四月の最初の週が終わってすぐ、入学式があった。お約束通り校庭には桜が新入生である俺達を歓迎しているかのように咲き乱れ、それは春の陽光に煌めいて美しかった。
 馬鹿でかくて凝った造り、掃除もきっちり行き届いた講堂で式典が行われた。が、どこの学校だって入学式は多分大体同じ。国歌斉唱、合唱部による校歌斉唱(勿論、男子校だから男声合唱だった)校長先生の話、PTA会長の話を眠たげに、つまらなさそうに、または新しい上履きや制服をこそばゆく感じながら聞いてそしてようやくクラスの方に移動だ。
「三四郎、今年も一年よろしくなーっ」
「まーたお前と一緒かよ」
「嫌そうな顔すんなって」
 腐れ縁と言う奴だろうか、与次郎と同じクラス――一年三組の所属となった。でも最初の席は出席番号順。俺の苗字は牛込、与次郎は権現坂だからちょっと離れている。牛込はア行なので、教室窓側、四番目の机があてがわれた。
 与次郎がいるからといって安心してはいけない。同じ奴とばかり、それも少数でつるんでいたらあっという間に孤立化し、例えば「好きにグループを作ってください」なんて言われた時はさあ大変だ。クラスの奴らとある程度交流し、溶け込んでおかなければならないのは学校でも、多分社会に出ても同じことだ。つまりは、そう、友達を作らねば。出来れば、そんな打算的な考えなしの、純粋な友達が欲しい。
 と強く心の内から働きかけたことによって、初日はまずまずと言ったところだった。数日過ぎればすっかりクラスに馴染み、昼飯を共にする友人も増えた。やがては、俺の高校生活に欠かせない友達になるだろう。
(それはそれで、いい)
 んだけど、と俺は授業中、長閑な空をちょっとよそ見して、眉を密かに反らすのである。新入生だの新学期だの新しい友達だのそういう、一般的な高校生を悩ませたりわくわくさせたりすることを一気に霞ませる事件――というか変化が、入学式以前に起こっているのだ。
 そしてそれは、与次郎にも新しい友達にも話せない、俺の秘密だった。








 今の家に越してきてたった二日かそこらで、取り巻く環境も俺自身も変わってしまった。それも非現実な、魔法、魔法使いという存在によってだから、夢か現実か疑うのは無理もない。どちらかというと夢だ。ところがこれは現実なのだからいかんともしがたい。無力な俺に出来ることは、受け入れることしかなかった。
 そう。それに納得してるかどうかはともかくとして、とにかく、まずは、受容。
「お世話になりまーすっ!」
 無数の羊が町に放たれてからおよそ一週間後、俺を非日常に引きずり込んだ張本人の一人である彼女は、やたら元気に挨拶してやってきた。トランクが一つ、虫取り網のような杖、きらきらした、眩しい笑顔。
 夏目坂美禰子。旦那さんを羊に変えられた、悲しみの魔法少女。
「行動起こすの早くね?」
 とか何とか思ってみるけど、本人は挨拶通り至って元気そうだ。少なくとも悲しさは感じられない。魔法少女って、アニメか漫画みたいだ。いや、まあそんな世界観そのものが、俺の今いる世界になってしまっているのだけど。
「もう少し悲しみに暮れてた方がらしいと思うけど」
 そんなことしてる暇ないよー、と玄関を軽い足取りで上がっていく。その言葉尻は明るい。この世界と美禰子の世界の入り口は池の方なんだけど、玄関から訪問する辺り礼儀をわきまえたようだ。
「一刻も早く、ストレイシープ集めなきゃ!」
 がってん! とばかりに美禰子は拳をぎゅっと握る。えへへん、と目を細め笑窪を浮かべる美禰子の可愛さは心が疼くけど、やれやれと俺は肩を落とした。
「空元気だろ」
 ぱちん、と細くなっていたはずの大きな目が瞬く。ほらな、と俺は内心溜息をついた。見てるこっちが痛々しくなる。
 誰だって、大切な人があんな風にばらばらになってしまったら。
「無理しなくてもいい」
 悲しいのが当然だ。図星を突かれたのだろう。美禰子は口元で笑うのも止めてしまった。笑いを消すのが目的では、なかったけれど。
