お昼時の食堂の混雑はそれはそれは大変なものだったが、幹飛は頑として食堂で食べることを譲らなかった。不思議に感じはしたが、沢山の人の声が溢れる中で交わした会話は、いつもと違うように感じられた。それが落ち込みがちな喜備の心を励ましてくれたのは確かだ。
 専門の授業があるからとそれぞれの学部棟の方に向かう美羽と幹飛の後ろ姿を、普段よりずっと愛おしく眺めていると、喜備ちゃんと声をかけられ、振り返る。
「あ、蓉子ちゃん。それにはすちゃんも」
 手前にいた、喜備と同じくらいの背丈だが髪は肩より長い、目も大きく可憐な印象を与える女子はえへへと笑ってこちらに来る。喜備と同じ学部、同級生の蓉子は何やら資料やノートを入れた鞄を提げていた。後ろにいる、喜備よりも少し高い身長で、緩いパーマをかけた頭に帽子をちょこんと被せて喜備に手を振るのは、はすちゃんと呼ばれる蓮実。彼女も喜備と同じ学部だった。
「喜備ちゃんが昼の、超混んでる食堂の近くにいるなんて、珍しいなと思ってさ」
 蓮実はどうかしたの? とでも言うように首を傾げた。授業前に彼女達と生協購買で買ったお弁当やパンを食べることが多いからだ。友達に誘われて、と笑顔で喜備は返した。それを聞いてそっかと蓮実も納得したようだった。本当にいい二人なのだ。それを沢山伝えたいけど、上手くいかないでもどかしい。
「二人はどうしたの?」
「課題よお」
 蓉子ははあっと重い息をついて、提げていた鞄を抱きしめた。
「児童福祉論のレポート、まだ出来てなくってさ。明日締め切りなのに」
「私も他の授業の課題があって」
 その授業は喜備も取っていたが、貧乏性なのか何なのかわからないが、期日前に出さなければと思ってしまいがちなのでもう提出してしまった。早いねえ、とどこか呆れたように蓉子はまた息をついた。
「喜備ちゃんの頑張りの数割でもいいからくれないかなあ」
「私が手伝うって言ってんじゃん」
「はすちゃんの言い方厳しいところあるんだもん」
 何ようと蓮実は頬を膨らます蓉子の額を突っつく。まるで姉妹のようだったので思わず喜備は微笑んでしまった。何気ないことで笑えて、体が楽になる。それを知ってか知らずか蓉子も蓮実も、これから難儀な課題に取り組むというのに嬉しそうだった。
「取りかかる前に生協行ってお菓子買ってこようと思っててさ、喜備ちゃんも行こうよ」
「予定無ければでいいよ」
「うん、行こうかな」
 今あれをよく見かけるから買いたいな、と蓉子は言って、食べてばっかで進まないんだよなあと苦笑しながら蓮実がその先を歩いていった。特に何もすることはないけど、明日からの授業の予習でも二人に交じってしようかなと喜備は思い始めてきた。
「これが美味しいんだよね」
「あー、それ好き。かんちゃんもおすすめしてた」
 蓮実が立ち止まって商品を手に取る。蓉子は覗きこんだので、自分もそうしてみた。そして気付いたが、その棚のすぐ傍に、紅茶が並んだ棚があった。二人から離れアップルティーの箱を見つめる。
 春龍は初めて会った時、リンゴゼリーが見つからなかったから、桃ゼリーを代わりにしようとした、と言っていた。きっと林檎が好きなのだろう。この間食べた、黄桜の作ったクッキーの味が舌に甦る。その日の記憶も、甦る。

 先輩、と心で呼びかける。謝りたい気持ちが、鼓動を重ねるごとに溢れてきた。
 喜備には、やることがあった。

「喜備ちゃん? アップルティーならペットボトルのあるよー?」
「うん……。ごめん、用事思い出したから、そろそろ行くね」
 ちょっと残念そうに眉を下げたがいってらっしゃいと蓉子は手を振った。蓮実もそうする。もしかしたら二人は自分の落ち込みとその原因を、何も知らなくても、感じてくれていたのかもしれない。そうでなくても普段通りに接してくれたことが、喜備の心を優しく包んでくれる。

 今度は自分が、彼女達を食堂にでも誘おう。そうして喜備は街へ向かった。


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