「ほれ、チャイム鳴ったぞ」
 俺の思考を切ったとも知らずチャイムはのんびり始業五分前を告げていた。考えるのはやめたらどうだとも言われている気がした。こんなにいい天気なんだから。お前はまだ坊っちゃんなのだからと。
 はいはい。そうなんでしょうね。とは口に出さず、何だかなと鼻息を抜いた。坊っちゃんはまだここで喫煙タイムを堪能するんだろう。数歩歩いて、振り返る。
「坊っちゃん」
「なんだ」
 切り出すのが少し恥ずかしくて、あのさと無意味に頬を掻く。
「さっきの、別に……変な意味じゃなくて、俺、坊っちゃんのこと好きだよ。普通に」
「そりゃどうも」
「それってさ」
 熊本先生がそれとなく示唆してくれた気もする。
「多分、家族だからだと思うよ」
 家族。坊っちゃんの口が微かにそう動いた。目も、ちょっと丸くなった。
「かも、な」
 茶化すこともなく、別の話題ではぐらかすこともなく、坊っちゃんは笑った。遅れて俺も笑う。
「へへ」
 もしかしたら、なんて言葉は必要ない。坊っちゃんも俺も、お互いに欲しかったものを今得ているのだ。いつか終わってしまう共同生活でも、短い間でも、一緒に過ごしている。同じ家で暮らして同じ釜の飯を食べて、他人には言えない秘密も持って。
 こんなの、家族以外の何だって言うんだ。
「今度美禰子が計画してるピクニックの話、進めよ」
「そうだな。梅雨入りして天気が崩れる前に行けたらベストだな」
 梅雨かあ、と空を見た。今は晴れ渡っている空だけど、その内しくしく泣き出す季節が来る。何だか今思うとそんな馬鹿なと一笑したくなる。陽射しは眩しく、正直長袖じゃちょっと暑い。梅雨を通り越して夏のようだった。
 陽射しか。
 目蓋の裏で、残光が万華鏡のように舞う。
「ね、坊っちゃん」
 まだいたのかよ。そう言いたげな目だった。なんぞ、としぶしぶ煙草を口から離す。
「あの太陽」
 さんさんと輝く光の玉を指さした。
「何色に見える?」
 ああん? と怪訝な目をされる。しかしすぐにうーん、と目を細めて、太陽を見てくれた。
「眩しくてよく見えんが、強いて言やあ黄色かな。白がかった」
「そう」
「ま、少なくとも」
 言いつつよっこらしょ、と立ち上がる。ずっと見下ろす形になっていて、見上げる行為が何だかひどく懐かしく思えた。ううん、と煙草片手に伸びをして、彼は言う。
「赤色でないことは確かだな」
 その返事が聞きたかった。どこまで坊っちゃんの内面を覗いてしまったか、伝わってしまってもよかった。でも、これ以上何も言わなくても大丈夫だと坊っちゃんの方もいろいろわかっているのか、満足そうな笑みを浮かべていた。
 おもむろに、その手が伸びてきた。
「うりゃうりゃ」
「って、ちょっと、撫でんなよな!」
 うざいっての! そう振り払って教室へ戻っていく。そうは言うのに俺も避けなかったから、撫でられること自体はそう嫌いじゃない。
 うん、大丈夫。相変わらずの光景だ。そろそろ本当に時間がやばいから走っていく。体に合わせて頭が動く。美禰子のピクニック計画はどんな感じに進んでいるだろう。もうちょっと早く出逢ってれば花見も出来たのにな。でもいいか。花見以外にもイベントなんていっぱいある。何だったら、毎日がイベントだ。何にもない日でも。
 いつか離れてしまう俺達だからこそ。
(って湿っぽく考えるのはやめだな)
 授業開始まであと一分くらい。玄関が見えてきてますます速く、けれど軽やかに走り出した。それはまるで、魔法でもかかっているかのような伸びやかなステップだったことだろう。
 俺と坊っちゃん、偶然魔法使いになってしまった二人の生活が、本当の意味でようやくスタートした。そんな気もした。

    5
せんせいのまほう 間章につづく

ワガマホトップ
小説トップ

inserted by FC2 system