曹の言う通り、もう少し遊んでから帰った。操とキスしたことなどまるで日常の些細な出来事のように、驚くほど言及せず曹は遊んだ。操はそれがはがゆい気がした。帰り道、彼に抱きつきながらバイクに乗っていた時に生まれてきた熱い感情も、どこか切なかった。

 操は自宅のマンションでシャワーを浴びる。鏡の前で浅黒くなった自分を見つめてコックをひねった。海水浴をして、更に日焼けもしてしまったので肌に当たる水は決して優しいものではなく、なぜか無性に自分が責められている気がしてとにかく操は痛がった。
 ふと自分の乳房や性器の辺り、体のなめらかな曲線に目がいってしまう。そこで操は初めて意識したように思う。

(そうだ、私、女だったんだ)

 何を当たり前のことを、と客観的に思い操は呆れたが、一人暮らしが四月からもう四ヶ月続き、大学の友達も女性が多いのでうっかりしていた。そう思いつつ操はシャンプーを始めた。毎月起こる月経も、既に女性性をきっちり確認する効果が薄れつつあるくらい日常に埋没してしまったのだろう。
 操が女性であることは、曹が男性であることをより際立たせた。それは、海でもたらされた口付けのことを、光がぱあっと降ってくるように思い出させた。

 顔を赤くしながら操は唇を噛み、指で触れ、彼とのキスをつい確かめてしまう。たった、たった一度のことだ。そのキスの前後にはまるで変わらない友達の風景が続いていた。しかしそうしていると、すべての時が止まって、操は一人自分だけの夢の中に迷い込んだような気がする。その夢は甘いようで、同時に切ない気もした。
 操は曹の友達なのである。
 まだその関係は崩れていない。だから、切ないのだろうか。
 もっと明確に二人を繋ぐ関係が欲しいのか?
 頭を振る。水滴は飛び散って、何も言わず排水溝に流れていく。

(違う。友達だ。絶対、友達なんだ、私とあの人は友達であるべきなんだ)

 そしてシャワーの雨に自らを濡らしていった。
 口づけを交わしたが、操は曹に近づくことを恐れた。あの黒い目に囚われる自分を怖がった。第一交わしたなんてものじゃない。操の同意も得ず、強引に曹が奪っていっただけだ。
(……初めてだったのに)
 湯船に浸かっていなくても、体は火照っていく。曹が強奪した――奪い取った唇に再び触れながらよくよく思い返してみれば、あの黒いぬばたまの闇の瞳は、何もかもを吸い取ってしまうブラックホールのようじゃないか。執拗に友達になりたがったのも、わがままなのも、全て欲しがるからだ。操とはまるで、正反対だった。

 まるでそうでもしないと生きることが許されないように曹の欲望は強い。
 それはただ単純に、怖かった。
 自分の全てが、もぎ取られていくのか?

(変なことを考えるのは、もうやめよう)

 曹は何も言わなかった。いつもの友達としての付き合いが続いただけだったじゃないか。あんなことは、きっと時空か何かが乱れてああなっただけ、もしくはきまぐれなだけ――操らしからぬ考えをしなければならないほど、操は事実焦っていた。
(私と曹さんは、友達だ)
 自然なことだ。蜘蛛の巣にかかった虫が蜘蛛に近づけないのと同じように、曹に近づくことを、まずは無理だと思うことにした。だから安心すればいい。操は曹の友達なのだから。もう、捕えられてしまって、その位置から動けない。
 しかし、そう思ってもどこかで操は曹に近づいていく気がした。自分の意志で、自分の想いに従って、欲望の粘着いた触手から逃れて、彼に触れていくような、そんな予感が。
 明日もいつも通りに、明後日もいつも通りに、自分は彼に会いに行くだろう。怖いのに、恐ろしいのに、求めている。

 ふと客観的にそう観察した己を操はどうしたらいいか、わからなかった。




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