「操?」
 どれだけ目を閉じていたのだろう。
 自分を呼ぶ声でうっすらと目を開けば、文化祭で賑わう喧噪の中に曹が立っていた。自分を覗きこんでいる。
 ああそうだ。
 こんなにも近くに彼はいるのだ。
 きゃあと操は声を上げたが、この喧噪の中では女子高生の笑い声だと誤認されてしまうだろう。別に曹に何かされているわけでもない。むしろ彼は心配そうに操を見つめているのだ。突然の悲鳴に面食らっていたが、落ち着けと肩に手を置く彼は頼もしげに見える。
「まだまだ日差しは強いからな。熱中症にでもなったのかと冷や冷やしたぜ」
 暑いってのにな、と彼は笑って見せる。操が救われる笑い。怖くない笑み。
 操も、謝るかわりに微笑んだ。
 その笑みさえあればいいのに、どうしてそれ以上の繋がりを求めてしまうのだろう。


 楽しく時が流れ、文化祭は終わった。生徒や教師達や他校の生徒、父兄、近所の人々はその楽しい時の流れに乗っていた。多分曹も乗っていたし、操も乗っていた。占いをしたりお化け屋敷に入ったり模擬店のメニューを食べたり古本市を覗いたり展示を見たり写真を撮ったり、ごく普通の文化祭である。
 しかし楽しい時の流れに身を任せる操もいれば、切なさに浸った操もいた。お化け屋敷で握りあった曹の右手と操の左手、写真に写った二人をいつか思い出すときが来るかもしれないという不安、今日という日を過ごしたことが思い出に――思い出すたびに切なくなる思い出になるかもしれない不安と切なさと恐怖があった。
 曹のあの目に囚われるのが怖いのに。曹に近づくのが怖いのに。
 近づいてやがて一つになって、そして離れていくのが不安で、恐ろしいのに。
 そうだったのに、どうして逆転してしまったのだろう。
 操は曹が限りなく自分に近いものだと感じた。曹がどう思っているかは操の知らないところだが、それだけは確かだった。

 文化祭は午後三時に終わった。ここで帰るのはつまらない、どこかへ遊びに行こうと曹は言う。操はいつも通りに返事をする。強引な彼にやれやれと肩をすくめている風に。自分の切羽詰った気持ちに気付かれないようにと祈りながら、彼に従った。
「さあーて、どっこに行くかな。操、どこがいい」
「どこでもいいです」
 曹と行けるのなら、操は本当にどこでもよかった。目を伏せながら言ったのは、その気持ちにも気付かれないようにする為だった。
「本屋にでも行くか」
「意外とインドアですね……」
「立ち読みは体力いるぞ?」
「お金あるなら買いなさい」
「立ち読みがいいの」
 などと会話しながらバイクに乗り込んだ。曹の体に操はしがみつく。体温が操に伝わる。操の胸が高鳴った。そして強い風を感じられるスピードが出る。三国市大庭の大きな本屋へ二人は向かっていく。
 風が、操の頬を、曹の体を一気に駆け抜ける。
(好き……か)
 その言葉を口にしたら、こんなバイクの音の中でも聞こえてしまいそうだから、操は心で呟いた。恐怖も、切なさも、愛しさも、全てがないまぜになった操の体を、何故か操は大事に思った。だから操は、曹により強く、抱きついた。強い衝動とスピードに振り落とされないように、その気持ちを、風に盗まれないように。



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