チルチルは暗闇で目を覚ます。光は扉の隙間から洩れる頼りないものだけで、とても闇を、陰程度までにすることは出来そうにない。チルチルの日常に組み込まれていない光景だ。そしてチルチルは夜に起こった、チルチルの常識や考え方が大きく砕けた事件を思い出す。
闇はチルチルの中に気持ち悪く入り込んで脳を乱し、思い出したくないことを、無理に呼び戻す。人身売買、貴公子の取引、イーノーの妖しい変貌、自らの失神。全部本当なのか。そうなのだろうか。チルチルは揺れる。顔を包む。少し濡れた。涙だ。
全て現実だから泣いているのだ。涙は熱い。視界は真っ暗だから、ぼやけない。
誰か、誰か、助けて――そう思う。
自分が何とか生きていける世界に、自分を連れて行ってほしい。
チルチルは祈る。必死に、指を組んで、肌に食い込むくらい。
しかし祈る中で、何か違和感を抱く。
本当に自分は、そう思っているのか。
誰かをずっと、待つことが出来るのか。
いや――
違う。
チルチルは涙を拭う。
「そんなんじゃだめだわ」
自分から動くのだ。がむしゃらにもがいて傷だらけになっても動いていく。自分のことなのに、驚くほど自然にそう思う。何かに導かれたように、それが当たり前のように。
起き上がった、その時である。
「チルチルちゃん!」
ばあんと扉が開く。大量の光がチルチルに射した。思わず目を閉じ、しかし顔は背けずに、声の主を見た。
ニコだ。
左手から光を零す少年だ。
「ニコくん……」
チルチルは彼の姿を目にも心にもはっきり映した。ニコは柔らかに笑っていた。光とその笑みは、チルチルが夢見ていた、存在しないものと同じ重みがあった。
厳密には、存在しないと思っていたわけではない。ただ、巡り逢えないとは思っていた。どんなことにもまっすぐだと自負していた自分にも、それだけの絶望を、感知されない度合いで持っていた。
そんな――王子様だったからこそ彼女は抱きついたのだった。
「ニコくんっ!」
「えっ、ちょっと、チルチルちゃん?」
狼狽するニコの左手は再び強く光った。珠の光は、また別の方向を示した。