とは言え、のんびりラーメンを啜ったり、だらだらと美禰子とテレビを見たり、家事を分担したりするだけの生活じゃない。
 美禰子がこちらに来た目的は、あくまでも、近所に散らばったストレイシープなる見た目は羊でも実際は謎の生物を捕まえることである。ご丁寧に研究所とやらは改良した杖にストレイシープの気配を感じ取る魔法も搭載したらしく、捕まえていないストレイシープが近くにいると杖の装飾品の石が光って知らせてくれる。サンプルとなる羊は無論対象外だ。
 ストレイシープは夜行性なのか、真夜中に美禰子は飛び出すことが多い。俺も彼女に同伴することにしている。魔法使いとなってしまった以上、そうするのが義務のような気がしたのだ。
「危ないんじゃないのかな」
「でも、誰かがいないと美禰子だっていろいろ困るだろ」
 魔法少女ものの妖精よろしくワガハイがついていくようだったが、頼りにならないわけじゃ決してないけれど、ワガハイの手に余ることだってあるかもしれない。
「ほら、誰かに見られたら……って俺もそこまで気の利いた言い訳用意してるわけじゃないけどさ」
 むしろ用意してなかった。ワガハイに突っ込まれるに違いない、と思っていたら、うん、と美禰子は頷く。
「それじゃあよろしく。私も、三四郎いてくれると嬉しいし」
 その笑顔に見惚れる暇もなく、よっし、れっつごー! と美禰子は杖を夜空に向かって振り上げた。と思いきや体に金色のきらきらした光が浮かび上がって、何だ、と思う間にふいっと体が浮かんだ。うおうっ! と声を上げた次の瞬間にはぽーん、とまるでボールが弾むように軽やかに、俺は宙に浮かんでいた。いわゆる飛行魔法と言うやつだろう。
「定番って感じするでしょ?」
「確かに」
 でも、足場のない上空と言うのはさすがに恐怖する。それを和らげる為にしばし、じたばた手足をばたつかせていたけど、美禰子の魔法の加減がいいのかじきに慣れてしまった。そうしてストレイシープが出没している地点まで移動するのである。
 その、ストレイシープ。放っておいても害をなさないような、例えば最初からいるあいつみたいに寝ている奴とか、ぴょこぴょこ走り回ってる奴、じっと丸まってる奴がいると思えば、明らかに迷惑をかけている奴もいる。運の悪いことに、後者が多い。それもこれも全て、富子がばら撒いたトチ何とかの所為で魔力を持ってしまったからだ。魔法使いの猫がいるなら魔法使いの羊もいると言うことだ。
 例えば、近くの公園の木々をめちゃくちゃにしている奴がいる。台風一過かと錯覚する程、木々の枝、葉が無残に荒れ散らかっている。何が楽しいのか、ぴょんぴょんと羊は別のエリアに移動していく。
「こりゃひでえ」
「待てっ、逃げるなっ、もう! すばしっこい!」
 そして大抵の羊がかなり素早いことも厄介だった。羊って言うのは動きが緩慢で性格も穏やかな生き物のはずだけど(とは言えあくまで印象の話で、実際はどうか知らない)そこは謎の生物らしく未知の力が働いているんだろう。そんな奴らを律儀に追いかけ、走り回って疲れて取り逃がしても埒が明かないので、そういう時素直に美禰子は魔法を使った。ワガハイが周囲に結界を張ってくれてるお蔭か、結構頻繁に使う。
 星型の小粒弾を撃ったり、金色の光線を出したりして羊をけん制する。それは見た目通りファンシーなものだった。ただ攻撃しているだけではない。一応、自分の夫なので手加減し、なるべく道を塞いで袋小路に追い詰め、それから捕まえようとする。俺も、何もしないでいるのは苦だ。俺がわざと羊を追っかけることで誘導し、美禰子と挟みうち出来るような体制に持っていけるのがベスト。
「ええい!」
 そしてすかさず網で捕える。金色の光に羊は包まれ一秒後には消えてしまう。これで、ストレイシープ捕獲は終了である。寝る前の運動と言えば聞こえはいいが、実際このすばしっこい、ついでに小憎らしい羊を追いかけ、上手く誘導するのは結構ハードである。
 木々は美禰子が魔法で元通りにする。
「本当は、修復魔法はいっちばん先にかけるべきなんだよね。時間が経ったら元に戻すのってすっごい難しくなるんだよ」
「と言うわりには」
 ぼろぼろの木々がむくむく甦っていく非現実な様を見ながらため息交じりに言う。
「すいすい直すんだな」
 壊れたものを元通りにするのに力や時間がかかることくらい、いくら魔法があっても同じだろう。けれど美禰子の魔法はそんな苦労を感じさせない。なあ、とワガハイに投げるがそうじゃなと言うように尻尾を揺らした。
「魔法使って体があったまってるのかもねー」
 最初こそうーん、と自分でも疑問に思うように首を傾げていたが、細かいことは気にしなーい、とばかりに美禰子は笑った。エンジンがかかってるってことかな、と俺も気にせず頷いた。
 この事例以外にも、ゴミを漁って異臭を出していたり、町の食堂の厨房やコンビニなどの食料を食い散らかしては逃げていたりする羊がいて、その度捕えるのにも後始末にも苦労したのは言うまでもない。
