例えばの話




 ふう。少し喋り過ぎてしまったな。もう深夜だ。いい加減寝ろ。何? 話を聴いてたら目が冴えてきて逆に眠れなくなった? 褒め言葉として受け取っておけばいいんだな。確かに、おじさんもお前と話すのは随分久しぶりだし、何てことのない内容だったけど意外と楽しかったしな――というか、人と仕事のこと以外を話すの自体が久しぶりだから、つい熱が入ってしまった。次に話すことを最後にしようか。
 そうだな。じゃあ、俺が左腕を失くした頃の話をしよう。少し長くなると思うが、どうせ目が冴えてるんだろう。付き合ってくれな。


 おじさんが左腕を事故で失くしたのはもうずっと前の話だ。少なくとも携帯電話は一般にまだ普及してなかったような頃。映画でもドラマでもそんなの見たことない。さすがに開発はされていたかも知れんが、まあいいとして、俺は当時中学校二年生だった。
 詰襟の学ランが自分に似合わないなとか顔のニキビが見るに堪えないなとか、当時のアイドルグループのどの子が一番好きで、付き合うならどの子かとか、そういう青臭いことを話したり、かと思えば、いっちょ前に楽器を始めたり、洋楽を聴き始めたりコーヒーを飲み始めたり隠れて煙草を吸ってみたりして、偶像に過ぎない大人というイメージに一歩でも近づきたくて、自分は他の奴らとは違うんだと優越感に浸りたかった、そんな時代だ。お前も今ちょうどそんな頃合いだろ。おじさんにはわかる。その内あの頃は馬鹿だったって思い知らされる日が来るさ。でもその子供っぽさが愛おしく感じられる日も来る。

 事故に遭ったのは確か雨の降る日だった。その頃おじさんはな、ギターが欲しくて学校が終わると遠回りなのにわざと繁華街の方を通って楽器屋を覗いていたんだ。お前の親父の持ってるようなおんぼろのアコギじゃない。ロックスターが持つようなかっこいい、クールでスタイリッシュでエキセントリックな……まあとにかくかっこいいエレキギターだ。高校生になったらバイトをして絶対買ってやろうと思った。でも欲しいって気持ちはその頃が一番高かったんだよな。見ての通り俺は腕が一本しかないから楽器なんて出来なくなっちまったわけで、そのあとはどうでもよくなったんだ。事故に遭ったのはその楽器店からの帰りだったんだ。そう、冷たい雨の降る、秋の日だった。
 その時のことは全然覚えていない。深層意識下に強く抑圧されているのかもしれない。まあ思い出していい気分になるものじゃ絶対ないからなあ。断片的に覚えているものはある。でもすごく抽象的だ。実際の記憶にフィルタがかかっていて、それを見ているのかもしれない。白く眩しいまるで鋼のような光と大きな音と鋭い痛みと……ほらな、よくわからないだろ。
 まあとにかく、俺はどんよりとした空の雨の日、道路状態も悪く視界も不良、こう言っていいものかわからんが、交通事故におあつらえ向きなその日にトラックに轢かれたんだ。一命は取り留めたものの、どうしてか左腕の損傷がひどくて、切断ってことになったんだ。利き腕じゃないだけ幸いだったな。
 切るのは嫌じゃなかったかって? お前なあ、神や聖人君子でもない普通の人間が、どうして自分の腕を切ること、失くすことに対して前向きでいられると思うよ。勿論嫌がったに決まってるだろ。でも俺は痛みに耐えきれなくて泣く泣く切り落としたんだ。そうして俺は片腕になった。でも心のどこかでこうなるのは当たり前のことだったのかもしれない、と思う自分もいた。腕を切ることに対してじゃない。自分の腕が無くなるってことについてだ。というのも、俺は事故の何日か前に、不吉にも腕が無くなる夢を見ていたんだ。内容は思い出せないけど……腕一本でも何とかやっていたんだ、夢の中の俺は。それが正夢になっただけだ。

 かといってそれが喜ばしいものでは、当然なかった。腕一本の自分がこれから長い生涯を生きていくという厳然たる事実に、一般の中学校二年生男子がとても感じ得ない程の絶望を叩きつけられた。あの時のことを思い出すだけで、今でも頭がくらくらする。俺が腕一本なのは今でも変わらないし、今でも若干そう思って何だかなあってくらくらするさ。鈍痛だな。頭をフライパンか何かで叩かれた感じだ。実際そんな経験はないけど。
 俺は今でこそお前の優しいおじさんだが――何だその疑うような目は。お年玉減らすぞ――当時は中学生という思春期のど真ん中もど真ん中、繊細で多感な少年だった。もともと意地っ張りだったのもあるけど、それがますます苛烈になっていた。だから俺は義手を付けることを拒んだ。今でも付けてないけど、これはまあ、おいおい話す。退院して学校に戻ったけど、俺の制服の片袖がひらひら風に揺れていることに皆、興味があるようで、でもどこか不気味なものを見るような目をした。勿論片袖ばかりではない。俺全体をそう見るようになった。

 俺にも友達はいた。これでも多い方だったんだぜ? けど皆、当たり障りのないことを言うだけで、小説や漫画、アニメや映画みたいに、俺の喪失感を救おうだとか、自分達の友情をより強固にしてやろうっていうドラマなんざ、何一つ起こらなかった。あんなのは全部フィクションなんだって、思い知らされた。俺は心のどこかでドラマチックなことが起こるのを密かに待っていたんだよな。本当、甘い少年だったよ。でも俺は突然の不幸に見舞われた被害者なんだ。陳腐な表現だけど、現実は残酷なんだ。だから、それくらい夢見させてくれよ。


 ところで、俺が学校に戻ってきた時、教室内は少し変わっていた。お前も経験あるかも知れんが、席替えがあったんだ。俺がいない間に勝手にやられてたってことだ。教室の席っていうのは、お前もわかっているだろうけど重要だぜ。周りの友達の分布率、窓から近いか、出入り口から近いか、先生に見つからずに内職――他の時間の課題をやったり漫画読んだり居眠りしたりとかな――それが出来るか、その他もろもろのこと。学校という社会に生きる生徒は、こっちの社会でいうところの議員みたいなもんで、つまり席替えは議員でいうところの選挙で、支持率とか投票数みたいなものなんだと俺は思っている。何? 例えがいまいちな上にやや壮大過ぎる? いいんだよ。
 で、その中で一番重要なのがずばり、隣の席が誰なのか、だ。少し話が出来る程度の、出来れば同性の友達ならまだしも、面識のない女子だとかちっとも知らない奴だとか仲の悪い奴だと気まずくなるし不愉快だ。それに加え、俺は腕が一本無くなっている。教室内で俺は浮いた存在、いや、腫れ物か生傷か、酷い時には、何でか時限爆弾や地雷でも見るのような目で見られるようになっている。

 そんな俺の隣に座っていたのは――俺もその存在を目にしたことがあるかどうかわからないような、一人の女子生徒だった。

 彼女は口数も少なく、そもそも友達がいなくて、休み時間になるといつも本を読んでいた。外見は、眼鏡をかけていて、三つ編みのおさげが二つ。前髪はぱっつんっていうのか? あんな感じ。昔の、フィルムが古くて声に妙な厚みがあるドラマに出てきそうな優秀な女子っていうイメージでも浮かべておいてくれ。


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