「あの、このお屋敷は?」
「ここ? ここはアルゴ村の領主、イーノー様が住んでらっしゃるメーテルリンク家のお屋敷よ。わたし庭師もやってる召使いのチルチルっていうの。あなたは?」
 チルチルは首をかしげる。結んでいるように見えるはねた髪が揺れた。
「僕は、ニコ。えっと、海の向こうのずっと遠い国なんだけど、和秦っていう所から来たんだ。……知ってる?」
「和秦? 西の方の島国でしょう? 奥様……イーノー様が少し前にそっちにお出かけなされたの。知ってるわ」
 チルチルは目を細める。故郷を知っていて心持ち嬉しい気分になったニコは、立ち上がって花畑に再び目を向ける。やはり美しい。眩しい。
「この庭は全部チルチルちゃんが?」
「そうよ! すごいでしょう」
 チルチルも伸びをしながら立ち上がり、顔の向きをあちこち変えながら色彩の溢れる庭と自分の力に満足しているようだった。
「ずいぶんいろんな花が咲いてるよね。秋の花だけじゃないみたい」
 ニコの目には秋を代表する、小粒だが群れになって咲く菊や風に揺れるコスモス、萩の花に、少し先には赤くて繊細な工芸品のような彼岸花もある。足元に注意しながら少し奥へ入ると青い花を見つけ、ニコははっとする。
「青い花」
「リンドウよ? この前咲いたの、キレイでしょっ」
 ニコはただ頷く。夜、天の川でぼんやりと照らされる夜空のような美しさの前にニコはただ静かに感動した。青の姫を見つけたらきっとこの感情が甦るのだろうかとも思った。
「すごくきれい。和秦でもこんなにきれいなの見たことない」
「ありがとう。お花もきっと喜んでるわ」
 そしてニコは改めて庭を見回す。秋の花も勿論だが、この庭にはまるで四季を凝縮させたようだ。春によく咲く鈴蘭、薔薇もあれば、冬に見かける水仙も少し咲いている。それ以外にもニコの知らない小さな花、和秦に咲いていない花がお互い笑い合うように咲いているので、ニコは自分がどんな運命の輪の上に立っているか一瞬解らないほどここは穏やかだった。また幸せだった。
「お日様に当たってる時間が短かったり長かったりすると花が咲くのよ。でもやっぱり基本はお水の量に土の良さに、そして何といっても愛情だよっ。きれいに育てーって」
 ぼうっと花畑にたたずむニコにチルチルはそう言った。ニコが同意するように笑うのを見てか、チルチルも自然と笑みを浮かばせた。
 ニコは花が持つ、チルチルから生まれ注がれた愛情が幸せな空間を作っているのだろうと強く心魅かれた。そして花の群れを離れた、奥まった所にある大樹を眺める。その木が、父母の墓を見守る梅の木とニコの中で重なってしまって、ニコは驚いた。
「ニコくん木は好き?」
 チルチルのその何気ない質問にニコはしばし沈黙を落としてしまい、慌てて答える。
「うん。好きだよ」
「わたしも。この木はおっきいから、よく木登りするんだ!」
「できるの?」
「できるわ。枝の上とか、根っこのところでお仕事休んで――あ、これ奥様には内緒ね!」
 二人は笑い合った。その時風が吹き、梢がさわさわと鳴った。ニコは思わず呟いた。
「春みたいだ」
 揺れる緑にニコは見とれる。枝葉の挟間から覗くものは青空だった。いつか、どこかで見た光景が視界の手前で、幻として重なる。それは出発前だったか、それとも、父も母も健在だった頃か。それは季節にして言うならば――春だった。

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