「で、でかいね! も、もこもこ感がアップしてる感じするね!」
「美禰子、無理に平静を装わなくてもいいんだぜ」
 引きつった笑いは俺も浮かべているだろう。あははははと笑い合っても何の解決にもならない。
 でかい。改めて見て思う。全長何メートルなのだろう。見た感じは二階建ての家をゆうに越す大きさだ。ということは、辺りに何もないこの辺だとあの巨大羊は極めて目立ちまくりと言うわけだ。
「このまま、どこか行ったりでもしたら」
 移動するだけでも悲惨だが、もし攻撃性のある魔法なんか使ってみろ。想像して俺の身は竦んだ。特撮の怪獣映画よろしくとんでもない大スペクタクルが、坊っちゃんのご近所の平凡な日常に突然幕を開けることになる。
「まあまあ、昔見た映画のようですわ」
 とは言え一般人代表としてここにいるような清さんは事態の深刻さを意識せず目をきらきらさせながら興奮しているのだけど。
「さらに……さらに」
「さ、三四郎、何よう」
 その羊の正体は、出所は、とマスコミや警察関係者が調べ上げて、ついに俺の所に辿り着いてしまったら! そういう勢力の情報収集力を甘く見てはいけない。親父にも俺の現在が知られてしまうことだろう。
「あああ、俺の至って普通な高校生活が!」
「三四郎落ち着いてっ!」
「魔法使いのくせしてどこが普通だ」
 何を今更、と軽く拳がとん、とつむじに載せられる。坊っちゃんが勿体ぶった足取りで鷹揚に前に出てきたけど、特に何か考えているわけじゃなさそうだ。腕を組んでふむ、と息をついている。やれやれだぜ、と言うように。
 ずうん、と重厚な足音を立て、羊はどこかへ一歩進み出す。俺達の方ではない。
「やばいっ」
 悪い予感や予想は当たるものだ。このまま別の住宅地にでも行ってしまったら、とにかく騒ぎになる。
「とりあえず、即席の結界張っちゃうよっ!」
 美禰子は宣言し、杖を光らせる。ひゅんひゅんひゅん、と金色の光球が飛んで、やがて無数の糸となって消えた。ワガハイよりは弱いかも、と言いながら次々と放っていく。
「でも気付かれちゃうのは、時間の問題かな……」
 効果は弱く広範囲ではない。何より相手はでかいのだ。ずん、とまた地面が揺れる。この揺れは何も知らない人々にも伝わるだろうか。単なる地震だと思ってくれればいいけれど。
「お願いっ! こっち来てぇっ!」
 結界の魔法をあらかた終えた美禰子は杖を構える。ぼんぼんぼんっ! と勢いよく星形の衝撃波らしきものを放つけれど、標的は大きすぎる。蚊に刺されたようなものだろう。
「ええーい! 来い来い来い来いっ!」
 しゅばばばばっ! とまるで鉄砲よろしく撃ちまくるけど、まさしくなしのつぶて。その内関係のない方向に飛んでいくし、何故かわけのわからないがらくたまで出てくる。与次郎がよくやるゲーム風に表現するなら美禰子は混乱している、と言ったところか。そう言えば某青い猫型ロボットもパニックになるとよく関係のないものをポケットから出してるな。
「もう……最初っから疲れてるって言うのにい」
 へたり、と杖に身をもたれて腰を落とす美禰子の姿は数分前とそう変わらない。速度は鈍重とは言え、こうしている内にどんどんストレイシープは距離を広げて行ってしまう。
「何か、こう、ゲームとか小説とか漫画とかだと、核になるようなものがあって、そこを叩けば元に戻るとか分散するとか」
 そう言うのねえのかな、と頭を掻く。巨大化と言えば戦隊ものの怪人だ。こっちも戦隊もののお約束で巨大ロボでもあればいいのに。ワガハイに頼んだら出してくれないかな、ってそれはさっきの猫型ロボットの出てくる別の作品だ、と俺も何を考えているのか、逃避のような混乱が忍び寄ってきた時だった。
「いくらお前らが魔法使いだからって」
 顎を撫でながら坊っちゃんが口を開いた。
「魔法を使うことにこだわらなくていいだろ」
 坊っちゃん……? と首を傾げる美禰子。
「もっと物理的で原始的な方法があるし、そういうのが往々にして解決を齎してくれるもんだぜ」
「勿体ぶって、何だよ」
「美禰子」
 俺には取り合わず坊っちゃんは美禰子をまっすぐに見る。
「あれは、あんなナリでもお前の男だろう?」
 美禰子は瞬く。俺の方は、僅かに開いていた口を閉じる。
 忘れてなんかいない。ストレイシープは美禰子の大切な旦那さんだと言うことを。
 そのことがどうしてか、俺を不用意に焦らせたり。
「お前の声で、呼べ」
 俺をどこか知らない境地へ導こうとしたりする。
「お前自身で取り戻せ」
 どこか知らないところ。危うくて、怖くて、それでいて寂しくて、一歩間違えたら、何もかもが滅んでしまうような。
