南堂君は何でもない、と言って別の所へ去ってしまった。私は南堂君の背中を見ながら、その言葉が嘘なんじゃないかと何の確証もなく思った。だからと言って、彼が何を言おうとしていたか私にはわからない……。
 南堂君のことは、嫌いじゃない。むしろ尊敬している。彼は私には無い世界観を構築できるし、選ぶ言葉も、演出の技法も、何もかも私のものではない。だから私が惹かれるのは当然だった。私が無いものねだりな性格をしている所為も強い。
 彼は私の台本や案には一応必ず目を通してくれる。ここをこうするといいと意見をくれるし、時には厳しく言うことも、素直に感動してくれることもある。……それならば、鳴滝君との違いは何なのだろう?
 作品をただ褒めるか、批判するか? それはつまり、私に好意的か否か、というだけで、ひどく、くだらなかった。


 そんな程度のことで――私は鳴滝君を好きでいるの?


「音宮さん?」
 私は隣の彼を少し、見上げた。どうしてそんな顔をしているのだろう、と最初に思う。静かなこの空間で、見えない何かから独り狼狽し、不安から逃げ回っているようだった。
 彼に笑ってほしい、と願う。初めて出逢ったあの日、顔を赤くしながら私と話をしてくれた。何度も道を往復しているうちに木漏れ日の中で見え隠れした、夏を、季節を閉じ込めた、触れるのも勿体ないような宝石のような笑みを、私は彼に浮かべて欲しかった。彼に、そういう気持ちになって欲しかった。


 それが結局は、彼と南堂君の違いなのだろうか。


「あれ、あの人、演劇部の部長さん帰りはったん?」
「……あ、千尋ちゃん」
「せっかくお茶会やっとる言うたのに」
 ぷりぷり、と擬音がつきそうな可愛らしい膨れつらで、千尋ちゃんは腕を組んだ。すぐにそのポーズを崩し、彼女は私に声をひそめてこう言った。
「はよう、いぶきちゃんの所お行きなさいな。せっかく鳴滝君と一緒におるんやもの、らぶらぶなところばっちり写真に撮ってもらい」
「ら、らぶらぶって……」
 顔赤いえ、と彼女は私の頬をつんとその細くて白い指で押した。それだけの衝撃で後ろによろけそうになってしまい、誰かに肩をぶつけたと思えば――鳴滝君だった。
「ひゃ、あ、あ、ごめんなさい!」
「う、ああいや、あの、その!」
 二人同じように取り乱す。その様子を、ドラマのコミカルなワンシーンを見るようにくすくす笑うのは千尋ちゃん、何をやっているのだろう? と疑問符を頭上に浮かべるのがミツ君で、微かに苦笑するのはやはり大人な志摩子さんだった。

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