「こっち来たはいいけど! どうやってあいつ回収すんだ?」
 あっ、と美禰子からはだみ声のような返し。やばいと言う汗が見える。
「何も考えてなかったのかよ」
「こ、これから考える、っていうか、考えなくてもいい! もうわかってる!」
 どういうことだ? と首を傾げるのも惜しい。ふんっ、と杖を構える。
「さっき坊っちゃんが言ってた! 物理的で原始的なこと!」
 体勢を変えて、向かってきつつある羊と対峙する。すう、とさっきの俺のように大きく息を吸う。
「三四郎、坊っちゃん、離れてて」
 漏れた息に乗せられた声。返事も出来ない内に彼女の手から零れてくる、蛍のような光。淡い金色のそれらは足元に魔法陣を作り、目を閉じた美禰子の体を縁取っていく。穏やかな魔力の輝きに照らされて、美禰子は目を開いた。
 彼女には似合わない、少し厳しい横顔。決意の込もった、強い表情。
「よい、しょ!」
 しかし彼女が上げたのはもっともらしい妖しげな呪文の類ではなく、力を振り絞る掛け声だった。でも、それは当然だったのかもしれない。
「よいっ、しょ!」
 ぐうううん、と何かが巨大化したからだ。美禰子の声で膨らむそれは、見慣れた彼女愛用の杖じゃないか。ばちばち、と電流のように杖全体に閃光が走った。
 柄が如意棒よろしく伸び、伸びるにつれ太くなり美禰子が無我夢中でしがみつく。網も、網の外縁も全てが羊に合わせて変化を遂げていた。また閃光が走る。前の比ではない程の重量になったであろうそれを美禰子は軽々と持ち上げた。力も疲れも走っていない二の腕が、何だか眩しい。それこそ、自分の腕のようにひょいと杖を上げたのだ。
「これなら!」
 てえい! と大きく振り上げて。
「捕まるよ、ねえっ!」
 羊はあっけに取られてか、身動きもしない。美禰子も杖自体も光っている。杖がゆっくり振り下ろされた。光の軌跡が、くっきり見える。
 不謹慎にも――それは俺の目に罪人の首を切断する鎌みたく映るのだった。
 なるほど。確かに、魔法のくせに物理的で、原始的だ。あまりにも。
 ずうんと辺り一帯と俺の内臓に重く響く。杖の一部がどこかに当たったのか。
 網に捕らわれた巨体のストレイシープは灰色の光と煙を出し、姿をうっすらと消していった。捕獲に成功したのだ。完全にストレイシープが消えると、美禰子の杖も元に戻っていった。
 美禰子ははあと大きく息をついて。
「やった」
 えへへ、とにっこり笑って。
「つっかれ、たぁ」
 そして、倒れた。
「美禰子っ!」
 彼女はノースリーブのワンピースにカーディガンを羽織っている。軽装だ。地面はコンクリートではなかったが、それでも倒れれば痛いだろう。近付くと息遣いは荒く、肌が汗ばんでいることを予想させる。怪我は無いようだったけど、肩で息をしながらふらふら起き上っ、ピースしてみせた。どう? と首を傾げる。
「美禰子ちゃんとっておきのスペシャルマジックは、ふふん」
「無茶しやがって」
「目には目を、歯には歯を、でっかいものにはでっかいものを、ってね」
 物理で物理を殴るようなあの様を見ると、どこが魔法使いなんだろうかと呆れる。
「にしてもよくあんな魔法出来たな」
「土壇場の思いつきってやつ。自分でも出来るなんて思ってなかったよ」
「魔力もすごかった。こっちは火事場の馬鹿力ってやつだな」
 毎夜毎夜のストレイシープ収集で美禰子の魔力の練度が高まっているその証拠だろう。そう思う俺は今回何も出来なかった。美禰子の手を掴んでおびき寄せた、ただそれだけ。
「三四郎だって、ありがとね」
 またちっぽけな掌を見るともなしに見ていると美禰子がそう言った。え、と瞬いて彼女を見ればふふっと弾けたように笑うだけ。俺がどんな言葉を言おうとしていたのか、訊いてはこなかった。別に優しさではなくて、単に興味が無いだけ。
 俺はあの後に、何を言おうとしたか。
 いや。
「にしても集まって巨大化とか」
 考えないでおこう。放たれなかった言葉に意味はない。
「そんな魔法ありなのかよ」
 やれやれと頭を掻き、俺達は坊っちゃん達のいる方へ戻ろうと前を見た。と同時にその坊っちゃんが目の前に現れたのでうわあと声を上げ後ずさる。ぬっと、音もなく。
「成功したのか」
