矢は屋敷の地に突き刺さった。ネフェレは元々鋭い目を更に鋭くし、叫んだ。
「みんな! 行くわよ!」
 そして同じ時に、プリクソス村長も置いた声で叫ぶ。
「行くんじゃ!」
 茂みに隠れていた壮年の男達が束になって野太い大声を上げながら門に突撃していく。手には刃が欠けた剣、農作業で使う鍬や斧などの刃物が握られていた。ニコの見解通り、門には鍵がかかっておらず、拍子抜けするくらいすんなり侵入出来てしまうが、そのことで彼らの勢いは落ちない。屋敷の扉が開く。中からは大勢の召使い達が出てきた。一部の者は窓を割ったり、屋敷の一部を壊したり、日頃の鬱憤を晴らそうとしている風にも見えた。
 男達は三つに分かれ、中央は屋敷の中へ、左右の分隊は屋敷の東西に位置する小屋へ向かう。その勢いのまま、小屋の扉を粉砕する。
 中からこぼれて出てきたのはいずれも女性であった。目に涙を浮かべて男達に抱きつく者もいた。具合の悪そうな女性達に男達は次々肩を貸す。
「よし、俺達も救助に行こうぜ」
 残った中央の男達はきっと屋敷にいるイーノーを捕縛しているだろう。もしくは屋敷にいたかもしれない娘達を救出しているだろう。ニコも与一達に従う。中から出てきた人々の中にチルチルが見当たらないのは、もしかしたらまだ屋敷にとどまっているかもしれない。
「待って。彼がまだ中に」
 途中、救助された女性が村人にそう言っているのが聞こえる。アルゴ村からは男性も攫われているのだ。ニコが見たところ、小屋は大きい。奥の方に青年達がいるようだ。
 ニコと太望は東側、与一とスピカは西側の小屋を見る。大丈夫ですか、とニコは声をかけようとして、止まった。
 暗い小屋の中で妖しく光るのは、血のように赤い目。
「きゃああっ!」
 それに気づき一瞬も過ぎないうちに、赤い目は小屋からばねの如く飛び出し、屋敷外へ出ようとする女性達、男性達に襲いかかった。赤い目をしているのは青年達だ。顔はまるで、皆同じ仮面でもつけているように、表情が一つしかない。獲物を狙う獣の如き表情だ。両方の小屋から出てきた赤い目の、自我を失った青年達は多い。村の青年全員だからか、壮年陣、そして女性陣に次々と暴力を振るっても疲れる様子を見せない。
「おりゃあっ」
 太望が女性に向けられた打撃を背中で受け、そのまま軽く体当たりして女性を外に連れ出したが、彼女は言う。
「助けてくれて、ありがとうございます。――さっきの人はその、私の」
 恋人なんです、と空気にそのまま消えるようなか細い声で伝えた。太望は途端に気の毒に思う。
「それは、悪いことをしてしまった」
 太望は戦いが始まった屋敷に目を向ける。村人達は各々武器を手にしているものの、一歩踏み出せず攻撃しようとはしていない。中には襲いかかる青年達に、必死で自分の存在を呼び掛けたり、訴えたりしている人々も大勢いた。太望は何とかしましょうと女性に言い、外で待機している村人達に彼女を任せ戦地に向かう。
 更に波は来る。太望は身を戦地に入れた瞬間、屋敷の茂みから何かが飛び出す。その何かの目も赤い。
 黒い毛の、狼に似た犬だ。
 遠吠えをした。耳を塞ぐ。すると村人達を狙うように茂みから犬が、どんどん飛び出す。
「早く、逃げて!」
 スピカが促す。
「ここは俺らに任せな!」
 与一が引き受ける。太望は女性達や村人達の手を引いて、村長達が待機する場へ一度退避する。彼らの表情は家族や友達、想い人の変貌に驚きを隠せず、また心配している者が多く見られた。太望はその心情を受け止め走る。
 ――いつかも、似たようなことがあったと、そう思いながら。そのいつかの情景の中に太望と幼いニコと、一つの死体と一つの首がある。
 時が経ち過ぎているのに、あまりにもそれは鮮烈すぎるものだった。

  3   
プリパレトップ
novel top

inserted by FC2 system