明日もいつも通りに



 終わりよければ全て良しということわざがあるが、その終わりには勿論年末という、わりと大々的な終わりも含まれていると思われる。
 一年の計は元旦にあり、ということわざもあるが、あれは計であって評価ではないから、前者のことわざとは多分矛盾しまい。だが、どこを向いても忙しそうで、吹く風も空の動きも何だか活発で、道行く人やすれ違う人も妙にそわそわしていて、何も知らない人がここに放り出されたら、とりあえず自分もせわしない振りをしてみるようなそんな十二月の末、その年の元旦がどんな日であったか克明に覚えている者はいるだろうか。もはやいないだろうと思う。いや、いない。隣に座った人にでも質問してみれば、たちまち胡散臭い顔をされること間違いない。そして終わったら何かぶつくさ言って面倒くさい溜め息をつかれることうけあいである。

 何故、私が今そんなことを考えているかと言うと、年末という一種の終わりがどうしようもなく、不運の寄せ集めのような展開だったためである。そのことに全ての原因を押しつけて、今の気だるい気分を説明しようという魂胆だ。

 大晦日が散々だったわけではない。仕事納めの二十八日だ。普段から忙しい仕事が何故か最後というだけなのに二倍も三倍も忙しくなり仕事場をあっちこっち巡って大わらわだった上、午後からはその日までとんと姿を見せなかった雪が降ってきた。それだけなら銀世界に変わりゆく街にあらロマンチックねえ、とため息をつく人々が歩を止め、空を見上げていたことであろう。しかし雪は可愛げもなくどんどん程度を酷くしてゆき、妖精のような舞い姿からは想像出来ない程、各地の交通渋滞をいとも簡単に巻き起こした。仕事がようよう終わる頃には道路はテールランプと排気ガスの洪水が車中の人も車外の人も不機嫌に陥らせていて、ある意味愉快だった程だ。
 だが笑っている場合では無かった。その結果、自分の乗るべきバスは遅延に遅延を重ねたし、どの路線のバスも乗車拒否一歩手前、すし詰め状態のバスへと変化していった。更に、ここの地方の雪は湿気を含んでいるからバス車内はべたべたして気持ち悪い。息も苦しい。雑菌やウイルスが空気に混じっては流れていく。しかも冬でただでさえ着こんでいるのだ、体温は上昇し湿度も上がり、誰もが汗ばんでいた。きっとバスの不快指数は百を超える勢いだっただろう。
 やっとの思いで自宅アパート最寄りのバス停に辿りついたと思ったら、異常なまでの積雪がやあと軽やかに挨拶しているような幻覚を見た。僅か六時間程度であそこまで積もるものなのだろうか。今思い出しても頭を捻らざるを得ない。自分のくるぶしを優に超えている積雪の中、まるで沼を歩くようにのろのろと、しかし一歩一歩確実に行進し、やっとドアの所まで辿りつく。鍵を出そうとすると今度は鍵が無い。スペアキーは郵便ポストの中にあるのだが、ドアはきちんとオリジナルの鍵で開けたい。いや開けなければいけない。いつもそうしている。酷い状況下だというのに、そういう時に限ってこだわりたがるのは人間の、いや私のおかしな所だろう。
 この雪の海を泳いで探すのか、この際、もうスペアキーでいいか、とうんざりしたがその日で唯一の幸いは階段の踊り場にオリジナルキーがころんと落ちていたことであろう。それはそれでよかったのだがその落ちようが何となく私を嘲笑っているような気がしてならなかった。そして部屋に入ってストーブをつけてみたら給油ランプが点滅している。バスで汗ばみ、そしてあれだけ果敢に歩いたので体はそれなりに火照っていた。別に今すぐ暖まりたいというわけではないものの、その状態が長く続かないのは目に見えている。早く、早くと言うように、そのくせ無言でストーブは点滅を続けている。私は大分長い間葛藤を続けていたが、いや、悩むことはない。そういう時に給油すべきなのだ、と給油に向かった。思えばちゃんとランプが点滅した時にいつも給油しているじゃないか。さあ早く行かないとまた何か不運なことが起こる、という時にメールが届いた。彼女だ。

 ここからが問題の要なのだが、正直、私は深く思い出したくない。初詣と初売りに行くことを約束していたのだが、福袋を買うか買わないかという非常に程度の低い痴話喧嘩――メール上なのでその名称が適しているのかどうかちょっとよくわからないが、まあとにかく、久しぶりにでかい喧嘩を繰り広げてしまったのである。
 その言い争いが馬鹿らしく、くだらなく、その為今までの不運――不運と言うか、あいにくの天候に見舞われたことに対する苛立ちや憤慨を全て彼女にぶつけてしまい、結果、私はこうして新年明けてもだらだら眠っているのである。
 もう少し具体的に言うなら風邪をひいてしまったのである。まあ当然であろう。勝手にしろ、とかかってきた彼女からの電話を取らずそのまま携帯電話の電源を切った。そして、外出した後いつも充電しているので、電話を充電プラグに繋いで、彼女との喧嘩や散々だった今日にいい加減辟易してコートを脱いでそのままベッドに飛び込むと、室温は下がる一方で眠りに入ってしまったのだから、ものの見事体調はぐるりと半回転したわけである。携帯電話の充電は忘れないでいるのに給油のことは忘れていて、そして自分の体調を心配することも放棄していたというのは本末転倒を絵に描いたようなものであっただろう。

 そんなわけで年末は寝て過ごした。治療に専念した。常備してあった風邪薬と睡眠が上手い具合に功を成し、体調はまあ良くなったが、彼女からの連絡は無かった。携帯電話のメールもチェックしたが、届くのは登録サイト等のダイレクトメールばかりで、彼女専用のメロディは、一向に鳴らない。
 そうこうしていたら、三が日も寝て過ごすことになりそうである。一年の計は元旦にあり、と言うが元旦もほとんど寝て過ごしてしまった。気だるい。一年分の怠惰をここで使ってしまうような気がした。これはいけない。彼女からの連絡などどうでもよく、きっと重要なことではない。きっとこの微妙に治りきらない体調と気分を直す為には、いつものようにきちんと過ごすべきなのである。思えばいつも見ている年末特番や紅白歌合戦、年始のスペシャル番組などを見ていないかった。それを思うとまた不満が少し重い体に募る。

 そう、きちんと。いつも通りに。きっちりと過ごす。

 私は上半身を起こした。一月三日、あと三十分程で正午。初詣には、まだ間に合うだろう。



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