 よかったなと坊っちゃんは微かに口角を上げた。途端に悪い予感がする。前に行くか後ろに行くか、何故か脳に選択を迫られた。
「坊っちゃん……その……何か、あった?」
「ああ、あったさ」
 けろりと言う彼は微笑を崩さなかった。す、と身を引き俺達の視界を広げる。前に進もう進むまいに関わらず、「何かあった」その実態を見せつけられてしまう。
 坊っちゃんのあばらやが、半分崩壊していた。
 郷愁をそそるものも、侘しさを彷彿とさせる面影も、小さな暖かさを秘めた形も全てがバラバラの木片になっていた。棘のように鋭く剥き出しになっていたり、骨が肉から突き出たようにも見えたり、生きていたものが意味を失い、ただのモノになってしまった――そう、死んだかのように見えた。実際、そうなのだ。半分壊れただけでも。
「え」
 坊っちゃんの小さな家庭は、破滅の時を迎えて。
「え、えええ」
 静かに息を引き取った。
「あわわわ!」
 美禰子は慌てて家に駆けより杖を振るったが、残骸は元には戻ってくれない。
「あの巨大化した杖の縁に見事ぶつかってなあ」
 坊っちゃんは暢気そうだった。いやこれは多分、暢気に見せかけているのだ。
「きっ、清さんっ! 怪我は!」
「大丈夫ですよう三四郎さん。それにしても、本当にすごかったですわねえ。昔の白黒の特撮映画を見ている気分でした」
 清さんは暢気そうだった。いやこれは本当に暢気なのだ。二人どちらも恐ろしい。
「美禰子、どうしても戻らないのか?」
「おかしい、全然駄目だよおっ」
「さっきの魔力はどうしたんだよっ!」
「そこで全部魔力出しきっちゃったのっ! たぶん!」
「ゲームで言うとこのMPゼロってことだな」
 坊っちゃんが何気なく付け足す。その通りですとしょんぼりと美禰子は項垂れる。俺もそうしたい。
だが美禰子の言う通り、よくよく考えてみれば、素人目にも大量の魔力を消費したと解る魔法を使った直後で、復元の魔法は難しいとくれば、直せないのはまず当然だ。しかもいつもとは復元の要求が大違い。何せ家一軒分くらいなのだ。ますます俺は歯がゆい。どうしようも出来ない。後戻りはもはや出来ない。あーあ、と家を壊された側の坊っちゃんは何故か気楽そうに腕を伸ばした。
「買ったばかりの本も読めずじまい、か」
 坊っちゃんがつくこれ見よがしのため息が胸に痛い。ちらり、と表情を伺うが、不思議なことに彼は、見たところ怒りに染まってはいない。というのもあの微妙な笑みを続けているからだ。
(もしかして)
 俺にも笑みが浮かぶ。ただし、引き攣っている具合の、穏やかじゃないものが。
(坊っちゃんって)
 と言うのも、ある恐ろしい仮説が閃いたからで。
(天然でかつ冷静な性格なんかじゃなくって、ただ単に感情を表に出さないような人、なのかもしれない)
 マイペースに見えるのもそれ故かも知れない。嬉しくても、ニヒルに笑って誤魔化すだけ。同じように、どれだけ怒り狂っていてもまるで冬の月のように凛としてやり過ごすだけ。巷を流れる不利な噂にも決して動揺する気色を見せたりしない。
 坊っちゃんの笑顔が、ひどく恐ろしく見えてきた。さあっと血の気が引く。
「ご、ごめんね、坊っちゃ」
 対する俺の愛想笑いなど、蛇に睨まれた蛙以下。
「いいや何、古かったんだ。それに、ごめんで済むなら」
 なあ? と言葉をはっきり閉じずに眉ひとつも動かさない。言葉は白々しい。魔法も、坊っちゃんの怒りを納めることも出来ない。いやここは、魔法が駄目なら物理でと行きたいところだけど、方法が浮かばない。
 坊っちゃんはそら恐ろしくにこにこ、清さんは困ったようには見えない調子で純粋ににこにこ――これもある意味恐ろしい。俺と美禰子はお互い、ただただ途方に暮れるしかなかった。




 そんな殺伐とした静かな混乱の中で俺はふと思った。
 もし坊っちゃんの性格がそうなら、坊っちゃんはあの艶聞に対しては怒りを感じていたのだろうか。それとも。
 あの一瞬に浮かべた哀しい眼差し。あれは、隙を見せない坊っちゃんがうっかり見せてしまった本当の気持ち、その表れなのかも知れない。
 でも、本当のことは結局何もわからなかった。

  3
せんせいのまほう 9につづく

ワガマホトップ
小説トップ

inserted by FC2 system