「むしろ無理する方が辛かったりするし」
「あ、あはは」
 そう、だね、と頬を掻く美禰子に浮かぶのは僅かな苦笑。俺もふう、と鼻息を抜いて苦笑した。
「何かごめんな。そんな顔させるつもりじゃなかった」
「そんなこと全然」
 大丈夫大丈夫と笑う美禰子。無理はしていない顔だった。
 美禰子は知っているんだろうか。ふと思う。自分が笑みを本当に削ぎ落とした顔を。表情だけでなく、心からも根こそぎ何かに奪われてしまったような自分自身を。
 正直、あの日見た、恐ろしいほど意気消沈している美禰子ともう一度対面するのは荷が重い。心がたちまち曇ってしまう。それも、黒に近い灰色に。
 何も聞こえない、何も見えていない、何も感じない、闇の中にいるような彼女を引っ張り出すことに、俺は恐怖していた。どうにか出来る自信なんてさらさらない。あの日は、何とかなったけど。
 だから、と言うこともある。でもそうじゃなくても、美禰子には笑っていて欲しい。
 好きな子には、いつでも、出来るだけ笑顔でいて欲しい。笑っているところが、どんな姿よりも尊いと思う。
 美禰子は、そう思わせてくれる女の子だった。
 俺の好きな人。多分初恋の女の子。
「でも」
 言って美禰子は笑う。俺がそんなことを思っているなんて、多分美禰子は知らないだろう。美禰子にはもう決まった人がいる。美禰子は妻なのだ。
「無理してるように見えるかも知れないけど、明るくいたいんだ。私が」
 ぱっと浮かんだ笑みが向けられる人は、本当なら俺じゃない。
 今は羊の姿をして、どこかに散らばってしまった人。
 美禰子の足元にいる小さな羊も含まれるのなら、その羊こそが、彼女の笑顔を誰よりも先に見る人だ。
「そっか」
 俺の浮かべる笑みはきっと諦めたもの。美禰子にはそう映らないだろうけど。
「それもそうだな。大事なのは気持ちだし、笑ってると案外何とかなるように思えるしな」
「でしょでしょーっ」
 もしかしたら美禰子は、自分のあの状態を知っているのかもしれない。だからと言って、いざ訊いてみようとは思わない。藪蛇は避けた方がいい。ぞくり、と寒気が全身に走る。
「ところで美禰子、それ、その杖なんだ?」
 それで思わず二の腕を撫でている時にふと気になって訊いてみた。美禰子の杖はこの間見たものとは少し違っていて、先端の方はそのものずばり虫取り網になっている。夏休みに子供達が持っていそうな。
「セミを捕るにはまだ早すぎると思うぞ」
「今の時期なら紋黄蝶か紋白蝶だよ」
 じゃなくって、と言いながら居間に入る。この家のもう一人、いや一匹の居候にして非日常へと誘った張本人の一匹であるワガハイは、お気に入りらしい座布団の上に丸まっていた。軽くワガハイに挨拶する美禰子。ワガハイはうるさいのが来たわい、と言いたげな表情と生返事を返してまた丸まってしまう。
「私の杖をストレイシープ集めの為に特化改良したんだよ」
「ストレイシープ集めねえ」
「どうしたの?」
「本当に集めたら健三さん、元に戻るのかなって」
 苦々しく言いながら俺はこつん、とテーブルに湯呑を二つ置いた。とぽとぽ、と急須からお茶を注ぐ。
「信じようって言ったのは三四郎じゃない。弱気よわきー」
「数日経ってみると眉唾もんに思えてきたんだよ」
 ってこれこそが藪蛇な言葉じゃないか、と言った傍から自分にひやりとするけれど、大丈夫だよ、と朗らかに美禰子は笑う。
「ちゃんと研究所に話はつけてきたから」
 美禰子ちゃん頑張りました、とでも言うようにピースする。
「ちゃんと集めたら元に戻るって。それに、この羊くんをサンプルに調べたら」
 言って自分の夫の一部であろうストレイシープをひょいと抱える。見た目はぬいぐるみにしか見えない。
「行動範囲がそんなに広くないみたいで、精々このご近所、ちょっと遠くて隣町、もっと遠くてその隣の隣……くらいにしか散らばってないだろうって」
