「っと、なんなんですか? 人が食べてる途中に」
「お前の強運を使おうと思ったのだ」
 操の頭にかちんと来る。途端に腹が立ってきて無意識に声を荒げた。
「使うって……ひどいじゃないですか! 何考えてるんですか、ったく」
 行儀悪いが、思わず舌打ちしてしまう。
「世の中全てがどうでもいいとか言ってたのに……自分が使われることはどうでもいくないのだな」
「それとこれとは話が別なような気がしますよ。ある程度の自尊心くらいは持ってます」
「まあいいじゃないか。それより俺の頼みを聞け。ちょっとは面白くてどうでもよくないかもしれないぞ」
 そこで初めて、操は彼の全身をゆっくり見られた。曹は百七十センチ近い操よりも身長が結構高く、操は見下ろされている。
 個人的な興味に燃えた、しかし憎みがたい黒い目、見下ろされる構図、何かを企んでいる小悪魔の如き笑顔、その他の要素が、世の中全てに対し斜に構える操をこっくりと頷かせた。
「ヒミコ婆の孫に、伊予という女がいる」
 操はヒミコが何かぶつくさ言っていたことを思い出す。
「お孫さんですか、その伊予って子」
「そう。こいつをヒミコ婆は呼び戻したがっている。趣味で家出しているんだ」
 そういえばその子がいれば楽になる、という風にヒミコは言っていた。
「趣味で。ふうん」
 脳裏に浮かぶ曲がった腰の彼女は、妙に哀愁を呼び起こす。ここに戻ってきて、老人のヒミコの肩の荷が少しでも軽くなればいい。操はぼんやり思う。
「でも俺は困る」
「何でですか」
 操は曹を見上げるのに疲れ顔を下げ、爪をいじる。そこまで興味はないぞ、というささやかな反抗心から来たものなのかもしれない。
「俺はヒミコ婆の家に居候しているのだ」
「そうなんですか」
「伊予が戻ってくると俺の居住スペースが無くなるということになる」
「確かにそうですね。なら他の部屋探せばいいじゃないですか。この辺り地価高いと思いますけど、一色とか御暮とかならわりといい物件ありそうだし、十分大庭のここまで通えますよ」
「それは嫌」
 見ると曹は口を尖らせている。眉もしょぼくれており、人の同情を誘おうとしているのがはっきりわかる。性質の悪い子供にも似た曹に操ははあと大きくため息をついた。
「なに子供みたいに言ってんですか」
「それに金がないわけじゃない。金なら両手に余るほど沢山ある」
「自慢ですか。ならこの近くのマンションとかに越せばどうです」
 彼の身につけているアクセサリーや服は確かに高価そうだ。頻繁に美容院に通ったり買い物をしていたりもするのだろうと容易に想像がつく。
「他の場所だと全部あいつらに見つかった。でもヒミコ婆のところにいるとなぜか見つからないんだ。やはりこういうことは関係者だが微妙に赤の他人の家に居候するに限るな。まあ日立は知ってるけどあいつなら報告しない……」
「あいつら? 関係者だが微妙に赤の他人? 見つからないって何がですか?」
「それはとにかく! 伊予が帰らないように念じろ」
 ずいっと曹は操に迫ったので思わず操は後ずさりする。その時曹の肩越しにこちらに向かう人の姿が見えた。他の人々に混じって、その姿だけがはっきり、操に見えた。ゆっくりゆっくり、高貴な人のように歩いて近づいてくる。女性だった。
「大体あんな小娘に二階の俺ルームを取られてたまるか。あんな十八年生きて十八回家出してるようなあばずれ娘に商売手伝わせようなんてヒミコ婆も変わっている、水晶玉を睨むくらいなら俺だって出来るぞ。大体あいつだってヒミコ婆のところに居候しているじゃないか、つまり、そう、これは俺と奴による国盗り合戦にも似た戦争なのだ……」
 女性は操と同い年くらいに見える。そんなところまで近づいてきた。女性は止まった。


 彼女は少し驚いた表情をした後――妖しい微笑をたたえながら操を見た。二人には距離が十分あった。しかし、操は彼女の、アジアの人種とは思えない紫色の目がはっきり見て取れた。眉がわりと太くきりりとしている。髪は長く、二つに分けられ、大きなアクセサリーのついた髪留めにより毛先の方で纏められている。今日は結構暑いのに、白の長袖に臙脂色のロングスカート。髪も長い。女性のペンダントがきらりと光る。トップが手鏡にも使えそうな円板の水晶らしい。ミステリアス、と操は思った。
「小娘のくせに紫のカラコンなぞ入れよって。けしからん」
「? 今、カラコンっていいました? しかも紫」
「おう、言ったぞ」
 操は息をのむ。
「伊予って子、髪は長いですよね。季節に関係なく肌露出してたりしませんね。怪しげなペンダントとかしてたりします?」
「お前詳しいな。伊予と知り合いか? それとも女子高で禁断の姉妹愛を築いていたりしてなかったか?」
「最後のは聞かなかったことにします。鷹巣さん」
 操は頼みを諦めて笑った。おそらく、前方の女性が伊予だ。
「私の強運ってね、やっぱり凶運なんですよ」
 そして曹に振り返るように示す。伊予らしき女性をみて、しばらく間を置いてから曹も思わず後ずさりした。そして操と同じラインに立つ。



「伊予! お前戻ってきやがったな!」
 伊予は冷ややかに微笑み続けている。
「ここに戻ってきて何が悪いんですか」
 同い年、と考えると伊予は十九の女性にしては声の調子が低く、更にミステリアスな雰囲気を押し出している。露出はしていないがそのせいで操より女性的な色気もあった。
「彼女が戻ってきたらヒミコ婆さんが楽するのか、と思ったらこうなりました……」
 操はばつが悪そうに言った。伊予が戻ってくることなどどうでもいいことと思っているが、このタイミングではなんだか曹に悪かった。
「ちきしょう、操め」
「だから言ったでしょ。やっぱり凶運って」
「新しいお友達ですか?」
 伊予は更に近づいてきた。独特のオーラが感じられる。ヒミコには特に感じられなかったものだ。伊予の紫の瞳が見える。妖しい微笑み、妖しい容姿に、操はどこか自分が捕らわれてしまうような、曹の黒い瞳の持つ印象と同じ様に感じた。
「耶馬柴伊予です。はじめまして」
 近くで見ると、きりりとした眉に切れ長の目が美しかった。彼女は随分機嫌良さそうに微笑んでいた。
「鷲羽操です。どうも……」
 ついうっかり自己紹介をしてしまった。いつもの操にとってどうでもいい人々であるはずだが、今日はどうしてかそんな感じがしない。それを最も強く感じるのが、
「あーあー、やる気がおきん」
と脱力している曹に対してだった。
「家出ばっかしてるくせに、こんなに早く帰ってくるとは……」
「期間は関係ありません」
 そして失礼と頭を下げると館に入っていった。中でヒミコはおそらく喜ぶことだろう。
「ったくもー。散歩だ、散歩。操、散歩に行くぞ!」
「ちょっと、何するんですか!」
 強引と何度言っても足りないだろう。操は犬のように曹に引きずられながらどこに行くかわからない散歩に連れ出された。操は抵抗する気力がなかった。伊予の独特のミステリアスなオーラを受けたせいかもしれないとふと思ったが気にしないことにした。

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