「美禰子……こんなんが自分の夫というのに何か疑問は抱かないのか」
「き、きっと構ってちゃんなんだよ!」
 苦笑する美禰子の優しさは愛されている証拠だ。疲れた体からはあと息を漏らし、首を掻く。呆れたが、何だかんだ言って付き合っている俺も俺だ。段々、この夜に起こる珍事件に体が慣れ始めているのに苦笑せざるを得ない。
(それにしても)
 ストレイシープ回収で程よくへとへとになって、帰って来ればすぐに眠気がやってくる。今時、零時前に眠れてしまう健全な男子高校生はきっと少ないだろう。(なお、与次郎は寮暮らしのくせに同室の先輩とつるんでよく夜更かしをしているらしい)俺は布団の中でうとうとしながら、自分の右掌を宙に浮かべてみた。暗闇の中、ぼんやりとした肌色の影になって浮かぶ。
(俺も魔法、何とかしないと)
 あの夜、どうやってあんな魔法を繰り出せたのだろう。美禰子にひどく当たった富子に逆上したから。美禰子の泣かせた富子を許せなかったから。つまり、強い強い怒りの感情がキーになったと見える。多分魔法は感情と密接に関係しているんだろう。
 とにかくあの時は無我夢中だった。またすさまじい感情が爆発すれば、どかんと一発魔法が放てるだろうか。ストレイシープを捕まえるのに便利な、行く道を塞ぐような魔法。美禰子の役に立つ魔法。でもその度に我を忘れるような状況になるのはさすがにしんどい。そんな状態じゃ加減も難しいだろう。
(魔法、か)
 くたり、と右手を下ろす。指を戯れに動かす。現実を非現実に変える大いなる力がこの手にあると言われても、おかしなことにまだピンとこなかった。
 そう。まだ、だ。もう随分ファンタジーな日々を過ごしてるのに、どこか納得出来ないでいた。ふと空腹を感じる。動き過ぎた所為だろう。
(今日はオムライス作ったんだ)
 形は悪かったけど、夕飯に食べた美禰子のオムライスを思い出す。そのことを指摘すると、卵で包むの難しいんだよ、と彼女はむくれた。
(健三さんが好きだったんだ、これ)
 三四郎の口にも合うといいなって思って。そう美禰子はむくれた顔を引きずることなく笑った。
 オムライスは何の贔屓目もなしに美味しかった。ちょっと玉ねぎの切り方が雑だったのと、チキンライスがべたべたし過ぎていたけど、美禰子の作ったものだったから、何てことは無かった。きっと健三さんもそう思いながら食べていたんだろう。
 ごくり、と唾を飲んだ。一度寝返りを打って、でも、また元の位置に戻る。
 掌を握る。小さな拳だと思った。全然何にも出来なくて、見ているだけしか出来ない俺に相応しい掌だった。少なくとも、魔法を使って自分のやるべきことに奔走する、きらきら輝く美禰子とは大違いだ。
(俺)
 声に出したら、掠れたものになっていたかも知れない。
(思った以上に疲れてんのかな)
 そりゃ疲れもする。横になっているのは今まさに疲れているからだ。
(なんてったって魔法使いになっちゃったんだしさ)
 疲れない奴がどこにいるんだろう。
 こんな現実おかしいと言わない奴が、どこにいるんだろう。
 ありのままの現実を受け入れられるほど、俺はまだ大人じゃない。
(おかしいだろ)
 何が、とは、はっきり思わなかった。それこそ疲れているからかも知れない。
(せめて)
 現実に手が負えなくて、道に迷いそうになるなら、誰かに先導して欲しかった。誰かに助けてもらいたかった。そんな存在がいてくれたら、楽だと思った。想像するだけで、安心する。
(誰か大人でも、いてくれたらな)
 ワガハイは大人と言うよりも老人で、何よりも猫であった。猫だから当然なのかも知れないけど、時々どこか遠くを想うようにじっと縁側に座っている時があって、そういう時は俺もちょっかいをかけることは出来なかった。この屋敷を守ってきたワガハイのことを知らな過ぎることからくる遠慮もあった。
(大人、か)
 もう一度、掌を握る。やっぱり小さい。でも比べられる大人の拳なんてほとんど知らない。兄達がいる。父もいる。でも俺に構ってくれる大人なんて、ほとんどいなかったも同然だ。
(兄貴たち)
 何人もいる。大人で、皆それぞれ自分の生活に忙しい。
(親父)
 一人しかいない。俺のことなんか最初からいないものだと思っている。
(大人、なんて)
 誰もそんな人はいないのだ。俺は名目上一人暮らしと言うことになっている。あくまでも、ここで一人暮らししているのだ。大人には頼らず、一人で。美禰子とワガハイと一緒にいても、あくまで一人で。
 一人でこの現実に立っている。歯車が軋んで狂い出しているここに。けれど誰も否定の声を上げないここに。それがたとえ俺の身に余り過ぎるものであっても、ありのままを受け止めて、俺は生き続けなければならない。
(だから、俺)
 しっかり、しないと。
 その言葉を最後に、俺の意識は夢の地平へ次第に溶けていった。

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