水面の静けさ
翌日は小糠雨が降った。京の都を、李白邸を包み込むように陰鬱な白い雲が現れ、青を見させず、雨を垂らす。
夜、左大臣は自邸に大人しく構えていた。重く垂れさせた御簾の向こうに一人の男がやってきた。ひたひたと濡れた足音を立ててくる。人間ではない何かが近づいてくるような不気味さを伴っている男である。御簾越しでもその不気味さがわかる。
男はまるで一本の柳のように、雨に濡れながら御簾の向こうに立っていた。
白い珠を手に入れることは難しい。しかし妹の杜甫を奪ったので、しばらくしたら唆して、珠を持ってくるようにさせる――左大臣はそう告げた。
「――――まあいいでしょう」
柳のような男は言う。
男は、白い珠と引き換えに、海の向こうの北の国・華北の巨大な土地・富を与えるという交渉を左大臣に持ちかけたのであった。金と権力に目がない左大臣はこの妙な交渉に特に疑いも持たずに乗ってしまった。李白に執拗に迫ったのは、これが故である。彼は御簾の向こうにいる男の顔をよく見たことはない。しかし一度目を合わせたことがある。
眼球丸ごと、血に染まったような恐ろしく赤い目をしていたことを覚えている。
その目が、交渉を受け入れる気を高めたのだと、左大臣自身思っている。
「近日中に祝いの品をお持ちいたしましょう」
「は、笑えない」
ゆらりと揺れて帰ったのだろうか。男の返事は聞こえないし、気配も絶えた。
左大臣は彼が何者か、華北の男であることしか知らない。どのような家柄か、身分か、役職か、何一つ知らない。厳重な警備を抜けて、自室の前の御簾越しに突然現れる。
雨はただ、降り続いている。
「さあ―――」
男は、雨音のような静かな静かな声を発する。
「どう楽しもうか。子供らよ」
そして翌日は、天上の幕が上がった様にすがすがしく晴れ渡った。