オーレ
スピカは妙な息苦しさを感じ意識を取り戻した。恐る恐る目を開く。
そこは灰色の空もなく、枯れた植物もなく、全てが霞んで見えるような空気もなかった。スピカを囲む何もかもが紫色に焼き爛れている。そこは紫の空間だった。
その紫の――気が狂いそうな圧迫を感じる空間に三つの人影が立っている。
一人はオーレ、一人は陽姫。
もう一人は――長い黒髪、紫の衣、青白い肌、黄色の花を携えた目隠しの女。
今まで何度も姿を変えてはスピカ達を翻弄してきた全ての元凶――玉梓だった。全身をさっと撫でた冷たさから紛れもなく、そうだとわかる。
紫の空間全てからスピカを凍てつかせる恐怖が矢のように放たれている。
「忌々しい奴め」
玉梓が最初に口をきった。妖艶な声が、この紫に爛れた空間に調和している。
「三十年も時をかけて、妾を追ってくるとは愚か者じゃの」
そして憎々しげに唇を歪めた。
陽姫も眉間を歪める。
「あなたとの――全ての因縁に決着をつけるためにここまで来たのよ」
口調は決して激しくはなかった。しかし陽姫は玉梓だけを厳しく見つめた。視界を白く覆っているだろう目隠しの下にある、血に濡れた赤い目に戦いを挑むように。
玉梓はそんな彼女を鼻で笑う。
「そんなこと、出来ると思っているのか」
右手を挙げ、陽姫を指さす。その指だけで陽姫を殺められるとスピカは感じた。
「お前と妾は同じ星に魂を浮かべておるな」
「――あなたも同じ獅子座なのね」
純粋に驚いたようで陽姫は目を丸くする。
「凶悪な獅子のもとに――じゃがお前と妾は違うな。同じなのは――」
玉梓は指を動かした。
指さす方向にいるのは、オーレだった。
「あやつ――オーレと妾は同じじゃ」
スピカはようやく腰を上げた。オーレの表情が見える。恐怖に凍るでもなく、憤怒に熱くなるでもなく、悲哀に泣くでもなく――ただあるがまま、自然にいた。目は、虚ろではなかった。確かな輝きを持って二人を見据えているのだ。
「オーレはお前のくだらない集まりに身をおくべきではない。いや、最初からそんな資格など無いに等しい」
陽姫はただ口をきゅっと一文字に結んだまま、オーレと同じく一言も喋らない。
まるでそれが反論の余地もない真実であると陽姫までが認めてしまっているかのようだった。
「何でじゃっ」
そう叫んだのは太望だった。スピカが気付いていないだけで、もうスピカの背後には残りの仲間達が立ち上がっていた。
太望の浅黒い顔には困惑と、恐怖と、そして、寂しさがあった。オーレと一番付き合いが長いのは太望だ。太望、ニコを運命に招いたのはオーレのはずで、玉梓の言葉は彼が真っ先に否定しなくてはならない。
オーレはようやく口を開く。しかし出た言葉は太望を撥ね退ける。
「玉梓の言う通りさ」
オーレは玉梓の方を向く。こちらには寂しく背を向ける。
「僕は君達と一緒にいてはいけない。確かに僕は一番初めにこの運命に身を寄せた。
だからこそ、君達はこの僕を知らない」
紫が体に纏わりつくような空間で、オーレの声も、恐怖の紫に染まっていく、そんな感覚が誰しもに襲いかかる。
「僕が、何をしてきたかを――」
ゆっくり、オーレはこちらを振り返る。
スピカを見た。
いつもと変わらない、のんびりとした笑顔が今日は怖い。そら恐ろしい。
「スピカ君、話してあげるよ」
ふっと真顔に帰り、しばらくスピカに視線を注いだ後、少しだけ目を細めた。
オーレがオーレでないような――そんな気がした。
玉梓が嗤う。罪の物語が始まる。
「オーレは、自分の欲の為に妻を殺そうとした。
妻だけではない。まだ生まれていなかった子供でさえ」
最後は忌々しげに、低い声で結んだ。オーレはただ頷いた。知られざる過去は闇を脱いで事実となり、音となり、その場全ての者の鼓膜を震わせる。心も震わせる。