「そうさ」
オーレは肩をすくめた。もう逃げ場はないと言うようだった。だが、妙に開き直っているようにも見える。
「僕は、夫という身分を利用して、――雛衣に死を命じた」
今まで自分しか知らなかった過去を口にすることで、過去を生きたものにする。生きたものは今までよりも強くオーレを縛る。
もう本当に――逃げ場はないのだ。
「なんで……」
「……カーレン君」
カーレンのその言葉は、その場全員の驚きを代弁していた。オーレ自身も何故と思っていることだった。そしてその都度、もう一人のオーレが耳打ちする。醜く、切なる欲望にオーレはひれ伏さねばならない。
もう一人のオーレである玉梓はさもおかしそうに口の端を上げた。
「オーレは」
陽姫が言う。
「父母共に強力な呪術師だった。北陸、和秦どころか、世界中のあらゆる所から依頼を受けて、二人は旅に出て――幼いオーレ……王礼だけが、故郷に残されていた」
彼女の言葉は天から地へ流れるようだった。彼女は全てを見てきたのだろう。全てを見ながらも、出来ないことがありすぎたのだろう。スピカの目に映る陽姫の顔は決して穏やかとは言えなかった。
「でも彼は捨てられてなんか無いわ。遠くからでも二人は息子を想っていた。これは本当よ。
そして――オーレには、雛衣がいた」
独りなんかじゃなかったのよ、と強く言う。
「それでもね」
その強さに反発するかのように、オーレは陽姫を睨んだ。
「――僕は、父と母が恋しかった。愛しかった。ずっと離れていたんだ。ずっと傍にいたかったんだ。親戚の誰かという代わりなんかじゃなく、彼らの姿を欲していたんだ。
冷たくされても、暴力を振るわれても、それがたとえ化け猫が化けたまやかしのものだったとしても!
――愚か者だからだ、僕は」
化け猫が何なのか、太望もスピカも知らない。オーレは目を覆う。重要なのはそこではないらしい。
「それが何で雛衣さんと……関係するんだ?」
信乃は殺すという単語を避けた。陽姫が答える。
「それは――化け猫が分裂して化けたオーレの父母が仕組んだこと」
「妊婦と胎児の心臓があれば」
玉梓はにいと嗤い己の目を指す。
「目が癒えると」
陽姫の言葉は玉梓に渡り、オーレが結んだ。
オーレは己に被せた手を下ろす。紫の空間に、静かに光る何かが落ちていった。
「僕は父母が恋しかった。愛しかった。二人に応える為なら……その為なら」
ぽろぽろと、光る何かはまだ落ちていく。今まさに生成され、地に堕ちていく。
オーレは涙に濡れる。
(今までも)
その過去からずっと今まで、泣いていたのだ。スピカは思う。微笑の仮面の下でオーレは過去と向き合ってきた。前を向いていると見せかけて、背を向けて前進していたと言えようか。だからこそ――挑発された火の島に置いて彼は仮面を外し、あらゆるものと真剣に向き合っていたのだ。そして吠えた。再び泣いた。
「僕は僕の為に僕の愛する人の命を奪おうとした。雛だけじゃない、まだ生まれていない礼蓮さえも」
オーレは鼻を鳴らす。
「殺そうとしたんだ!」
そう叫ぶが、呻くように、いやすすり泣くように、彼はだけど、と紡ぐ。
「愛している」
愛しているんだ、と、オーレが語り出した独白をスピカは思い出す。死ぬべきだとオーレは言っていた。その時わからなかった言葉は、今形になる。
「こんな身勝手な僕を、君達が追い出そうとするのは考えてみたら簡単なことなんだよ。
僕なんか――僕なんて奴は、いない方がかえっていいんだ」
だらりと首を下げる。刎ねてくれと言わんばかりに。
「雛衣だって、僕のこと、本当は……」
涙は下を向いた分、加速して落ちていく。
はははと、玉梓の高笑いで視線の行く先は彼女に変わる。彼女の恐ろしい嘲笑は止まることはない。
「聞いただろう? この獅子の罪を」
玉梓はオーレに近づき、ぞっとするほど白く美しいその手を、彼の頬に寄せた。油断すれば玉梓に喉から喰われてしまう。油断しなくとも、玉梓に触れるだけで何かが壊れる予感がスピカの体中を駆け巡る。
「だが利口じゃな。自分から妾に身を任せようとしておるのじゃから」
にいと、彼女はやはり嗤う。
「オーレさん!」
太望が呼ぶ。
「オーレおじさま、待って!」
「オーレさん、ここまで一緒にやってきた仲間だろ」
「ここまできて、こんなことって無いですよ!」
彼の名を、同じ運命を共にする者達が呼ぶ。何度も何度も、呼びかける。だがオーレは振り向かない。背景と一つになってぴくりとも動かない。
「……オーレさん」
スピカは呟く。
オーレはスピカに告白してきた。少しずつ、言葉を彫り出すように。
――愛しているんだ。
昔も、今も、これからも。
しめやかに、そうスピカに呟いた。
それを。
それを、オーレは愛する人に告げてきたのだろうか。