「それで、その杖の網のところで捕まえるってことか」
その通り! ぎゅっと親指を立てる美禰子。その後の解説によると、その網にストレイシープを潜らせる、つまり虫取りの要領で捕えれば、杖に施してある転送魔法がストレイシープの構成要素を鍵として発動し、研究所内のポッドに送られるということだ。構成要素云々はサンプルにした羊で調査したらしい。
 全て集まれば、ポッドの魔法が働いて、健三さんは羊に変化する前とそっくりそのまま戻ってくる、とのことだった。魔法がどういうものかまだよく解らないから取りあえず聞くだけ聞いてみたが、そういうものか、という至極つまらない感想を抱くだけだった。
「私の魔力に反応して集まってくるみたいなんだって。あくまでも予測だけど。研究所も最大限協力してくれるって」
 でも、と美禰子は少し眉を反らす。
「富子には……会えなかったけどね」
 富子。美禰子の大事な人をばらばらにしてしまった張本人。人間をあんな風にしておいて、お咎めがないことないだろう。会えない状況にあるだけで、大体のところは察せられる。会えない以上、彼女の本心はわからない。富子をまだ友達だと信じている、美禰子の謝りたい気持ちも直接には伝わらない。
「でもきっと、ちゃんと、また会える」
 それこそ、俺が信じようと言ったことではなかったか。
「また話せる日が来るって。な」
 誰かから希望が欲しかったのだろう。うん、と美禰子は少しだけ笑って、小さく頷いた。
(それにしても)
 富子のことは置いておくとして――いや、無関係ではないのかも知れないけれど、俺には引っ掛かることがあった。お互い喉が渇いていたのか湯呑はすぐ空になってしまって、お茶淹れてくる、と美禰子が席を外したこともあった。しばしその考え事に集中する。
(よく知らないけど、富子は美禰子の言う「研究所」の人間らしい)
 あの夜のことを思い出してみる。まだそんなに日は経っていなかったし、刺激の強すぎる現実だったからわりとよく覚えている方だと思う。
(そう言えば……富子は何か、計画、とか言ってたような)
 どうも健三さんと美禰子はその研究所の計画とやらに反対しているみたいだった。魔法が使えるとか使えないとか、そんな話になって富子がキレてしまい、あとはもう文字通り怒涛の展開の連続だった。
 結局その計画が一体全体どういうものかは、詳しくは解らなかった。しかし文脈から考えるに、どうも魔法使用を促進させるような、そんな計画らしい。
(その研究所がどれほどの規模か知らないけど、反対する者は邪魔……だろうな)
 だったら、健三さんをこのまま羊にしておいて、黙らせておいた方がいいのに。倫理上の問題で、戻さないとさすがにやばいのか? やっぱり。いや? と首を傾げる。
(それもあるけど、反対していることにさえ目を瞑れば、健三さんは相当腕の立つ魔法使いか研究者なのかも知れないな。だから、元に戻すため伴侶の美禰子に協力するってことか)
 でも、待てよ? 俺はある点に引っ掛かる。
(だったら、研究所自らがこっちに来て羊を回収すればいい話じゃん?)
 美禰子がこっちに来ても特にお咎めは無いみたいだから、何人か研究員を割いてこっちに寄越して収集作業を支援する。その方が労力も時間もかからない筈だ。
 けれどその方法を取らないのは、ことを大きくしない為なのかもしれない。言ってみれば俺の世界と美禰子の世界は異世界同士だ。国と国が違うだけで十分ややこしい問題が毎日新聞を騒がせているのに、本当の意味で「世界」規模なら推して知るべし。だから研究所はこの騒動については極秘に動いている、と言うことも推測出来る。下手に派手に動いてあっちの世界の当局に気付かれたら手痛い目に遭うことくらい、当然わかってる組織だろう。
 それなら、後ろ暗いが背に腹は代えられない。あくまでも秘密裏に動けばいい。でも。
(それだったら何で、美禰子にやらせるんだ?)
