ニコと太望、二人の仲間に協力しに行くスピカは準備を終え、陽仁とシリウスへの挨拶も終えて城を出ようとしていた。与一は朝食を終えてからすぐ港の方へ出発の準備をしに行くと言って、先に城を出てしまっていた。与一の行動力の速さは毎度のことながら感心してしまう。スピカはなかなか動く気になれない。
 太望は、実のところスピカが始めて出逢った運命の仲間であった。仇を討つチャンスを待っていた頃で、それは今からそう遠くない昔であった。昔だろうか、とスピカは妙に感じる。
その頃は、見るもの、聞こえるもの、出会うもの、全てを鋭く目で斬りつけていたような気がする。今でも、まだそんな気がする。仇に向かう殺意を込めたその熱情を、何食わぬ冷静な顔つきで隠していた。仮面が外れる時は太望に出逢ってすぐに巡ってきた。その時オーレも近くにいた。そして、つい最近にもその熱い――どろどろした塊が発現した。その時、傍にはカーレンがいたのだった。
 そういえば朝食以来彼女を見ていない。別に黙って別れてもいいとスピカは思った。しかしそう思った途端、黒い、もやもやしてうっすらとした、それでいて汚く気持ち悪いものが心に広がった。何故カーレンのことを、そう思っただけで、不快にならなければならないのだ、とスピカは憤って土を蹴った。口を尖らせ、不愉快全開な表情で前に進む。
 しかし城門のところにカーレンは立っていた。スピカの姿を見つけて笑って手を振っている。スピカの心の黒いものは急にしぼんでいった。表情は依然ぎこちなかった。カーレンはいつものワンピースとは違う服を着て、こちらを見て笑っている。些細な部分だけがいつもと違うというのに、彼女をよりキラキラさせているようにスピカには見えた。
「スーちゃん」
 変わらない声と言葉でスピカを呼んだ。
「お前、今までどこにいたんだ?」
 自分の声が、ぎこちなく聞こえた。
「ちょっと雛衣さんのところ。スーちゃんのこと、見送ろうと思って」
 見送るのに何故雛衣のところへとスピカは思う。オーレの見送りもしたのだろうか。
 スピカはまじまじとカーレンを見つめた。巨蟹宮の焼け野が原で襲いかかった悲しみにスピカの手の熱を求めた彼女は、もう心に仕舞い込んだらしい。いつもと変わらない、穏やかで優しい笑顔だった。
「そうだ」
とスピカは腰辺りから何かを取り出した。それは赤い紐が巻かれている何かの鍵だった。乙女座の紋章が施されている。
「処女宮の鍵。好きに出入りしていい。戸締りよろしく」
 目をぱしぱしまたたかせながらカーレンはずっと鍵を見ていたが、次第に笑顔が戻ってきた。スピカが心に散らばらせた黒い、不快なものに対する謝罪のようなものだった。カーレンはそのことを知らないが、スピカがそうせずにはいられなかった。顔が赤くなっている気がして、ぷいと顔を逸らす。
「私はねえ。スーちゃん手首出して。左でも右でもいいよ」
 何をされるのかと思いつつスピカは左手首を出した。カーレンは持っていた小さな袋から黒い紐を出して、スピカの手に巻く。
「何だこれ」
「スーちゃん。巻いて」
ともう一本黒い紐を出して、さらにカーレンは左足をスピカにさし出した。左足首に巻けとのことだろう。自分で巻けばいいのに、と文句をこぼしながら身をかがめて黒い紐を結んだ。
「これはね、島で流行ってるおまじないだよ」
「……どんな?」
「スーちゃんが無事に帰ってこれますようにっていうの」
 体勢を直したスピカはもう一度穏やかに笑うカーレンを見た。同じようににこにこ笑っていた。スピカは自分だけ驚いているのかと思った。おそらく、そうなのだろう。
「紐がほどけなかったら大丈夫」
と、スピカの左手首を指さす。
 それから先二人は無言だった。スピカはまだ驚きながらもカーレンを見ていた。カーレンはやっぱり微笑んでいた。驚きが落ち着いてきたスピカは急に、カーレンの髪をそっと撫でた。それは突飛な行動だったのでカーレンは真顔に戻ったが、すぐに微笑みが帰ってきた。
 春のような日光が二人に注いだ。しばし幸せのような時間が、二人の間に流れた。

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