時を同じくして館から老婆が出てきた。小柄な体が伸びをして、あくびした。そして扉に休憩中という看板をかけて曹に近づいていく。
「何サボッとるんじゃい」
 その低い声音はいかにも老婆らしい。
「サボってないぞ。こいつを入れようとしていた」
「ちょ、興味ないですって」
 それに操の今日の所持金はわりととぼしい。服が二着買えるか買えないかだ。
「ふうーん。休憩時間だからお嬢さんもどうだい」
「おお、もうそんな時間か」
 曹はそれを聞くなり二人の方を顧みずに店内へ入っていく。まったく、大きな子供だと操は肩をすくめる。こんな大人の傍にいるのはごめんだ。
「お菓子もあるから、よかったらおいで」
「いえ、いいですよ」
「占いが嫌なのかい? 私も嫌だよ、あれは疲れる……」
 操の答えにおかまいなく老婆も億劫そうに店内に入っていく。曲がった腰の所為でやや辛そうに見えた。
 今なら逃げられる。なんてことのない日常に戻っていける。――ばたんと扉が閉まったのを操は見た。しかし、何か妙な引っかかりを感じて、操は繁華街の中心に戻っていこうとしなかった。――彼女自身よくわからない。彼女は扉の金色の取っ手をつかんだ。
 店内は明かりが薄い。暗いとまではいかないが、居酒屋のようだと操は思う。老婆は店の中央にいて操を手招きしている。曹は大きなテーブルの上にあった水晶玉やカードや燭台やらをてきぱき片付けてどこかへ行ったと思ったら、ケーキの入った箱を持ってきた。どうも厨房のようなものがこの占い館にあるらしい。老婆はお茶を用意し始める。
「遼がこの前作ってくれたケーキだ、ヒミコ婆」
「私は和菓子がいいよ。惇公の京都土産の八橋まだ残ってただろう……」
と操にはわからない人名を交えながらお茶の時間を始めようとする。操はなんとなく肩身が狭くなってイスに座ったままぼんやり天井を見つめていた。天井には、よくわからないが全天星座図のようなものがかかっており、もしドーム状の屋根だったなら、小さなプラネタリウムができただろう。
「お嬢さんは何にするかの」
と急に声をかけられはっと我に帰る。
「えっ、えと」
「ケーキだ。ケーキで決まりだな。紅茶はアールグレイだ」
「ちょっと、勝手に決めないでください、ええと……鷹巣さん」
「なら八橋かい」
「い、いや、ケーキでいいです」
 曹は楽しそうにケーキを皿に移す。ケーキのことは別に構わないが強引な奴だ、軽く操は彼を睨むが曹は全然気にしていないようだった。紅茶を入れに厨房へ向かう。
「私は耶馬柴ヒミコさ。お嬢さんは」
「鷲羽、操です。鷲の羽に、操る」
 変わった名だね、「みさお」じゃないのかいとヒミコは、後ろの棚から湯飲みを取り出し、すぐそばの急須からお茶を注ぐ。紅茶類だけ厨房にあるようだ。
「――占い、出来るんですか」
 興味はないが一応訊いてみた。それで商売しているのだから無礼かもしれない。操は言ってから焦ったがすぐまあどうでもいいやと思った。
「出来るさ。一族郎党全員が。……嫌になるほどね」
「はあ」
「でも商売で『フリ』をするのは、ほんに疲れるわい。水晶をしかめっつらで眺めたりカードをきったりめくったりさあ。こういうのは伊予のやることだよ……。まったく、伊予はどこほっつき歩いてんだか……」
 伊予、という人名に、ヒミコの身内かアルバイトだろうかと操は思う。
「でも占いって、そうやってするもんじゃないんですか」
「私は顔をみりゃあ大体の運勢なんかすぐわかるよ」
 なんとなく見ていたヒミコの目がキラリと光った気がする。操は顔を背けようとしたが印象が悪くなりそうで出来ない。曹が戻ってきた。八橋の箱を置く音やフォークを皿に置く音、紅茶を置く音がやけに大きく聞こえた。
「ほお。操さんこりゃ類稀なる強運だね」
「だろう! 話を聞いてみたら面白い面白い。さっき友達になった」
 曹が怪しくて張り詰めた雰囲気を一気にほぐす。操には不思議とありがたがった。
「この前何とかいう人を友達にしたばっかりじゃないかね」
「面白い奴は無条件で友達だ。インターバルは関係ないやい」
 操は口角を上げた。しかしすぐに、真顔になった。
「でもね、強運は強運でも……」
 ヒミコには解るらしい。
「凶運だね。大凶の凶に運。禍々しいものを孕んどる」
 操は、目を伏せた。
「すごいですね。占い師ってだけでそこまでわかるんですか」
 操の強運、すなわち操自身、禍々しいものを孕んでいる、ということが当たっているとわかる言葉だ。
「具体的なことなんぞわからんさ。そうじゃないかと思って」
 やや沈んで聞こえたな、操は自分の声をそう認識していた。一方曹は静かに紅茶を飲みながら聞いていた。
「何かあったのか?」
「曹、よさんかね」
「別にいいですよ。過ぎたことですし」
 顔は少し伏せていたが、操はさっぱりした顔をしている。――そうやって、操は毎日を切り抜けている。過ぎたことは、過ぎたことで、関心を寄せるのはいただけない。
操にとって運でどうにかなる世の中全てがどうでもいい。




「すごく小さい頃、飛行機事故に遭ったんです」
 操がまだ一歳か二歳かそれくらいの時だったらしい。
「ん……? 八十年代にあった、なんとか山のか? 鷹なんちゃら言う……」
「違いますよ。まあ、それはそれとして……私は奇跡的に生き残りました」
 そりゃ生きてないとここにいないしな、と曹はフォークをケーキに刺す。
「親は、死にました。二人とも」
 空気が急に重くなる。明度がとぼしいこの空間に、操の告白がある程度の重さを持って迫っている。
「それから親戚の家でずーっと暮らしてて。私が運で高額を手にするとほとんど取られちゃいました」
 淡々とした口調で語る。しかし声はやはり沈みがちだ。
「テストでヤマがあたるとカンニングだって陰口をたたかれたこともありました。私に告白してきた男子が友達の彼氏で、……友情が破綻して。それで高校生活の後半はとびきり楽しいわけではなかったんです。運が良くていじめなんか受けなかったけど」
 そして操は目を閉じる。
「運が良くても、悪いことなんて後から先にいっぱい転がってるんですよ。
 ……凶運とはよく言ったものです」
 ふん、と曹は鼻を鳴らした。
「強運にして凶運、けっこうじゃないか」
「ええ、別に、どうってことありませんよ」
 操は顔を上げて言った。強がりに聞こえそうな言葉だった。
「すまんね」
「いいえ。気にしてないです」
 操は出された紅茶にようやく手をつけた。もうとっくにぬるくなっている。
「私でよかったよ。伊予だったらもっとびしばし厳しいこと言うんだろうねえ……」
「ん! 伊予か」
 そしてそうだ! と曹が大きな声をあげる。それからもしゃもしゃと――誰かが丹精込めて作ったように見える――手作りケーキを急いで食べた。
「操、ちょっと来い!」
「わああ」
 美味しい手作りケーキを食べかけていた操の肩を掴んで無理やり曹と同行させられる。掴む力は強く、強引にもほどがあるだろう、と操は思った。そして二人は店の外に出た。

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