私は彼のことを常に先生と呼んでいた。
 彼、と言うのは、一応は私の部下に当たる研究員、多々良さんのことだ。
 たたら。ちょっと妙な名前だ。可愛いけれど、何かに惑わされそうな響きでもある。研究所には何故か「多々良」と言う名でしか登録されていない。苗字なのか名前なのか判別しがたい上にそんな状態とくれば、もはや偽名であることも明らかだし、研究所の管理の杜撰さも伺える。それなのに多々良さんは堂々と研究所で日々を過ごしている。少なくとも私が物心をついた時からずっと。
 どういう特権が与えられているのだろう。コードネームのようなものだろうか。あるいは、何か特別な力でも持っている、魔法使いだからだろうか。いくら考えても真実はわからない。それが何だか、魔力を持たない者に魔なる者の考えることはわからない、そう蔑まれているようで、その考えは好かなかった。研究所を経営する一家の娘、喜久井富子である身分を振りかざせば彼はあっさり名を明かしてくれるのかも知れないけれど、そうして得たものにどれほどの意味があるだろう。私だって欲しくない。多々良さんは多々良さんでいい。
 そんな彼のことを私は先生と呼んでいたのだ。
 昔の話。それこそ、物ごころをついた少女よりもっと稚い時分の話。では何故私がそんなことを急に思い出しているのかと言うと、例の計画の報告書制作の為に、あのにっくき夏目坂美禰子の居候先、その情報を適当に眺めていたからだ。
 居候先にいるのは、魔法と縁もゆかりもなかったFの少年、牛込三四郎。何故か魔法が使える猫。そして、美禰子があちらでの生活を始めてしばらくした頃に新しく居候として加わった、松山坊とその女中、養源寺清。
 この松山坊と言う男もまた、牛込三四郎と同じように偶然魔法の力を手にした、Fで生まれた魔法使いであると言う。
(ああ、忌々しい)
 むかつく、むかつきますわ。私の研究室には今誰もおらず、小さな声でぶつぶつ呪詛を吐く。尤も私はそんな呪詛はおろか、おまじないさえ実を結べない。魔法の神に嫌われた魔力皆無の私には、魔法と何の関係もなかったFの人間が魔力を持ってしまっていると言うだけで腹立たしいのだ。それに何故か人間でない猫まで魔法を使えると言う。どうなっているの、この世界は。魔法を司るのはfの方だと言うのに。責任者が神だと言うのなら、私は神など信じない。
 しかもなお最悪なことに、このおよそ二ヶ月の間に牛込三四郎も松山坊も魔力が格段に上がったと言う報告が出されている。もしかすると魔力を失うか、最悪命を失うと言う局面にあったのに。対して、計画上肝心要である美禰子の方はと言うと、この二人に比べれば穏やかな成長率だと言う。
 予想外は、あの二人の方。魔法使いになったのも予想外ならば、そうなると言うこと。
 全く。荒く息をつく。この世界で私が振るサイコロは六面全て一の目なのかもしれない。いやそれどころか、数字すら振られていない、白面のただの立方体だなんてこともあり得そう。
 唇がかなり不細工に、不機嫌に尖り、もはや捲られているレベルにまでなっていく。
(怒るのは、よしましょう)
 さっと唇を引っ込め、跡が残りそうだった眉間を緩めて撫でた。もしこんな静かなる憤怒に狂っているところを多々良さんに見られでもしたら、三日は顔を合わせられない。とは言え、いつも誰に対しても私は不機嫌でいるようなものだった。自分のことは自分が一番よくわかっている。
 ほとんどわざとと言ってもいいくらいに不機嫌な状態でいて、居丈高な態度でいないと自分が保てない。
 そう言うことも、わかっている。
(難儀な性格よね)
 魔法の使えない落ちこぼれの才女がこの研究所に居場所を求める為には、いっそ道化と見えるくらいに振る舞った方がいい。そう達観した故の性格なのか、それともそのまま素であるのか。自分でもよくわからない。
(子供の頃は、もっと素直だったはずですけれどね)
 成長すると言うことは即ち捻くれると言うことだ。枝葉を広げていけば真っ直ぐな茎も微妙に曲がっていく。子供の頃か、と私は椅子に座り、背凭れに深く身を沈めた。
 多々良さんのことだけを特別に先生と呼んだわけではない。研究所で出会う人のほとんどを私は、言葉を覚えたての幼児のように先生せんせいと呼んでいた。実際どこかで「先生」と言う言葉を知ったばかりだったのかも知れない。そもそも、研究所に所属する風変りな人々は皆白衣だったりローブだったり、各々魔法の研究や実験、実践に適したものを着用しているのだ。ローブはともかくとして、白衣の人を見れば病院の医者だとも思うだろう。医者だって「先生」と呼ばれているのだし。だから多々良さんへの「先生」も、さほど特別な意味はなかった。
 でもそれは、最初の話。
