「どうぞ」
 ぼうっと厨房の方を見ていた喜備は突然降ってきた黄桜の声に体をびくつかせてしまう。何事もなかったかのように黄桜はお絞りとお茶受けのクッキーをテーブルの中央に置いた。美味しそうねと幹飛は嬉しそうだった。もしかしてこれは手作りなのだろうかと喜備はどこかへ向かう黄桜の背中を見つめた。
 確かに武骨でどこか人を寄せ付けないような印象を与えるが、店内のインテリアはどちらかというと女性向けで、彼の食器を扱う手付きは何かを愛しむ様子に似た慎重さがあった。インテリアはもしかすると彼の妻が担当したのかもしれないが、店の雰囲気や出されたクッキーに至るまでどこか彼に通じるものがあると喜備は感じた。

(可愛いって思ったらさすがに失礼だよね)
「さささ、皆さん、紅茶が入りましたよ」

 言い終わらないうちに、テーブルには六つ紅茶が並んだ。カップに注がれた紅茶はまさに「紅」と称するに相応しい、深みのある色をしていた。見るからに高価なカップが一層上品に見える。

「すごい……綺麗ねえ」
「本当だね。宝石を溶かしたみたいです」
「そう言ってくださると、紅茶の葉っぱたちも喜びますよ」

 さあどうぞと促す。どきどきしながら喜備は本当は無糖で飲むのが一番なのだろうけれど、と砂糖を入れ、ゆっくりと溶かして一口流し込む。
「……美味しい」
 それは良かった、と向かいに座った春龍は本当に嬉しそうに目を細めた。
「うん、今まで紅茶なんてティーパックのものしか飲んだことなかったけど、やっぱりそんなのとは全然違う!」
「普段コーヒーばっかりだから、余計美味しく感じるわ」
「紅茶の美味しさを再発見していただけて本当に、淹れた者冥利に尽きるというものですよ。ところで、亮君は? いかがでしょう」
 亮は無言で二口、三口と飲んでいる。早くもカップを空にしてしまう。気に入らなかったのかと春龍は柳眉を下げ途端に落ち込むが亮はぶんぶんと頭を振った。

「違う、気に入らなかったんじゃない。驚いてんだよ」
「……と申されますと?」
「俺んちで出される紅茶が一番美味いって最初は正直たかくくってたけど……まさかこれほどまで違いがあるとはな」

 亮は嬉しいのか悔しいのか複雑な顔をしてカップを春龍の前に出す。

「美味しかったってことだよ。春龍、今すぐにでも御法家に勤務出来るんじゃねえの」
「……恐縮ですよ」

 笑顔を作ろうと思っているのだろうか、しかし本当に感動してしまってどういう顔をすればいいか、ただただ春龍は感激に充ち溢れているようだった。亮の顔は、そこでやっと全てがほころんで自然な笑顔になっていた。すぐにお淹れしますと恭しくカップを受け取り、黄桜と行き違いになって厨房へ向かった。その足取りは先ほど以上に浮足立っている。
 黄桜が席についてしばらくもしないうちに、何か心地よい弦楽器のメロディが優しく流れてきた。ますますこの空間がハイソサエティなものに変わっていく。
 まだまだ気心の知れない黄桜がいることもあるが、緊張するなあと喜備はまた紅茶を味わう。でも、リラックスさせるように彼は音楽を流してくれたのかもしれない。自分と彼は年齢が違いすぎるが、雰囲気を共有できるくらいには親しんでおきたいと思ってしまうのは、贅沢なことなのだろうか。


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