その日以外にも、喜備と春龍はよく出会った。喜備が取っている英語の授業では、教授の手伝いですとたまに教室に姿を現し、作業をしてはにこにこしていた。勿論、生協の売店や学内の広場や通路、バス停や学務室などでもよく二人は目を合わせていた。
 喜備が遠慮がちに頭を下げると春龍は微笑み返しお辞儀をする。会話を交わさなくても最低それくらいはする。他人にとってみれば些細なことだろうが、二人を結ぶ縁はやはりどこか強いものがあるように、少なくとも喜備の方は感じていた。つまり、仲良くなれそうだ、というもの。亮のように異性で、自分達より年上だが、喜備は新たな友達が出来そうな予感の双葉をそのまま見過ごすことは出来なかった。
 そこで喜備は、生協売店で出会った時にこう誘った。

「あの、先輩。今度、私と、先輩と、私の友達とで、お茶会をしませんか?」
「お茶会?」

 春龍は手に取り眺めていたインスタントコーヒーの袋――どうやら研究室のコーヒーが切れて、買い出しに来たらしい――から目を上げ喜備をまじまじと見た。前回の桃ゼリーと同様、自分から誘うなんて大胆な真似はやはりすべきではなかったのかもしれないと狼狽したが、春龍特有の柔らかな笑みが緊張を和らげた。
「いいですね。しかし私がご一緒してもよろしいのですか?
 この間、喜備さんの後ろにいらっしゃった方達でしょう?」
 春龍は、喜備の後ろで訝しげに睨んでいた幹飛達に気付いていたのだろう。その言葉には、自分が嫌われているのではないかという危惧のニュアンスが含まれていた。否定はなんとも出来難いので喜備は薄く苦笑するに尽きた。
「でも、きっといい方達なのでしょうね。喜備さんのお友達なのですから」
 春龍はそう言うし、はいとはっきり返事した喜備も嬉しいと思うが、一体自分のどこにそう納得させるに足る人徳があるのだろう、と頭を捻る。ただ春龍はにこにこして何も説明しない。
「……そういえば、あの小さい子は、喜備さんの弟さんか甥っ子さんですか?」
 何か思い出したような目でそう喜備に問う。亮のことだろう。喜備は微笑んだ。
「彼も……御法亮君も、私の大事な友達です」
 ほう、と言うように春龍はレンズ越しの目を細めた。それに母性――いや、男性の場合は父性というのだろうか、とにかくどこか親子の情に似た懐かしさと微かに伺える羨望を喜備は感じた。ごめんなさい、と突然春龍は苦笑した。柳眉を困ったように曲げる。

「実はその、私は、子供が好きですので。あんな小さな子でも友達になってしまえる喜備さんがどうにも羨ましくって」
「そうなんですか?」
「ええ、月に何度かベビーシッターや子守や、小学校のテーチングアシストのアルバイトなどに出向いてるんですよ。可笑しいですよね」

 似合わないでしょう、とやや赤くなった頬を掻く彼にそんなことないです、とぶんぶんと頭を振った。
「だって先輩、優しいし、大人だし、その、誤解されるかもしれませんけど、お父さんみたいだし、保育士さんとか、あの、絶対向いてると思いますよ」
 喜備もやや自分の頬に赤らみを感じながら言葉を重ねる。ふふと笑い落ち着いてください、と喜備を制する為か宙に手を置いた。演奏を始めるピアニストのようだった。
「あ……その。いきなり、すみませんでした」
 考えてみればここは生協の売店、位置は中央にあたる。午後の三時台、ぽつぽつ授業から帰ってきた学生や、部活やサークルに行く前に何かつまむものを買っていこうとする学生もいて、決して閑散しているとは言えない。こちらを見ている学生もいた。それを見て喜備は自分の不注意をただ恥じた。
「いえいえ、お気になさらず。
 女性の方のお友達とも、その亮君とも、私は仲良くなれるといいのですが」
「きっと、仲良く――」
 喜備はそこで言葉を止める。
「どうしました?」
「いえ、あの、その、日時はいつ頃がいいですか? 調整します」
 咄嗟に話題をすり替えその場を切り抜ける。春龍は特に授業が無いから水曜日が好都合だと伝え、コーヒーといくつかお茶菓子を買って優雅な足取りで帰っていった。喜備は手を風に揺れる草花のような頼りなさで振る。
 そこでようやく心配し始めたのは、亮が純粋無垢でその辺りにいるような、ありふれた、それこそ春龍が日々相手をしているような「ただの子供」ではないという事実だった。


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