揺れない天秤





 まずカーレンの頭に浮かんだのは雲一つない夏の青空だった。
 その次に空間を埋めたのは海と浜辺、そしてマーラだ。マーラの肌はその空間のある火の島において病的に白く、髪は夜を再現するように黒く、目は体中を流れる血を、瞳にそのまま閉じ込めたように赤く燃えている。そして怪しく嗤っている。
 お姉ちゃんとカーレンは呼んだ。見上げているのはカーレンが小さいからだ。マーラがしゃがむ。そしてカーレンの服の端をつまみ上げる。色気など微塵も感じさせない下腹部に白い手が触れた。カーレンの肌は燃えるように熱くなった。

 何しているんだいと大声がする。おばあちゃん、とカーレンは、何もなかったような響きの声を出す。ハーツ――カーレンの祖母は走ってカーレンをマーラから奪い取った。そして巫女になりたての小さな娘をひしと抱きしめた。カーレンにはその行為がどういう感情からなされたものかわからない。カーレンはマーラから何も感じ取れずにいた。振り向くとマーラは依然嗤っている。
 マーラはカーレンを見ていた。カーレンの鎖骨辺りを見ていた。


 カーレンの、蟹座の姫であるしるしを見ていた。













 自分を呼ぶ声がする。意識の深淵でカーレンはそう感じた。遥か遠いところからのように聞こえたが、それはスピカの声だった。スピカの声に間違いなかった。なら近くだ。スピカは自分の近くにいる。何故だか、そう思った。
 スピカはすぐそばだ。


「――スーちゃん」


 彼を呼ぶと同時に、カーレンは目を開いた。
 スピカはじっとカーレンを覗き込んでいた。青の鋼玉のような目と、青く垂れる髪と青白い肌。彼を構成する全てが、赤のカーレンの瞳に染み込んだ。

「よかったあ。大丈夫か」

 安堵の息をつくスピカ。カーレンは自分に何があったかを、詳しく覚えていなかった。水の化け物に喰われるまでは覚えている。自分の体がぐっしょりと濡れているのはそのせいだけだと思っていた。
 李白邸の巨大な池の傍に、カーレンは横たわっている。スピカの他にきちんとオーレ、花火、与一、そして李白もいた。

「私、どうなったの?」
「池に落ちた」
 池に? とカーレンは驚く。
「スーちゃんも、びしょ濡れ」
「……僕が助けたんだよ」


 それを認めるのが恥ずかしいというようにスピカは目を逸らした。
 池に入って冷たいだろうに、少し頬が桃色に咲いている。
 カーレンはぼんやり彼を見ている。


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