見た目ぼろぼろになって帰ってきた俺達を、出迎えたワガハイは苦虫を噛み潰したような顔で睨んでいた。猫って結構表情豊かなんだなあとどうでもいいことを思うくらい。あらあらまあまあと清さんにも呆れられてしまった。そうでもないと思っていたけど、結構大惨事なんだろうか、俺達。
「何で風呂入りに行って余計汚れて帰ってくるんじゃ」
「え、えっへへへー」
 すぐにお風呂ご用意しますねと清さんはくすくす笑いながら風呂場へ向かった。何となく予想はつくがの、とワガハイはやれやれと言った態で上り框に寝そべる。多分そこはひんやりとして涼しいのだろう。
「そう。お察しの通り、かくかくしかじかでストレイシープとの戦闘があったのでありますっ」
「強くなった、かも。多分」
 びし! と兵隊のように敬礼を取って報告する美禰子。対して、頬をぽりぽり掻きながら言う俺にざっくりし過ぎとるわいとワガハイは苦々しく返す。む、となって口を尖らす。
「ちょっと。嘘だと思ってんの」
「また鍛えてやるから、さっさと風呂入ってこんかい」
 興味なさそうな返事だ。でも、今度の稽古の時間に驚かせてやらあと少し闘志が湧いてきた。そんな俺をよそに私先入るねえ、と美禰子はぱたぱた脱衣所へ行ってしまう。それと同時に急にふうわりと眠気が襲ってきた。上がるのを待っていると寝てしまいそうだ。
 どうやって眠気を散らすかなあと思いながら玄関を振り返って気付く。あの人の履いていた下駄はない。
「……坊っちゃんは?」
 知らん、とばかりにワガハイは尻尾の先を上げた。
 むしろ当然と言うべきだろうか。坊っちゃんはまだ、帰ってきてはいなかった。


 風呂から上がっても下駄はない。あの場所とここまでじゃ大分距離もあるし、そんなにすぐには帰って来れない。そうはわかっていても心配だった。見た目は全回復だったけれど本当にそうだろうか。それに相手は二人で学校の権力者がいる。話が不利な方に持っていかれたら。
「たーだいまっと」
 やきもきしていたら聞きなれた、そして待ち侘びていた声が背中を叩く。
「坊っちゃん!」
「何だまだ起きて……ぶえっくしゅ!」
 豪快なくしゃみ。唾が飛んできた。ずる、と洟が垂れてもいる。雑に拭って疲れたな、風呂だ風呂だとのっそり歩き始めた。
「あ、あの」
「疲れてんだ、話はあとあと」
 お前も眠いだろもう、と振り返らずに言う。確かにそうだった。風呂の中で眠ってしまいそうなほど俺の方も疲弊していた。でもいなされてしまった態なのが何とも面白くない。ぶーと口を尖らせる様子だって坊っちゃんは見ていない。
 一晩が経って朝食の時間が来る。あの後どうなったか聞こうとしても坊っちゃんはどこかぱたぱたと忙しなく動いていた。朝から職員会議でもあるんだろうか。嫌な予感が走るけどそうでもないみたいだ。単に坊っちゃんが何となくそわそわしているだけだった。げほげほと咳込むところを見ると風邪を引いたみたいだから、熱でも出ているのかも。
「あのさ坊っちゃん、昨日のことだけど」
「風邪気味なんだよ。うつるぞ」
 見りゃわかる。たくっ、と風邪の割に食欲旺盛に咀嚼を始めた。真っ白いほかほかのご飯に今日は豪快に納豆をかけている。俺もだ。美禰子はまだ掻き混ぜている。
「水でも被って反省しろって言うけどな、実際被せてくる馬鹿がいるかよ」
「むっ」
 皮肉るように馬鹿と言われてかちんとこない人はいないだろう。
「被せられるような馬鹿が実際にいたんだからしょーがないだろー」
「教師に向かって馬鹿とはなんだ馬鹿とは」
「馬鹿って言った方が馬鹿なんだよそーんなことも知らねーのかよ教師のくせに」
「もうっ! 二人とも!」
 お互い納豆くさい口で言い合っていると向かいの美禰子が肩を怒らせた。納豆を混ぜながら。
「低レベル過ぎる言い合いなんかしてる場合じゃないでしょー! ほら、もうそろそろ出ないと遅刻しちゃうよ?」
 美禰子に低レベルと言われるとあくまで何となく屈辱を感じる。隣の坊っちゃんにしてやったりと言う風に笑われると更に倍だ。やりきれない想いの行先は一つ、納豆かけご飯しかない。いつもより豪快に俺は貪り食った。


 次のチャンスは昼休み。いつも坊っちゃんがこっそり煙草を吸う所へ来てみたけれど、いなかった。放課後もそうで、姿を見つけると声を掛ける間もなく熊本先生がやってきて、二人何か話してそのまま外へ出てしまう。帰ったのかと思って帰宅してみても、遅くまで帰ってこなかった。まさか授業中に話しかけるわけにもいかない。休み時間はお互い短いから話に向いてない。俺は結局、ずっと坊っちゃんと話せず終いだった。
 そうこうしている内に時間が過ぎてしまう。昼休みたまたまジュースを買いに出た時、坊っちゃんと熊本先生と、そしてもう一人見覚えのある人物が中庭で話しているところを俺は見つけた。
 見覚えのある人物。同じように、ちょっと前の昼休みに見かけた人だ。気弱そうで、体も弱そうで、生徒達に舐められていそうな先生。前はその印象にそぐわず坊っちゃんに噛みつく勢いで何かを言い立てていたけど、今日はそうじゃない。冷静になって坊っちゃんと熊本先生の話を聞いているようだ。
(もしかして)
 教頭先生と野田先生が話していた中で一人知らない人物の名前が出ていた。確か、古賀と言う人。文脈から教師らしいことはわかっている。
(あの人が古賀先生なのかな)
 話も思い出してみる。授業もやっとと言う状態、とか言っていたっけ。
(もしかして)
 あの二人は古賀先生に何か嫌がらせをしていたのかも知れない。今となってみてはそうとしか思えない。でも、その嫌がらせは坊っちゃん達がやった、ということにした。あの二人がそう画策したんだ。そうとは知らない古賀先生の方は坊っちゃんに立ち向かった。多分ありったけの勇気を振り絞って。
(だから坊っちゃんと熊本先生は、今関係を修復しに回ってるんだ)
 思い出せないけれど確か古賀先生の他にも誰だかわからない人がいたはずだ。その人の方にもいろいろ事情を話したり、説得したり何だりしているんだろう。全員社会人だろうし、なかなか時間の都合がつかないはずだ。帰りが遅くなるのも仕方ない話と言える。
(忙しいうちは)
 三人の話に突っ込んでいくほど無神経ではないつもりだ。坊っちゃんだったらどうかわからないけど。
(話、聞かない方がいいかな)
 実際、時間が経っていて少し興味が薄れてきているのもある。坊っちゃんと熊本先生に掛けられているだろう濡れ衣がなくなること、古賀先生が納得してくれることを祈りながら教室へ帰ることにした。

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