 初めて私が彼を先生と呼んだ時。彼が初めて先生と呼ばれた時。ほんの一瞬だけそれまでと違う顔を見せたのを、目ざとい幼児だった私ははっきり見てしまったのだ。
 言ってみれば素の表情だった。うっかり仮面が取れてしまった、と表情が固まり、見せるべきでないものを見せてしまったと誤魔化すような苦笑を浮かべたのを、妙にありありと覚えている。
 しかしそれは、あくまでもほんの一瞬の出来事だった。数秒はあっただろうけれど、私以外の者からしたら急にそんな風に呼ばれて戸惑っただけの数秒としか認識しないだろうし、実際父やお付きの者もそう思った。誰しもが後の数秒には忘れてしまいそうな、世界の記憶にも残らない、ノイズにもならないような一瞬だった。
 でも私は違った。
 その時の彼の、間の抜けた表情に惹かれた。惹かれてしまった。
 これが恋のそもそものきっかけだったとすれば、恋とはなんと安っぽい始まりなのだろうと呆れる。きっかけはちっぽけなのに、時と場合によっては地獄に深く突き落としさえするのだから性質が悪い。でも一方で天にまで昇る気持ちになるとも言う。いくら何でもコストパフォーマンスの差があり過ぎる気がする。私はどっちかしら。地獄に片足は突っ込んではいないと思うけれど、綱渡りのような気がする。地獄の方から伝わってくる釜の熱さに、しばしばうんざりしている。
 ともかく、私は多々良さんのことを先生と呼ぶようになった。多々良さんだけを、先生と呼ぶようになった。
 多々良さんはその度、どこか嬉しそうで、しかしどこか照れくさそうに、あるいは、そう呼ばれることが良いことなのかどうか迷うような表情を浮かべた。一言で感情を言い表しがたい、複雑な顔。彼の素の瞬間を捉えたかわりに、他のことは鈍感で、なおかつ子供だった私は彼の胸中を推し量ることなど出来ずに、ただ先生せんせいとのんきに慕って歩いていた。
 多々良さんは当時から研究所において特別な存在で、父を始めとする一族の者は彼となら仲良くしてもよい、富子を任せておいていいだろうと判断していて、私達はよく一緒にいた。多々良さんは今もそうだけど、なかなか本心を見せない人なので、本当はきっと子守なんてと煩わしく感じていたかも知れない。そういうことを、私は理解出来ずに子供らしい迷惑ばかりかけていた。
(今思い出しただけでも)
 そのまま棺桶行きですわね、と手の甲で顔を隠した。
(もしかすると、私)
 薄ら目を開けば、研究室の照明が眩しい。
(魔法を教えて、なんてことも)
 言っていたかも知れない。
 さて、どうだっただろうか。沈黙が一秒二秒と流れていく。自虐の嘲笑さえも浮かべられなかった。でもそんなこと、しなくてもいい。幼い頃、まだ何かを信じている健気な姿は、思い出すだけで身を斬られる程に痛切だった。
 喜久井の一族。魔法研究に貢献、魔法を発展させた名高き一族にして、誰一人として莫大な魔力を持たない者はいない。私以外は。
 一族の中の欠陥。正常の中の異端。純なる中の、まがいもの。
 確かに喜久井の血を引く者であるのに、私には無しか持たされていなかった。
 最初は悲しみしかなかった。自分は喜久井の娘でなく、研究所の孤児院にいる子達と同じように、魔法に縁もゆかりもない、何者でもない誰かの子供なのだと半ば信じた。そのような陰口がないわけじゃなかったのだし、両親が憂いているのも見ていたのだろう。鼻が不細工なのも喜久井の子じゃないからだと、まるで関係のないことまでその所為にした。
 誰かを不幸にしている自分に、自分自身を不幸にしている自分に、失望に近い気持ちで私は悲しみを見出していた。それが後に悔しさに変わり、やがては怒りと憎しみに成長していく。
 でも最初にあったのは、悲しみだけ。
 悲しみは孤独とも近かった。誰もが魔法を使える研究所と言う社会で、私はひとりぼっちだった。
 群れからはぐれた羊ではない。最初から群れてなどいない。途方もない世界に放たれた羊。
 迷うことさえ出来ず、ただただ存在の不可解さに胸を痛めるだけ。
 迷子ですらない、ストレイシープ。
 でも泣くことを善しとしなかった。そこは幼少期でも今でも変わらない。悲しみを表に出してしまえば両親も兄弟もより一層気に病むだろうし、心無い者が見ればそのおぞましい無意識下の嗜虐趣味を肥大化させて、更なる涙を、弱さの発露を望むだろう。どちらの反応も、根本的な解決を導かない。泣いたって何も変わらないのだ。
 だから私は一人で悲しみをやり過ごすことが多かった。
 涙を流さないで、一人でぎゅっと縮まって。
 そんな、悲しみの固まりでしかなかった頃に、私は多々良さんと出逢った。

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