中央の大食堂はいつ来ても人々が立てる賑やかな音楽が絶えることはない。三国大学は私立大でただでさえも人が多いのに加え、学食のメニューも豊富、女性が通いやすい綺麗な空間であるため、お昼時でなくてもテーブルには学生客や教授達の談笑する姿、また食堂や売店で働くパートの人達が食事をとる姿が見受けられる。喜備は見ているだけでどこか浮足立ち、さっそくデザートやおやつを見繕おうとそのコーナーへ足を向けた。
 ショーケースには、客の手に渡るのを今か今かと待っているデザート、スイーツ達が並んでいた。見ているだけで別腹が満足してしまいそうだと喜備は思う。ここに並ぶものはどれも女性の目を惹くつやつやして美味しそうなものばかりだった。喜備は視線を色々なところに通わせたが、桃色をした何かを視界が捉えた。
 それはどうやら、桃を使ったゼリーか何かのようだった。

(桃!)

 思わず微笑みが零れた。喜備が好きな果物は桃である。雛祭りに近い生まれだからだろうか、小さな頃から白桃、桃の缶詰や桃を使ったケーキやデザートを与えられてきた結果、当然のように喜備は桃が好きになった。「桃太郎」に出てくる「吉備団子」と自分の名の「喜備」が通じるのも一因だろう。花の桃も好きだし、わりとピンク色も好きだ。
 そして何より、美羽と幹飛に出逢うきっかけとなったのも、購買の桃ゼリーがきっかけだった。三人がそれと指をさして、同時に求めたのだ。あの時を思い出すと今でも可笑しくなるが、三人の友情を思うと、その現象に不思議な奇跡も感じた。
 さっそくトレイに載せようと喜備は手を伸ばした。そこは開かれたショーケースなので、そのまま伸ばせば事足りる。その時、喜ぶ喜備の目には桃ゼリーしか映っていなかった。

 だから、別の方向から誰とも知らない手が伸ばされ、指が触れ合うことになるとは考えもしなかったのだった。

「きゃ!」
「おや」

 手の持ち主の声は、男性のものであった。手を引っ込めた喜備は、触れあったそれだけでも恥ずかしいのに、異性となるとまるで火傷したかのように顔と指先を赤らめた。

「ご、ごめんなさいっ!」

 顔を見られるのも恥ずかしい、と喜備は頭を何度か下げる。しかしその態度も行き過ぎると無礼だろう、と顔を上げ、相手の顔を見つめた。
 男性であるから、喜備よりもずっと背が高い。だが威圧的な顔ではない。優しげな微笑が浮かんだ穏当な顔だちをしており、眼鏡をかけている。髪はパーマでもかけているのか、それとも天然か、くるくるとあちこちに撥ねていた。
 服装はというと、ぱりっとした白いワイシャツに落ち着いた柄のネクタイを結んで、黒いスラックスを身につけていた。靴はよく磨かれた革靴だろうか。全体的な雰囲気から、随分大人びた人だな、と思わず喜備は見惚れてしまう。
 だから男性がふんわり微笑んだ時、自分がじろじろ見ていたことに気付かされてまた顔が赤くなるのを感じた。
 彼は桃ゼリーのガラス製の容器を手に取り、そのまま会計に向かうかと思われたが、さっと喜備に差し出した。

「え?」
「お召し上がりください」

 レディファーストですよ、と男は微笑みを深めた。

「そんな、悪いですっ」
「いいんですよ。リンゴゼリーが見つからなくて、代わりにと思っただけで、どうしても桃が食べたかったわけでは無いのですから」

 ね、と念を押すように彼は喜備の手を優しく導き、容器を持たせた。その驚きだけでうっかり落としてしまうことも危ぶまれたが、その手つきが随分優しく、品のいいものだったから、されるがままだった。
「それでは」
 彼は丁寧に一礼するとそのまま出入り口の方に去ろうとしていた。他にもゼリーはあるにも関わらずだ。
その後ろ姿が、何故か喜備にはやけに寂しく見えた。だから思わず口が開いてしまう。
「あ、あの!」
 喜備の声に男は立ち止まった。意外そうな顔をして振り向いたので、喜備は微笑んで見せた。上手く微笑めているかどうかはわからなかった。

「一人で食べるのも、何だか、悪いので……よかったら一緒に、食べませんか?」

 ぎこちない言葉と喜備の微笑に、彼はさっき見せたのと同じような優しい笑みで答えた。


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