「スーちゃん」
 カーレンは、自分が危険な目にあった天守に登って、呼びかけた。

 スピカは甍の波に優雅に足を伸ばして座っていた。冷たい秋風が彼の甘く柔らかい青髪を揺らしていた。肌は月光に冴えて、いつもより神秘的に白い。
 視線だけカーレンに渡す。カーレンはスピカの隣に自然に座った。

「助けてくれて、ありがとう」
 カーレンの声はスピカだけの特別な何かのように、スピカには聞こえた。
 空は群青で秋の星座が姿を披露し月は二人を照らしていた。

「怒ってる?」
 一瞬スピカにはその言葉の意味が解らなかった。しかしすぐに玉響のことに行き着くと、
「怒ってない」
と言った。自分でも驚くほど何の躊躇もなかった。
 もちろんあの時には赤く煮えたぎる憎悪や殺意やそんな生の人間が持つには強すぎる精神を武器にしていて、それでも失敗したというのに、スピカはおそろしく静かだった。
 カーレンの左目が少し、彼を見つめた。

「あの人が、スーちゃんの」

 この先をカーレンは言いたくない。
「そうだよ。家族の仇だ」
 スピカの夢は、あの恐怖を生む男を殺すことといつか言っていた。カーレンはスピカが髪飾りを外して、両手で大事に持っていることに気付く。

「ごめんね」
 カーレンは視線を、華奢で、刺青の入った両手に落とした。
「別にいい」
 それと、と付け加える。

「ああいう風に、自分を見失わせることが、あいつの狙いだったのかも知れない。
 そして、乱す」

 スピカは息をついて青い髪を弄ぶ。くせっ毛で、いろいろな方向にくるくる巻いている髪だ。
「お前が止めてくれて、よかった。礼を言わなきゃいけないのは、僕の方だ」
 二人はようやく向き合った。


「ありがとう」


 しかしスピカはそっけなく礼を言った。カーレンは全く気にしていない風に笑った。


「どういたしまして。
 ……あの人は、怖いね。まるで、私達のすべてを見られているみたいで」
「怖い?」
「怖かったよ」
「お前の姉さんにも、それくらいの怖さを感じたんだ」
「そうなの? あ、お姉ちゃんっていったら、夢で」


 カーレンはうつむいて、水の中で見た幼い頃の夢の風景を思い出そうとするが、いくら思い出そうとしても、意味のない断片だけしか掬い取れない。


「夢で?」
「思い出せないや」


 苦笑して顔を上げた。月が笑っている風に見えた。二人は同じ月を見つめた。
 月よりもいくらか下の方に、山羊座の逆三角形がくっきりと浮かんでいる。

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