無能な彼の素敵な能力



 本当の私を知っている人は多分いない。家族も兄弟も、友人も仕事の仲間も、学校の先輩も後輩も先生も、おそらく誰もいない。私は彼等の前では絵に描いたようなそれはそれは素晴らしく上品で高貴で、それでいて有能で人の良い、話のわかる麗しい女性として振る舞っているのだ。彼等は皆、私に友好的であるばかりでなく有意義であり有能な人々であった。私が何かを演じて彼等に利潤を与え、また利益を得るのは当然で、暗黙の内の取引であっただろう。

 それでは、本当の私というのは何なのか。上品の反対で、だらしがないとか意地汚いとか下品だとかそういうものではない。私にとって価値の無い人であったら、つまりは無能であったら、私は私を飾る必要なんて何処にも無いではないか。そういう輩は、私よりも遥かに下方にいる憐れな畜生共とでも言うのだろうか? そう、道端に何の意味もなくのうのうと太陽に向かって伸びて生えている雑草や、どうせ交通事故にでも遭ってあっけなく死に、ただでさえも貴重な命をぼろぼろと愚かに零していく野良猫や、本能だけで這い回り種の存続のためだけに人間の貴重な生き血を吸う虫けらと同等だ。名前すらも必要ない。私の人生に何一つ必要ではない。

 そういう人物に対してはきっと本当の私が出てくるのだろう。冷酷、残酷という言葉を具現化したような私。無駄を容赦なく切り捨てる、情のない非道の美女という? 何を言ったところで、この世界には表の私しか知っている人物はいないのだ。誰も信じることはあるまい。一笑どころか三笑にふす。多重人格と言っても過言ではないほど、あまりに違い過ぎる。本当の自分と飾りの自分が、ふとしたら入れ替わりそうだ。だが、私の本性はあくまでも冷酷非道な面の方と自分で明確に決めていた。独りになる度そんな自分を愛でていた。その面に私は、どこか加虐趣味にも似た、この身を甘美に震わす悦を感じていたからだろう。







 飾りの自分は完璧な偶像そのものだったので、私の周りには大勢の取り巻きがいた。取り巻き達はどいつもこいつも言ってしまえば屑だったが、私に好意を向けていて、可愛らしいという些細な点で私は彼等に好意を抱いていた。それは人間が適当に捕まえた動物を愛玩動物として意味もなく可愛がるようなものに近いだろう。

 その中に、私に対して純粋に、しかし猛烈に愛を向ける男がいた。彼はけれど、その点ならまあまあ評価できるものの、酷く愚鈍だった。単純でその上気弱で、つまりは凡庸で無能だった。私が一番嫌悪する種類の人間なのはお解りであろうか。更に最悪なことに、彼は私の仕事のいくつかに関わっていたのである。そうであるから仕事は進みが遅く、完成は汚く、精度がなっていなかった。私は次第に彼に腹を立てていった。
 結果私は奴の前で本当の私を曝したのである。私は奴を罵倒し暴力を振るった。男なのに奴は為すすべもなく、それは軽快な笑いに値した。人が変わったかと目を白黒しながら私を見ては怯える無能。私はその彼の様子を愉快がったが、それも束の間、すこぶる不愉快が増してきた。暴力と罵倒と嘲りは繰り返された。


 以後、彼は私の従順な奴隷となった。誰も見ていない時、私は彼を無視することもあれば罵ることもあり、とにかく冷酷に徹した。だのに、彼は私のもとを離れることは無かった。今まで通りに愛を向け続けた。非情に生きる本当の私は私自身でさえも歓喜していたが、到底人から受け入れられるような性質ではない。というのに愚鈍で無能な彼はそれを受け入れているのだ。理解出来ない。




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