一瞬間の後に、スピカは姫の御座とは別の地面を踏んでいる、と感じた。土、である。何百という人の足音を吸収してきた土である。そしてまたここに里見家がやってくる前にも、何百という血が流れた土である。
 そうスピカが思うのは――今まさに戦士達の雄叫びが、剣戟の音が、そして痛みに敗れ地に倒れる音が、何の層も通さず具にスピカの耳から脳へ伝わるからだった。
「ちょっと! ここ、戦場のど真ん中じゃない!」
 シュリは陽姫を睨みつけた。そうしている間に敵が迫る。シュリが激昂するのも無理はない。敵らしき一団は、突如現れた十三人に、何の疑いもなく迫り来る。何かに操られているように、不気味に目をいからしながら陽姫を斬り殺さんとしていた。
「陽姫っ」
「大丈夫」
 ばっと陽姫は両腕を広げた。
 あの空間を覆っていたのと同じ光が、彼女の体全体からまるで蛍が飛び立つように溢れた。一息つく間もなく光は戦場に満ち溢れる。戦場に投げ出されたスピカ達の心が、まるで各々の母に抱かれた――そんな暖かさもあった。
 光が陽姫に収斂していく。敵方の戦士達は地に眠るように伏せっていた。
「死ん、じゃったんですか」
 ニコが恐る恐る訊いたが、陽姫は微笑して彼の頭を撫でた。
「ただ眠っているだけよ。もう、襲ってはこない……里見家の皆さん!」
 その小さな体のどこにそんな声が、と驚く程の大音声を、里見方の軍勢に向かって陽姫が放つ。
「今の内にこの人達を捕えてしまって! 殺しては駄目よ!」
 遠くからでも、陽姫という――超越した存在がわかるのか、はい! とやや動揺気味だがはっきりとした返事が来た。戦況はまさに陽姫の降臨によって一気に巻き返したと思われた。
「っ、どうやら効いてねえ奴もいるみたいだぜ!」
 与一の目は鋭い。どこからか現れた新手の敵がスピカ達に向かってくる。それも大量にだ。
 遠方へは、李白とチルチルの珠がそれぞれ光る。樹木の根、岩石が行く手を塞いでくれるものの、それを無視して刃を持った兵士が突如として接近してくる。
 それぞれが、陽姫を護って戦う。そして、命を奪わないように加減しなければならない。これは里見家と他家の戦であるが、望んでそうなったものでない――陽姫も、おそらく陽仁も、無駄な殺生はしてほしくはないだろう。
 再び、陽姫の体全体が黄金色に輝く。また光が広がり、兵士達の戦意を宥めるか、と誰しもの頭に過る。しかし、結果は全く違う様相を見せた。
 びりびりびりと地面に亀裂が走る。そして新たに迫りくる敵がぱっと消えたのだ。
「あれ? 何で? 消えた?」
「違うわい、ありゃ……落ちたんじゃ」
 そして辺りの地面からむくむくと姿を為すのは――土で出来た巨大な手首。手は伸びて、敵の兵を叩き潰しては再起不能にしていった。
「そうか……陽姫、あなたは」
「スピカはもう――オーレもわかっているはず」

 彼女の幼名を黄姫という。
 黄は中央を司る色。
 黄が表すものは、土である。

「黄は、土は、これ国の基――」
 陽姫ははにかんで、再び黄色の光を周囲に浴びせた。与一や花火が応戦していた兵士達も戦いを放棄するように武器を捨て、眠っていく。
 里見家の陣営の方から姉上、という声が聞こえる。振り返ると白い馬に乗った陽仁がこちらに駆けつけてきた。
「あら……陽仁?」
 陽姫はすぐに駆けだす。馬を下りた陽仁に堪らず抱きついた。
「姉上……! よくぞ復活なされた!」
「陽仁こそ、こんなに老けちゃって」
 まだ三十代ですぞ、と陽仁は快活に笑う。しばしの間、三十年ぶりの再会を姉弟は喜び合った。姉弟同士の再会がもはや叶わない花火と李白はどこか寂しさを感じたが、同時に胸のすく想いも感じた。
「さて陽仁――もう少し、ここで辛抱していてくれる?」
 それを告げる陽姫の横顔は束の間の笑顔はどこへやら、ひどく真剣なものだった。
「館山にいる天狼や、他の所を守っている人にも、そう伝えて。――戦いはもうすぐ終わるから」
「――姉上、つまり」
 陽姫は頷く。
「玉梓と決着をつけてくるわ」
 くるりと陽姫は十二人の方へ向き直った。オーレを見る。オーレは背を向けていた。何も言わず、十二人の方へ歩き出す。
「姉上、何とぞ、お気をつけて!」
「陽仁も!」
 彼はしばらくこちらを見つめていたが、側近に促され陣に戻っていった。陽姫は振り返って見送り、再び十二人の方を向く。
「――玉梓は、どこにいるのでしょうか」
「まあ、まずはそれだな」
 花火は悠々とした態度で煙管に煙草を詰める。それを何とはなしに見ていたカーレンは何かを聞いた。
 最初は風の音だと思った。しかししきりに耳の奥で響く。誰かが誰かを呼ぶ。
 プレセペと、呼んでいる。
 マーラが呼んだのと同じように。

(玉梓……?)

 カーレンは心で呼びかける。
 もう一度、目を閉じ、違う名前で呼びかける。


(――お母さん)


 ばっと赤い珠が輝きだした。普段よりも強く強く、何かに抗うかのように、その光は十三人を包む。
 各々が珠を取り出す。同じように、しかし、カーレンよりも幾分弱く光っていた。
 強く光る赤も、それぞれの光も、同じ方角を指す。そこへ今すぐ行けと鞭打たれたように一行は確かめ合う暇も惜しく、走り出した。陽姫も、一瞬苦しげに顔を歪めながらも、同じように駆けだした。

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