 結局はこの問題に尽きるらしい。美禰子以外の適任者を派遣してもおかしくないじゃないか、と一人頷く俺。
(確かに美禰子がストレイシープをおびき寄せるのに必要なのはわかる、けど)
 こんな、と転がっている飴色に光る杖を見やる。
(よく解らないけど転送やらなんやら、難しそうな魔法が施してある杖にわざわざ改良してまで)
 俺は物言わぬ羊――健三さんの変わり果てた一部に目をやるが、未だあの羊は眠っている。何も知らないと言うように。
(何で? やっぱり奥さんだから?)
 魔法を使えるようになったといっても、まだ、どんなに頑張っても、こっちの世界の人間だ。あっちの世界のことなど解る筈もない。だけど、どうしても問いかけてしまうのはどうしてだ? 何でこんなに気になるんだろう。気に掛かるんだろう。
 俺は何かに気付こうとしているのか?
「お茶淹れてきたよーっ」
 何でだ、と浮かべた疑問がぱちんと泡のように弾けて消える。どったの? と小首を傾げる美禰子になんでもねえよ、と微笑する。置かれた湯呑に手を包んだ。気候にはまだ寒さの名残がある。でも口に湯呑のお茶はまだ熱い。茶柱の立たない水面とふう、と一息つく美禰子を盗み見ながら、俺は思う。あんまり難しく考える必要は、実はないんじゃないかと。
(今は、そうやって美禰子自ら動くのが)
 これがきっと、一番ふさわしい答えなんだろうと思う。
(美禰子を慰める唯一の方法なのかも知れないな)
 あんまり悲しいと何もする気がなくなると言う。それはあの空っぽ美禰子に通じてしまう怖さがあった。それなら、どれくらい危険で大変なことかはわからなくても、やることがあった方がいい。
 出来ることなら、大切な人は自分の手で癒したい、元通りにしたいだろう。誰だって。
(勿論、奥さんだって)
 美禰子はそれをわかってて、自分の使命にしたんだ。
 研究所が何を考えてるのかなんて、まだ駆け出しの魔法使いで高校生にもなりたての俺が考えたところでわからない。何もかもがまだ始まったばかりなんだ。だから。
(今は何も考えないで協力するのがいいってこと、で)
 ず、とお茶を啜る。考えもほどほどに纏まったお蔭か、いい塩梅のぬるさになっていた。
「ん?」
 見ると、美禰子が湯呑を手で包みながら俺をちょっとだけ上目遣いで見ている。おずおず、と言った風だったので首を傾げた。
「何だ?」
「あっ、ええっと」
 あの、と明らかに何かを言い淀む顔の美禰子。何だよ話せよと俺が苛立つ前にごめんなさい、と頭を下げられた。突然のことにこっちは目を瞬かせるばかり。
「何が?」
「ほ、ほら。三四郎、偶然魔法使いになっちゃったでしょ」
「らしいな」
 集中すれば何もない空間から水がぴょっと出るようになった。見たところ手品の水芸と変わらない。それでその、と美禰子は頬を掻いたり、唇に触れたり。
「研究所的にはあんまり良くないことなんだけど、私が傍にいるなら、って、見逃してもらえてるの。だから、えっと」
「監視」
 じゃな、と美禰子を助けたのは無言を貫いていたワガハイだった。あう、と美禰子は眉を反らす。監視ねえと俺も反復した時だ。
「あのっ、私全然っ、三四郎を悪い人みたく扱うつもりなんてないっ! ないんだよ? て言うか三四郎全然悪くないしっ!」
 身を乗り出す美禰子。わかってるわかってるって、と制す俺。どうどう、と動物にするみたく。
「別に変な話じゃないじゃん。美禰子だけの所為ってわけでもないし」
 俺もワガハイだけじゃ心細いし、と巨大な毛玉のような奴の体を撫でた。それだけじゃないだろうに、と小声でちくりと言う老猫にうるせっと咳払いのように返しておく。
「美禰子だって、俺がここにいた方がいいだろ」