「呼ぶ……」
 下唇を噛みかけた俺をよそに、美禰子は呟いた。坊っちゃんが一つ頷く。
「そっか、そうだね」
 うんうん、と何度か頷く。よおっし! と勢いをつけて美禰子は立ち上がった。
「おい」
「うわっ」
 と同時に坊っちゃんから額をツンと押されてしまう。顔色には出してないつもりだったのに、からかいに長けたこの男のことだ。何か察したんだろう。へへっと笑っているけれど嫌らしくは無かった。
 美禰子はまっすぐ、のそのそ進む巨大羊を見つめた。その横顔は眩しかった。きりりとした眼差しのまま美禰子は走り出す。まさか奴に飛び込んでいくのか、と思いきや、大きく逸れて羊の後ろの方へ回っていく。何も出来ないけれど、俺も追走した。
「ストレイシープ!」
 ぎゅっと杖を握りしめ、身を縮めるようにして美禰子は叫んだ。巨大羊と彼女、その体格差から、美禰子は崖の下から助けを呼ぶ遭難者のように見えた。
「私は、ここだよ!」
 きわめて物理的で原始的な手段。呼びかけること。
 愛する伴侶が、ここにいると言うこと。
 果たして、のっそりと、十分な時間と力をかけてストレイシープは振り向いた。巨大な生物と少女の構図は古臭いSF映画を見ているかのようだった。月明かりは今遮られているというのに、あの羊達と同じように幻想的だ。やった、と美禰子は笑顔を浮かべた。しかしだ。
 ゆるり、と、羊は美禰子から顔を逸らした。
「あ、れ」
 それはつまり体向きを変えたも同然。どしん、とまた揺れた。
「こっち、来ねぇ!」
「な、なななな、なんでえ!」
 突然の空白にぽかんとしている場合じゃない。かといって慌ててる場合でもない。
「ま、そんなに上手く行くはずもねえわな」
「発案者あんただろうが!」
 すぱすぱ煙草を吸う坊っちゃんは、具体的な方法は言ってないぜとばかりに両手を挙げる。これで解決すんなら魔法はいらねえよなとも嘯いている。
(とにかく、別の方法)
 ただ、俺にはまだ弱い魔法しか使えない。それに魔法の塊でもあるようなあんなモノに突っ込んでいく無謀はするだけ無駄だ。頭をがりがり掻くのをやめて、無力な手を丸めた。
 その拳を見て、ふと思いつく。
 それは坊っちゃんのアドバイスを聞いた時に、既に浮かんでいたものではあった。でも美禰子の呼びかけでさえも利かなかったのだし、やるだけ無駄だと思う。何より、と拳をなお強く握った。
 でも、一か八か。
 俺は魔法使いである前に、ただの人間で、ただの男だ。
「美禰子」
「うん?」
 ごめん、と前置きして、細い手首を掴んだ。ふわっ? と驚きの声を上げるのは想定内。坊っちゃんも軽く眉を上げた。俺は唾を飲む。そして、大きく息を吸った。
「おい! ストレイシープ!」
 あらん限りの大声を上げて、美禰子を掴んだ手も振り上げた。わわっと美禰子がよろめいた。
「聞こえてるだろ! 止まれ! 動くな!」
 目を白黒させながら俺とストレイシープを交互に見る美禰子。もう一度体一杯に息を吸う。奴の動きが止まったことに手応えを感じながら、再び腹から声を出す。
「お前、それ以上、そっちに行ったら!」
 ぐぐぐ、と緩慢な動きで振り返る。巨大な瞳に浮かぶ三日月は嘲笑っているようにも見えるし、物言わぬ神仏のように、ただただ厳かで、尚且つ不気味にも見える。
「そっちに、行ったら」
 握る手に、美禰子の脈動を感じる。幾分不細工な格好だけど、俺は今美禰子と手を繋いでいるんだ。
 この手はいつかの昔、愛する人と繋がれていた。きっと。
 今は振り向きもしなくなった存在と。
「行った、ら」
 こんな呟き程度じゃ到底あいつには届かない。もっと声を張り上げないと。でも、俺はそのせっかくの大声でこの先何をどう言うつもりなんだ?
 そう問いかけてくるのは、理性と言う奴なのだろうか。
「三四郎?」
 当惑した彼女の声は、俺の考えを押し留めはしなかった。今はこれしかない。そうだ、ピンチを切り抜けるには。
「俺が」
 それ以外の理由なんかないんだ。
「美禰子を!」
 言い終わるか終わらないかの内に、ずん、と地響きが腹に伝わった。ずん、と二歩目の波動も間髪なしでやってくる。ずんずん、と三歩目も四歩目も、鈍重はどこへやら、震動は軽快ささえ感じさせる。
 目を点にしている場合ではなかった。
「こ、こっち来たぁ!」
「速いっ! 速いぃっ!」
 考えるのはやめだとばかりに俺を侵食していた余計な思考が霧散する。ピンチに悠長な事していられない。急いで距離を取ったが、大事なことを失念していた。

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