白。少し話を聞いてくれないか」


 李白は赤く腫れた目を開け、声を止めた。他の四人も、花火の低く小さな声に自然と耳を傾け始めた。



「俺は昔、自分の妹を殺そうと思った」



 花火は目をゆっくり伏せ始めた。まぶたの裏に妹、花依の姿が甦る。花火の言葉は衝撃的なことではあったが、不意に漏れた声がないところから、不思議に全ての耳に抵抗なく流れ込んだようだ。周りの音が、すっと、花火のために道をあけたように静まっていく。


「異母妹だったけれど、母の、仇の娘だった」


 花火の母の話は、与一とオーレは知っていた。
 花火の父の側室であった花依の母は、正室と、そしてその子供である花火を殺そうとした――という話である。
 毒を盛られた花火の母と花火は一緒に土葬されたが、花火は生きていて、後に救出されたという。その後、花依はとある村の村長夫婦の養子として棄てられた。花火が、死体となった母と数日を共に過ごした凄惨な記憶が、今の彼を支える一つの柱となっていることは、彼の言動や性格からちらちら窺えるものだった。
 花火は、李白を少し強く抱きしめる。


「だけど、――殺そうと思って何度も会っていくうちに、あいつの許婚やその友と仲良く楽しそうにしているのを見ていたら、いつのまにか俺は、妹の幸せを、願っていた」


 白い光の中に、花依の姿がくっきりと浮かんだ。花火に対して、穏やかに微笑んでいる。両隣に、花火と同じ運命に生きる二人が浮かんだ。
 お兄様。花火。花火さん。
 三人が呼ぶから、花火は道を進もうとする。しかし、声が花火の足を、手を縛る。


 お兄様。私を殺しにきたんでしょう?
 私――知ってたの。
 私の母が、お兄様のお母様を殺したこと――


「妹は全部知っていた。そのことを今はの際に教えてくれた。
 そして俺がもともと、妹を、花依を殺しにきたということも、すべて教えてくれた」

 いくら自分が、陽姫を中心に巡る運命を担っているからといって、花火がそう思っていたことは事実であり、花火からその過去は消えないのである。

「それだけで俺がどこまで、黒ずんだ卑劣な者かは解るだろう」

 李白は答えない。李白だけに聞こえる花火の胸の音が、伴奏のようだ。
 花火の告解は、花依に向けられている。

「なのに妹は俺を信頼した。信乃の――許婚の大事な刀を、俺に託した。
 だけど、俺はその刀を俺のために振るった。妹を裏切ったということだ」

 主君と、一家の仇討のためだったが、それは結局果たせず、刀は信乃のもとへ帰り、今に至っている。

「そして俺は今を生きている。本当ならばもっと早くに、もっと前に、死ぬべきなのだが」

 再び花火は李白を少し強く抱きしめる。李白の鼓動が花火に伝わるのではないかと思い李白は焦るが、そうするともっと鼓動が高鳴る。


 もっと前に死ぬべきという言葉に、スピカは共感を覚えずにはいられずに鼓動を速めた。しかし妙にカーレンの存在がちらつき、結局はうやむやになる。水に濡れたカーレンの髪を伝う雫が、ぽたりと落ちる。


「死んでしまった者に、何を言っても儚い言葉になるが――
 自分を殺さずに、生きなければという気になる。
 ふとした瞬間に、妹の死も、家族や乳兄弟の死も、皆、俺の死を引き起こそうとするが、その度に生きなければと思う。

 その「死」でなく、生きていた「存在」が、その気にさせる。
 そして自分の運命と戦わなければ、死んでから妹に笑われる感じがする」


 お兄様。信乃様をお願いしますわ、と言って、花依は死んだ。信乃もまた、花火と同じ運命に立っている。


 そこまで言うと、ふと花火は自分の頬に熱い涙が走っていることに気がついた。


 言い訳に過ぎない。そんなことは花火自身よく解っていた。星座の蠍も、巨人を一撃で殺してしまうような危険な生物であり、結局は邪悪なものである。
 どう言いつくろっても、花火は妹を殺そうとしていた。変わらない。

 だが、花火が生きることに貪欲なのは、仇討ちというつまらない野望などに突き動かされているからではない。
 花依の死、家族の死が――かつて生きていた存在が、花火を駆り立てているからだ。もっと生きたかったエネルギーのかたまり達が花火を現実に、運命の前に据え付ける。それは苦しいことだ。
 しかしその苦しさの後ろにあるものに、いつも花火は神聖なものを感じる。


 李白はもう大声を出さずに、静かに涙を流している。李白にもその考えが、その想いが届いたようだ。
 李白はもう揺れることはなく、花火の胸に熱い、生きた雫を垂らしていた。李白はもう少しこのままにしておいた方がよさそうだった。

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