マスクで再び顔を覆う。そして傘をさし、一人神社へ向かった。同じ方向へ行く人が多いので、その人達も初詣参加組なのだろう。しかし私のように一人でいる者はいなかった。晴れ着を着飾った、友達同士に見える女性達、あるいは普段着の男の二人組、男女混合の友達だろうか、三人組、子供がはしゃいでいる家族連れ、仲睦まじく手を繋ぐカップルの姿は、一人道を行くマスクが怪しげな男の姿を嫌でも目立たせる――ように思えた。いや、しかし気にしてはいけない。いつも通りのことをして、全てを元通りにするのだ。と意気込んだ。
 しかし、そうすれば確かに自分にかけた魔法のようなものだから、自分はそうなるかもしれないが、と思ったところで私は少し歩を緩めた。彼女はどうだろう。ぽつりと心でそう呟き、私の歩みは止まった。傘をさしているが、風に乗った雪達が私の足元にはらりと落ちてきた。彼女もまた、落ち込んでいるかもわからない。そんな些細で、重要なことにようやく気付いた。
 携帯電話を取り出す。彼女から依然連絡は無い。自分から連絡しようか、とディスプレイをぼんやり見つめる。でも彼女から連絡を待つのがいつものことだ、とコートのポケットに仕舞おうとしたが、何がいつものことだ、馬鹿らしいと私は忌々しげに吐いた。
 だけど結局、電話はポケットにするりと姿を隠した。再び歩き出す。私はいつも通る道を行く為、神社へ向かう人々の列から抜け出した。いわゆる裏道を私はいつも使っていたのだ。裏道の足場は予想していた通り悪かった。シャーベット状の雪はブーツに染み込んで、足を凍えさせる。不快感もあったが私はただ歩いた。

 しばらく歩くと、除雪したのを集めたのであろう、雪の塊に遭遇する。土や泥に塗れ、降ったばかりの頃は美しかったであろう雪は惨めに、そして空しく道の片隅に積まれていた。それは何だか埋める場所が無くて放置されている哀れな死体のように見えて、今感じている寒さとは違う寒気が肌をかけていく。死んでしまった雪はやがて水になるが、この寒さではいつ溶けるのだろう。いつこの雪達は報われるのだろう。春はいつ来るのだろう。
 それを片目に見ながらふと、死んでしまった恋はどこへ行くのだろうと突然疑問がわいた。多分雪と同じで、ああやって心の片隅に積まれていく。惨めったらしい思い出で表面を汚している。早く溶けて欲しいのに、なかなか無くならない。降らない間は待ち遠しいのに、邪魔になるとそんな風に思って扱う。雪も恋も、可哀想だった。そして、私は彼女との恋もそうなるのだろうと、ほとんど当たり前のように予感した。ひどくくだらない喧嘩でせっかくの恋を汚した。不運が重なった結果だったとはいえ、私は後悔した。下唇を噛む。

 多分もう、彼女の方に連絡を入れても、直るものは無いだろう。自分の体調や気分が治ったところで、彼女とのラインが元に戻らなければ、どうしようもない。彼女からの何かしらの呼びかけが、自分にはどうしても必要だったのだ。どうでもよくなんか、全くなかった。

 裏道をなお行く。いつも裏道に引っ張っていくのは彼女だった。そう、この裏道は彼女から教えてもらったものだったのだ。それまで私は、普通の道で神社に向かっていた。最初に教えてもらった時、私は渋っていた。いつも通りの道を歩きたいのだとか何とか言っていた覚えがある。非常に私らしい。今はそれが憎らしい。けれど彼女が一回だけ、と言うから歩いてみたら、人ごみも少ないし、静かだし、それに近道でもあった。それからこの道を使うのが当たり前になった。つまり、私の「いつも通り」の一覧に入ったのだ。

 そして彼女が隣にいることも、私の「いつも通り」に、いつのまにか入っていたのだ。
 だけど彼女はもう、きっと、私のもとを去ってしまった。

 角を曲がった。ここから少しまっすぐな道が続く。坂が多いこの街では珍しい、ずっとずっとまっすぐ、続く道だ。ここを通ったのは何も新年に限ったことではない。何てことない日にも通ったし、梅雨頃にある祭の時にも通ったりした。雨の日も晴れの日も風の日も、今日のような雪の日も、当たり前のことだがこの道はあったし、私達は通った。そりゃあ、繁華街、大通りの道や彼女の家の近く、私の家の近くの道ほど頻繁にではないが――何だかさっき思い出したことを想うと、この道について感傷的にならないというのは、なかなか難しい。
 ふと私は、彼女の存在が全て私が作りだした妄想だったらいいのにと馬鹿なことを考えた。だったらこんな風に悲しまなくて済むし、全部作り話だったなら、何を気に揉む必要があるのだろうか。乾いた笑いを浮かべる。わざと汚い雪を勢いよく踏んだ。

 無論、そんなことはあり得ない。彼女との思い出が、時間が、彼女の存在を証明していた。彼女は幻想ではない。彼女の好きなドーナツを言えるし、彼女が好きな歌手の名前も言える。何色が好きで、何の花が好きか。どういう時に笑って、どういう時に怒って、そしてどういう時に流されやすい彼女の、珍しいこだわりを見せるかもわかる。
 むしろ今、私が信じている、「いつも通りにやれば」なんていう信念の方が、よっぽど幻で、虚像だった。

 雪は依然降っていたが、私は傘を畳んだ。そんな気分だった。そして携帯電話を取り出そう、何でもいいから彼女に電話をかけようとポケットに手を潜らせた時、私は視界に見慣れた人物がいるのに気付いた。あまりに突然すぎ、また状況に合い過ぎていたので、驚くことも笑うことも出来なかった。ただ息を飲んだ。


 彼女だった。




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