 言ってから何言ってるんだ、と恥ずかしくなる。気障と言うか、得意げ過ぎて鼻持ちならない。何が出来るわけでもないのに。でも美禰子はうん! と笑顔で返す。
「でも」
 俺にはある興味があった。胸を撫で下ろした様子の美禰子は首を傾げる。
「もしかして、俺みたいに魔法使いになっちゃった人が……近所にいたりすんのかなあ」
「……かも、ねえ」
 まさかな、とひとしきり笑う。あくまで、可能性の話だ。


 一服ついたところで、俺は以前から思っていたことを言う。
「あのさ、住むのはいいんだけど」
 下世話な話だとは思いながら、気になることでもあるし。
「タダで住むっていうのはどうなんだ?」
 生活費は、実は多少余分に貰っているが、人一人が増えるだけでも大分出費はかさむものだ。食費は勿論、電気代も水道代も、あらゆるところに負荷がかかる。
「構わん。吾輩が許す。何もしなくてもよい」
 一番金のかからなさそうなワガハイが勝手に許可し、その思い切りの良さに俺は面食らう。座布団から降り、うんと伸びをしているところだった。
「おいおいちょっと待てよ、猫一匹増えるんじゃねーんだぞ?」
「この家は誰のもんじゃと思っとる」
 偉そうな口ぶりで、ワガハイは尻尾をひゅんひゅん動かした。ちょっと得意そうなのが癪に障る。俺は唇を尖らせ思いきり不満を表してみる。美禰子は面白そうにこっちを見ていた。ぷ、と吹き出してもいる。
「俺の親父の不動産だろ」
「では、ここを誰が守ってきたと思っとる」
「守る……?」
 そういえば、この家は何度も取り壊しが失敗していたのだ。原因不明の事故や発熱、人間関係のトラブルや天候の悪化などなど、俺は与次郎に語ったことをすっかり忘れていた。まあ、あんまり色々あり過ぎたから忘れるのも無理はない。
「まさか、全部ワガハイが?」
 ワガハイは目を細めてうんともすんともにゃあとも言わなかった。無言を答えとしなければいけない。
「……何で、そんなにここに、こだわるんだ?」
 その問いには、尚答えない。無言をイエスの答えに取れない質問だから、俺はただ沈黙を持て余してしまう。
 ワガハイは何年生きて、この家にいつ頃から住みだして、そして何を見、聞き、誰と触れ合ってきたのか――心でも読めれば解るだろうが、そんな魔法は使えない。
 俺は今更ながら、この老猫のことをあまり知らないことを知った。
「まあまあっ。私、家事でも何でもやるよ。お掃除とお洗濯は好きだし得意なんだ」
「せ、洗濯は自分でするからいいっ」
 さすがにお年頃の男子の下着を同じく年頃であろう女の子に洗わせると言うのは気が引ける。ここで狼狽えるのは普通女子の方だと思うけれど、そお? と美禰子は頓着しないあっけらかんな表情を見せた。人妻の余裕なのだろうか。多分そういう気性なんだと思うけど。
「それより、そろそろ昼飯にしようぜ」
 引越してきたのだから俺の場合と同じく引っ越し蕎麦、と行きたいところだったけれど生憎蕎麦はインスタントでも切らしている。ならば同じ麺類と言うことでラーメンを選択。結局これもインスタントなのだけど。
「Fのインスタント麺って美味しいんだねーっ」
「やっぱそっちにもあるんだな」
 ずるずる、と啜る俺と美禰子、ささみまぐろの缶詰をはむはむと食べるワガハイ。長閑に降りる陽光、僅かに残る寒さを宥めるように春の暖かい風が吹く。夕飯は何にするかな、いろいろ買い出しに行かなきゃなとぼんやり考える。確かに、一人増えるのは決して楽とは言えないけれど、わくわくした気持ちになるのは、何も春だからと言う理由だけじゃない気がした。
 こうして、俺と美禰子とワガハイ、誰にも話せない二人と一匹による奇妙な共同生活が、高校生活に先駆けてスタートしたのだった。


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