ミツが涙を拭い、再び俺達と向き合うまでには少し時間を要した。地上からは吹奏楽部の演奏の音、どこか向こう側でやっている軽音楽部のパフォーマンスの音、屋内から屋外へ流れ出る人々の笑い声、沢山の人達が作る賑やかで暖かな雰囲気が伝わってくる。宵のオレンジ色に染まった所為もあって、風が少し冷たくても平気だ。
 俺は志摩子さんの決意の言葉にただ感動し、立ち尽くしていた。自分の想いを述べた言葉は、どんなものでも人の心に深く響くものなのかもしれない。俺だってミツと同じように、元の世界に戻って死んでほしくないと思った。だけど――彼女の意志は堅く、熱い。その想いにこうして直に触れているのにそれを拒否したり、否定することは、ただただ残酷だ。優しさでは無い。


 だからミツは志摩子さんと共に帰るのだ。
 俺達の知らない世界へ。


「さて……」
 再び俺達と向き合った彼と彼女は何を言うべきか考えあぐねているのだろう。お決まりになった沈黙が気まずそうに縮こまっている。
「私達は、もう帰らねばなりません」
「ああ、わかってます」
「世話になったな。本当に……感謝する」
「どういたしまして」
 俺はこう言うが、しかし音宮さんはミツの言葉に答えなかった。やや上目遣いで、若干戸惑いながら彼女は訊いた。
「あの……ごめんなさい。最後に、一つだけ」
 ひゅう、と冷たい風がセピアの世界にある彼女のスカートと三つ編みを揺らした。


「志摩子さん達はどこから、きたんですか?
 一体、何者、なんですか?」
 未だ確定していない、くすぶっている疑問をそのままにしてはおけないのは、黙っていた俺も同じだった。
「ミツ君が歴史上の人物だと、志摩子さんもそれに近いものであると理解は出来ます。
 だけど私……本当はどういうことか知りたくて。訊くのは悪いと、思ってたんですけど」


 かさかさ、と風に吹かれて飛んできたひとひらの紙屑が俺達の前を横断し、再びどこかへ彷徨っていった。それを見ながら志摩子さんはしばし腕を組み、そうですね、と切り出す。
「実のところ私達もよくわかっていないのですが……言えることは……。
 私達は、一つの「本」の世界から、参りました」
「み、そうじゃな、「本」というより「書」かな」
 本? と俺達は声を合わせる。志摩子さんは首を傾げながらもそうです、と首肯した。


「私達は言わば――この世のものではないもの。「幻」の存在です。
 私は島左近清興の娘の志摩子であり、殿は石田治部少輔三成で、それは「あちら」では確かなことですが――
 それは所詮「こちらの世界」ではすべて「つくりもの」です。
 誰かは知りませんが、私達は誰かの作りだした「幻」……私達の存在は、言ってみれば「夢」なのです」


 この服や刀も「つくられたもの」でしょう、と志摩子さんは改めて着ている制服を見返した。ミツもサスペンダーを引っ張ってみる。
「それって……それって……」
 音宮さんを見る。唖然とした表情で、どうしたらいいのかわからないと言う風に俺を見返してきた。俺は勇気づけ、励ますためにうんうんと何度も頷いた。


 初めて逢った夏のあの日に、彼女が語った夢だ。


「物語の人物が、こっちへ来たんだよ! 音宮さん!」


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