目が合うと、彼女は私の方に小走りでやってきた。
「絶対来ると思ってた」
 真っ赤になった頬をさすって笑った。
「だって絶対、一月三日に初詣行くでしょ。いつも通り」
 何で、と訊くと彼女は黒いベレー帽を直し、深いワインレッドのコートについた雪を払って、照れた笑いを浮かべる。
「びっくりさせようと思って。電話もメールもしないで待ってたんだ。あ、マスクしてるけど、もしかして風邪?」
 朝からずっと待ってたから、私も何だか風邪引いた感じ、と彼女は苦笑した。
「馬鹿。もっと暖かい格好をしなさい」
「うん――この間はごめんなさい。あ、遅れたけど、あけましておめでとう」
 笑って頭を下げた。まだこの状況を信じられなくて、まじまじと見つめてしまう。彼女は笑ってばっかりだな――そう思いながら私はマスク越しに笑った。そこで初めて、私は自分が素直に、自然に笑えていることに気付いた。浮かべた笑窪や顔の皺から、活力が滲み出てくるような錯覚さえ起こる。

 いや、多分錯覚ではあるまい。

「そんなのこっちだってそうだ――あけましておめでとう」
「うん。あのさ、二十八日、何があったの?」
「歩きながら話すよ。福袋は? 買ったの?」
「まだこれから。今日が初売り二日目だし」
 そう言うと彼女は若干気まずそうに福袋の話、してもいいの? と訊いた。もうそんなことにはこだわらない。どちらかと言うとこりごりだった。微笑しながらいいよと私は首肯した。体だけでなく心も弛緩していくが、確認しなければいけないことがあった。
「この前のこと、怒ってないのか?」
 遠回しに、私のことをまだ好いていてくれるかと訊いたつもりだった。少し性急に聞こえる。
「怒ってたらずっと待ってたりしないよ。さっきも言ったでしょ、絶対来ると思ってたし、一緒に初詣と初売り行こうって約束してたし」
 当たり前のように彼女は言い、やはり笑った。――私の予感は杞憂に過ぎなかった。一種の、被害妄想だったらしい。
 その笑みが彼女の答えだ。そして彼女がここにいることが、彼女のぬくもりがあることが、揺るぎない何よりの証拠である。
 寒いから手を繋ぎましょう、そう言って彼女は私の手を取る。ところが、あ、と声を零し、何故か彼女は手を離してしまった。これにはさすがに面食らう。ここまで来て、やっぱり私はまだ怒っています、実はここには別れ話をしに来たんですという展開になったら、さすがに、年を越えてやってきた不運の最後の一発、の一言では済ませられない。内心呆然とする私のことを察したのか、彼女は首を振る。
「いや、あのね、手を繋ぐのは、いつもあなたからだったし」
 そう言いつつ彼女は手をすり合わせた。寒い寒い、と呟きながら、まるで拝んでいるようだ。

「だって、いつも通りにやらなきゃ気が済まないでしょ」

 やや上目遣いで、憎らしげにそう言われる。からかっているのだ。私はやられた、と苦笑した。その大きな可愛らしい目は、私を隅から隅まで知り尽くしているように見える。私が彼女のことを色々知っているのと、同じくらいの確かさで。



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