和秦から東に遥か彼方、遠く離れた海の向こうの国に、ニコと太望は旅を続けていた。
里見を出た頃は夏の終わり、秋の始まりという風な季節であったが、もう秋も盛りを過ぎるようで、ニコの歩く道には枯れ葉が多く見受けられる。それでもこの東の国はまだだいぶ暖かい。今日もニコはそれほど厚着をしないで出掛けた。
 姫らしい人物がいそうな村や街を訪れてみたが、あざのことや青い珠のことについての情報すら得られない。どんどん次の集落を目指す内にニコと太望は森に入ってしまった。森に流れている川のほとりで、今日の進行を切り上げることにした。太望は趣味の釣りを久しぶりに楽しみたいらしく、ニコはどこかに人家がないか探したかった。だからニコは森を歩いていた。
 するとしばらくしてニコは整った生垣を見つけた。それは高く、大きい。それにそってニコは歩いていく。どこかに入口はないだろうか、しかし裏口すら見つからない。相当広い家らしい。ニコの背が子供ゆえ、まだ低いのと、生垣が高いのとで家の姿が見えてこないということは庭だけでも十分に広いのだろう。
 ニコは高い木が幾本も庭から生えているのをみて一つ思いつく。生垣に飛び移ってさらにその高い木に飛ぶ。上手に枝に手を伸ばせたので侵入に成功した。
(ごめんなさい)
 ニコは苦笑した。仁の心を持つ少年の心には、忍びない行動だった。
 頑丈な枝だったので彼は腰かけた。広い家、いや館である。さすがに瀧田城ほどではないが、小さな城として通りそうである。二階建て、がっしりとした柱に堅そうな壁、複雑そうな造り、母屋から離れて点在する小屋、そして何よりニコの目をひいたのは光り輝く庭であった。もちろん太陽の光がきらきらしているからであろうが、晩秋だというのに花がいきいき咲いているのだ。遠くからでなく、近くで見たいとニコは木から降りてみる。幸い、ニコの周りには誰もいないようだった。城ではなくやはり普通の人家だから見張りも少ないのだろう、とニコは申し訳なく思いつつさらに侵入していく。
 そしてニコの眼前に花畑が広がる所まで来た。あの世とこの世の境はこれくらい美しく光をこぼし、風に揺れる可憐な花畑が広がっているのだろう。ニコは息もつけない。桃色、赤色、黄色、白色の花弁、そして豊かな緑がきらめく。もう少し、ニコは進んだ。すると腰をかがめている人の姿が視界に入った。
 手をせっせと動かしているところを見ると庭師なのだろう。肘まで手袋をして土を掘ったりかけたり整えたり、大きな鋏で余分な葉を切ったりしている。体型はというと、ニコと同じくらいかそれより年少の、幼児体型に近いものである。てきぱき動く指はよく見ると小さいし、髪はまだまだ子供らしいつやに満ちている。そしてスカート姿であることからこの人物は少女であることがわかった。白い服に黒いエプロンだけで作業しているので体は汚れないのかなとニコはちょっと心配した。ふわりと風が吹いて、少し奥に生えている木々の梢が鳴る。
 その時、少女は振り向いた。クリーム色で、髪がくせになって二つに分かれている頭が動き、顔が現れる。大きな目に、つぶらな唇、小さな鼻、白い肌。ニコをまっすぐに、しかしきょとんとして見つめている。
 ニコが何より心奪われたのは瞳の色だった。その場の花に存在しない色であり、ニコと太望が最も求めている色だ。
 空と海の間に存在するような、青。
「あ、ごめんなさい」
 ニコは咄嗟に言いその場から離れようとして後ろに足を進ませたその時、
「ああっ!」
と少女が物凄く速くニコの位置まで駆けてきてニコの体を突き飛ばした。あっという間の出来事で、今までこんなに活発で突飛な行動する少女に出会ったことのないニコは、突き飛ばされて土の上に転がりながら唖然としていた。
「お花が! せっかくいい感じに芽吹いたのにい」
 少女はニコの立っていた場所を痛ましげな目で眺めていた。それを聞いてニコはすぐ正気に戻って少女と同じ位置に目をやる。確かに、ニコや少女の指ほどもない小さな双葉が何本も萎えていた。ニコは心に、数えられないほどの打撃を受けたように感じすぐに小さな生涯の始まりを立て直していく。
「ごめん! 他の花は大丈夫? ああ、ここもだ。こんなことになって、もう花は咲かないのかな、ああどうしよう、大丈夫かな」
 目の前の美しい花々に視界を盗まれて、小さな命を犠牲にしてしまった己をニコは恥じ、心の底から悔やんだ。少女はせっせと直していくニコを意外そうに見つめ、少し笑う。
「? どうして笑うの」
「すごく真剣なんだもん」
「だって、どんなに小さくても命は命だよ! たくさんの人が死んでいっちゃうからこそ身近な命を大切にしなくちゃ……」
 ニコはそう言いながら和秦の各地で続く戦で散った命や、ニコ達を前進させるべく死んでいった、ニコの父母も含めた人々の命を想い、秘かに冥福を祈った。祈ることしか出来ない自分をニコは不十分だと思った。ニコは慣れない手付きで植物をいたわり続けていた。
 少女はしばらく沈黙していたが、そうだね、と相槌を打った。そしてニコの隣にかがむ。
「でもね、少しはこういう困難がなくちゃ、強くてしっかりした茎やきれいな花にならないんだよ」
 ニコはその言葉を聞いて手を止めた。少女の言葉は本当に花だけのことについて言っているのだろうかと思って少女を見る。青い目の少女は自然と笑っていた。
「わたしが目印をつけなかったのもいけないからねっ」
 にこにこして彼女はニコの顔を見つめている。

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