「……いや、その……」
 言いよどんでいると遼はエプロンなどを脱いで操を外に誘った。どうやら彼女の担当時間が終わったところに操が来たようである。



 中庭で、数々の模擬店が並んでいるのを見ながら操はベンチに腰かける。遼が模擬店の商品をいくつか買って帰ってきた。
「どうぞ、操さん」
「ありがとう。ごめんね、後でお金返すわ」
「かまいませんよ。ところで、曹さんは一緒じゃないんですか?」
 遼が曹のことを訊く。友達が友達のことを訊く。ただそれだけのことなのに操は不安を感じた。その不安は徐々に体に広がって次第に嫌悪になる。しかし操は振り切る。
「まだ、来てないの。そのうち来るわ」
 それよりと操は右手を指しながら訊いた。
「今日、パペットは?」
 ありますよと彼女はかばんから黄色いネコのパペットを出す。そして彼女は右手につけ、すぐに外した。
「学校ではつけません」
「え、でも……」
 遥かの言う通りだ。模擬店よりもなお自然ではないか。パペットをつけていたら、鉛筆も持ちにくい――。
 しかしパペットをつけていない遼は、あの泣き虫の遼ではない。遼は操が何を言わんとしているか察しがついて微笑んだ。


「曹さんだけなんですよ、あの「私」が出てくるのは」
 そしてまたパペットを取り出し、動かす。疑問抜きにして、微笑ましい。


「……本当はあれ、「私」じゃなくて、だからって二重人格とかじゃなくて、実在したある女の子の……
 まあ、いいです。どうしてそうなるのかわかんないんですけど。きっと曹さんの、何か特別な力でしょうね。
 そういうの、私、信じちゃう方なんで」
「……ふうん」
「だから」
 ぴた、とパペットの動きが止んだ。遼はパペットを見つめる。

「なんで操さんが曹さんと同じようにあの子を呼び出せるのか、不思議ですね」

 操は彼女の顔をちらりと覗き込んだ。悲しがっているわけでも、笑っているようでもない。ただただ普通の顔をしていた。純粋に疑問に思っているようだが、それが表情にまでは及んでいない。

「私と藤巻慮歌さんと朝宮千里ちゃんのことを、知らないはずなのに――」

 操には解らない人名だった。おそらく曹の友達のことだろう。フルネームで言ったのは、操が知っていたら何か反応を示すと思ってのことかもしれない。
 遠くから、誰かが遼を呼ぶ声がする。遼の、友達だろう。
「じゃあ操さん、ちょっと抜けますね。曹さん来たら、ぜひ一緒に私のクラスの展示にきてください」
 遼は颯爽と去っていく。操はその人名のことは考えず、ただ呆然と、曹のことだけを考えた。

 操さんが曹さんと同じように。遼はそう言った。
 操は曹に、近づいているのだ。

 生ぬるい唾を嚥下する。それはどこか粘着いて、自分のものなのにじっくり操の体内を冒していく妄想が過った。
操自身気付かないうちに、同じものを――それも、遼の話を聞くには大分深いものを、操が知らないものを――共有していたのだった。

 友達になれと曹は最初に言った。操は、自分は彼の友達なんだ、と心の中で何度も反芻する。
 しかしそれ以上になっていく、以上を求めようとしている自分が恐ろしかった。

 こんなことは今まで生きてきてなかったことだ。運でどうにでもなる人生だからだろうか、とにかく操は物事の全てを透明に見ていた。与えられる以上や運でどうにかなる以上を激しく求めたりすることはなかった。
 なのに、なぜ曹のことで胸は縛られるのだろう。
 なぜ曹を求めるのだろう。
 操はその場から動かなかったが、心の距離はどんどん、彼女の中で曹と彼女はせばまった。やがて一つになろうとしていた。それが怖かった。


 彼を欲しがることが、――つまり、好きになっていくことが、怖かった。



  3
続く
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